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徒然なるままに・・・054_20220814

結婚について(人生は修業!)

家族のことをいっぱい考えるお盆。
今日は、バリバリ人生観(私観)を述べてみようと思う。
だいぶ偏った思想だと思うし、変な人と思われるかも。
ちなみに特定の宗教はもたないのであしからず。
※今日は3000字近くになったので、時間のある方だけどうぞ。

10代のころ、21歳で結婚するものだと思っていた。当時は、24歳までに結婚するのが当たり前のように考えていたけれど、実現しなかった。その当時お付き合いしていた人とあのまま結婚していたら、大変なことになっていただろう(多分離婚していたと思う)。

なぜって?だって、私自身がまだまだお子ちゃまだったから。
若い時は、結婚は好きな人と❤と思っていた。「恋愛から結婚」の順番が当たり前だと。
今?今はそうは思わない。今だったら、誰とでも結婚できる!恋愛なんかしなくったってすぐに結婚!できる!これは断言するっ!
夫?夫は大好きだけど、他の人と一緒に住める?住めない?という問いには住める!と断言する(夫が読んだらショックを受けるかな???)

私は小さい頃から人一倍独立心が強かった。20歳(当時の成人)になったら、当然に親元を離れるべきだと思っていたし、将来親の面倒を見るべきではないと思っていた。親が成人を過ぎた子どもに干渉することも、親が間違っていると思っていたし、親が子どもに将来の世話を期待することも違うと思っていた。今でも強く思う。

そもそも人間ってどういう生き物なんだろう?
この世に生命を授かり、家族の一員として育ち、社会の一員として生きていくということはどういうことなんだろう?
家族って?地域(まち)って?日本人って?地球人って?宇宙人って?
周りの生物との関わり方は?
そんなことをぽつらぽつらと考えてみたりしていた。
SDGsなんて言葉が流行りだした。ふーん・・・

私はどうしてこの家に生まれたの?なぜ私のお父さんとお母さんはこの人たちなの?どうして日本人なの?なぜ世界では生まれた途端に亡くなる赤ちゃんがいるの?すぐ死んじゃうのになんで生まれてくるの?ほかの動物たちの寿命はどうして短いの?なぜ人は他の生物をいとも簡単に殺しちゃうの?人を殺したら刑務所に行くのに、他の命は粗末にしていいの?
?????????????????????????????????

まぁ、そんなことを一生懸命考えた時期があった。結局、蚊が飛んでくれば、いとも簡単にパーンと手で殺しちゃうし、ゴキブリを見れば親の仇のようにキンチョールをこれでもかと、かけまくる。牛肉?大好き!何か?
この歳になってもあいかわらず社会のルールについて疑問を抱いてしまう癖は残っており、家族のあり方についてもいまだに納得はしていない。

生まれた家で育ち、親の面倒をみるのが当たり前という考え方には反対だ。親の面倒を見ることが悪いとは思っていない。「当たり前」という考えを(親と子の)双方が、あるいは周囲がもつことにムズムズする。
そんなことを10代の時から考え、平気で親に自分の意見を伝えたものだから、「親不孝もの!」「罰あたり!」「変わり者!」と怒られた。

産んでくれた親に感謝すること、育ててくれたことに感謝する、そのこととだんだん「自分」というものが形成されていく中で、親とは別の行動をとることをどこまで制限されるのか?ということの整理が完全にできないでいる。義務ではないのでは?

ある宗教的な本の中で「あなたは自分の親を選んで生まれてくるのです」というような内容を見たことがある。「あなたは生まれる前に自分の一生を決めてから生まれてくる。どんな家に生まれ、どんな試練を自分に課すのか。途中で殺されて亡くなる人だって、生まれる前にその人がそういう人生を望んだから、その人が生まれてきた意味があるのです」と。「大病を患うことだって、その人がそういう試練を(生まれる前に)自分に課したからなのです」と。

へぇ~

もしそういうことであれば、どんな両親であっても自分が選んだのであれば「いやぁ、こんな私がお二人を選んじゃったために、苦労させましたね、育ててくれてどうもありがとう」という気持ちにもなるか。
日本を好んで生まれてきたのであれば、「こんなに贅沢させてもらってすみません。なにか私にお役に立てることがあれば・・・」と国際貢献も惜しまずできるか。
両親には十分に育ててもらったんで、他所の家に行って、家族というものを一から築いてみたいと思うんです、申し訳ないけれども、嫁がせていただきます。苦労?・・・たぶん、するんでしょうね。でも、それが自分に課した修業であれば、何とかやってみます!自分が選んだ人を、その家族を大事にしてみようと思います。

まぁ、そんな感じでしょうか。
ドライに思われる人もあるでしょうが、私にとっては、結婚は一つの修業。
職場での人間関係の構築とほぼ変わらないものです。
職場でできる努力は、嫁ぎ先でもできる。できない方がおかしいよね。
上司を敬うように、嫁ぎ先の年配者を敬う。職場のグループワークのように親戚づきあいだって、お手の物。

全てが「自分の選択」だと思えば、何とかできる。自分責任論、ですね。
その代わり、こうすべき、ああすべき、と言われるのはちょっと・・・

結婚だって、おそらく職場にいる男の人全員と結婚はできるでしょうが(そっちからお断り?あっ、そう!こりゃ失礼!)、自分がこの人!と選んだ人と一緒に修業をする。この人だから耐えられる修業。愛?そんなものは、保障されません。人を愛することだって修業です。愛するのって、そんな簡単なことではないと思う。

とまぁ、ちょっと変わった考えのもと、わざわざ親やふるさとから距離を置き、誰も知らない場所でなんとか頑張ってみる、そう思い、結婚してみた。これがなぜか上手くいった(ようだ)。ただし、私たち夫婦には子どもができなかった。もしかすると産んで育ててくれた両親に対する冒とくに神様が怒って、子どもを育てる機会を与えてくれなかったかもしれない。自分の人生は自分で終わらせてみなさいということかしら。代を途絶えさせることの重責を感じなさい、という罰なのかしら。両親には申し訳ないことをしたが、これからまだ挽回ができると信じている。やれることをやってあげたいと思う。

自分で自分に与えた運命をかみしめながら、思ったとおりでない部分は受け入れつつ、後悔のないように日々を生きる。
この私の人生、長いか短いか。自分がどうやってプロデュースしていくのか。最初から自分でプログラミングしているのだとすれば、どんな困難だったって立ち向かうしかないでしょ。乗り越えられないような困難は最初から組んでないから、安心して。必ず道は開けるようにできている。だって人生の主役は私なのだから。悲劇なんてありえない。悲劇をも幸福に変えてみせましょう!

そして自分に与えられた人との出会いは必然であり、また、奇跡でもある。一生に出会える人なんて、数知れている。そう思えば、どの人も皆、愛おしい。私を探して出会ってくれたことに感謝。
特に私の家族になってくれた両親、妹弟。夫、夫の家族に最大の愛を込めて。

★★★最後まで読んでくださり、ありがとうございました★★★

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