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キラキラ✨ひかる 116_20240620
中学生という特権
これは私から中学生へのメッセージである。
なんだ、なんだ、突然。
不定期で投稿している「それいけ!うぉん八」で書こうと思ったが、有料だと読んでもらえないじゃないかと思い、「キラキラ」で書くことにした。
全くもって衝動的な投稿である(笑)
特別強い思いなどない。急に書きたくなったから書くものである。
「中学生の皆さん、あなたが今見ている世界は、人生の中で一番広くて多様なのかもしれない。周りの友だちを大事にしてください。」
私が思うに「中学校」という社会は、狭いようで実に多様であるということだ。
※私は小学校や中学校における受験には否定的である。ここでいう多様な社会というのは、私が経験した公立の中学校のことを指している。
中学生の年齢で人間の発達段階における「思春期」を迎え、行動も考えもどんどん大人になっていく。
見渡せば、いろんな人がいる。
面白いもので、顔がいいだけで人気があるという生徒もいる。
ルッキズム(外見に基づく偏見や差別)の肯定とはちょっと違う。これは人間としての本能だ。どういうタイプが好みか、顔のタイプや背の高さ、胸の大きさなどで選んだっていいじゃないか。
頭がよくてモテる人もいる。
気立てがよくてモテる人もいる。
スポーツ万能でモテる人もいる。
面白くてモテる人もいる。
先生から(大人的にはダメ評価で)めっちゃ怒られている男子に胸キュン(死語)しちゃう女子がいるのはそういうことだろう。
要するに「その人の一番いいところ」で勝負ができる世界でもある。
まぁ、高校デビューや大学デビューと遅れちゃう人もいる。でもそれは仕方がない。2:6:2の法則により、集団の中では2割の人が目立たなくなっちゃうわけだから。
高校に行くと、学力で固められてしまう。
この時点で、自身が身を置く社会はすでに狭くなりつつあるのだ。
さらに大学。全国各地から集まってくるから多少異なる言葉や文化に触れ、少しだけまた視野が広くなるかもしれないが、それでも中学時代に出会った友だちのようなバラエティさには欠ける。
さらに大学を卒業して社会人になって、就職すれば、これまた同じような人たちと会う確率が高くなる。
こうして、私たちの価値観はどんどん狭い世界の中でつくられていってしまうのだ。
世の中、多様性というけれど、周りを見渡せば、似たような人で固まってはいないだろうか。
親になる人は、子どもを通じて、もしかすると親通しの付き合いの中で、また新しい価値観に出会えることだってあるかもしれない(受け入れられるかどうかは別として・・・)
親になれなかった私は、そんな付き合いの機会もなく、どんどん世間が狭くなっているような気がしていた。
中学時代の仲間は、社会の縮図だ。いろんな人がいたな。反社会的勢力に属している人もいると風の便りに聞いた。もう二度と会えないだろうけど、思い出はちゃんとある。
高校以降は縦につながり、中学は横に広い。
私が今身につけている価値観はとっても狭いものだ。
その価値観で相手を非難することは、とても悲しい。
中学の時、仲間だったじゃないか。
クラスで一つことをみんなで協力して成し遂げたじゃないか。
困っている仲間を助けたじゃないか。
私は今自由だ。
どんな人とも仲良くなれるチャンスがある。
広くて多様な社会に身を置き、いろんな人の目線や価値観でものごとを捉える機会をもらっている。
「常識」を疑え。
陳腐な「価値観」を捨てろ。
もっと「寛容」になれ。
あの時の純粋な気持ちを取り戻したい。今、そんな気分。
あー中学生が羨ましい。
<1年前の”ほのぼの日記”>
旅行の荷物について。昨年の今頃、海外旅行にでかけた。
私は「大事なものが多すぎて」困る💦
タイトル画像は、はそやmさんの作品です。「キラキラ✨ひかる」シリーズのために、ボルダリングをするうぉんのすけ、子ども支援をするうぉんのすけをイメージして、オリジナルのものを提供してくださいました。はそやmさん、本当にありがとうございます💗
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