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舞台に立つ推しの気持ちを感じたいので、お笑い芸人をやってみようと思います。

もはや一つの儀式なのかもしれない

好きな人の模倣をしたい、という願望は、わりとどんな人も持ったことがあるのではないか。
好きな人、「推し」とでも言おうか。
好きなアイドル、配信者、アーティスト、果てはゲームや漫画など架空のキャラクター。あこがれのあの人が使っているものと同じものを買ってみたり、あの人が行った場所に行ってみたり、やったことをやってみたり。もちろん、推しのやることなすこと全てを肯定的にとらえていて、かわいい、かっこいいから欲しくなったとか、行ってみたくなった、やってみたくなったという人もいるだろうが、「推し活」をする人にとってのそれらの行動は、「推しを感じるため」に行っていると言っても過言ではない。(過言だという人は優しく批判してね。)
私にとってのそれは「お笑いのステージに立つこと」なのである。

あの人たちと同じことがしてみたい?ならしたらいいじゃない!

お笑いが好きだ。どこがどう好きかと言われるととっても長くなってしまうから割愛するが、とにかく好きなものは好きなのだ。
子供のころから民放で放送されていた数多のネタ番組を欠かさず見ているし、社会人になってからは寄席に行ったり、劇場に行ったりと生で鑑賞する機会も作っている。昨今はyoutubeでも活動している人たちも少なくないので、好きな芸人さんたちの動画を巡回する日々だ。
彼らのことを好きになればなるほど、「同じ景色を見てみたい」という欲求が出てくる。

数年前、ひょんなことからストレートプレイの舞台を観に行くことになり、初めて舞台俳優の推しができたときも、やはり推しがどんな景色を見ているのか知りたくなった。景色というのは、目で見ている風景というだけでなく、感情も含んでおり、例えばどんな気持ちで本番を迎えているのかとか、役と向き合うときのかとか、舞台に関わるときの気持ちである。それを感じたくなった。そんな動機で、実際にワークショップに参加して、舞台に出たこともある。規模も境遇も全く違うけれど、それでも準備の大変さ、役と向き合うことや表現することの難しさ、終わった後の達成感や充足感と少しのさみしさなどなど、普段の生活では味わえない気持ちになったことを覚えている。「推しも、こんな風に心が動くのかな」と推しへの解像度を深められた気がした。

同じようなことを、芸人さんたちの視点でも味わってみたい。
そんな不純も不純な動機で、お笑い芸人をやってみようという魂胆である。
相方を見つけ、ネタを作り、ステージに立つ。このネタ、面白いだろうか?と葛藤したり、悩みながらネタ作ったり、自分のやりたいお笑いや相方と折り合いをつけたり。ふふふ、楽しそう。
お笑いはいろいろ見るけれど、やはり漫才が一番好きなので漫才をやろうと思う。マイク一本で、形に縛られない表現ができるのは面白い。
やりたいことはやったほうがいい。とっくのとうに成人している身。責任は自分でとれるし、誰に迷惑をかけるものではないからね。

具体的に何を目指すのか

動機は不純極まりないが、お笑いをなめているとか、そういうことは思わないでいただきたい。(難しいというあなたの気持ちもわかる。)
自分たちのネタに、漫才に真摯に向き合っていこうと思っている。
目指すのは、来年のM-1出場。1回戦突破を目標としたい。
やっぱり、賞レースは芸人さんの晴れ舞台で、一生がかかるくらい大きなもの。そんな舞台、一度は立ってみたいじゃないか。
今年のM-1が始まったばかりなのに、と鬼も大爆笑だと思うが、おそらく来年もやるでしょう。やるよね?やるつもりでいるよ?

真剣に遊ぶ。楽しみながら準備する

大きな舞台に立つには、それ相応の準備が必要。
予定していることは、
①舞台に立って経験を積む(アマチュアが出られるやつ)
②いろんな芸人さんのネタを分析して、ネタの作成・ブラッシュアップ
③芸人さんが執筆しているお笑い論を読んでみる
相方との練習はもちろん、この3つを来年の本番までに積み重ねていきたいと思っている。お笑いへの感度バキバキになりてえ卍
来年、どれくらいお笑いが好きになっているんだろう。真剣になりすぎてイヤになるまである。いや、ないか。
嫌いにならない程度に、相方と不仲にならない程度にやっていきたい。

相方はどんな人?どんな漫才やりたいの?

紹介が遅れたが、相方は会社員時代の同期。表現者になる、と全社に宣言して辞めたかっこいいやつである。あと、声がめちゃくちゃいい。
同じ配属先でもなく、すっげー仲よかったというわけでもないのだが、こんな話に乗ってくれたのだ。まぎれもなく、いいやつである。
漫才の形は手探りなのだが、「狂犬を10mのリードつけて放し飼いしてる」ような雰囲気をつくりたいという話で、今のところ一致している。
二人の漫才の形を作っていく、というのも面白そうすぎる。(乱れた日本語)
「推しの見ている景色を見たい」で始まった物語だが、すでに目的が脇に置かれているのでは?と思うくらい、漫才を作っていくことが楽しみだ。

相方がいるというのは、心強いと同時に「やらねばならない」使命感も生まれる。自分だけだったらさぼってしまうこと、後回しにしてしまうことも、一緒にやってくれる人のためにと自分の尻をたたける。
このNOTEも、実は3年前からアカウントがあったのだが、今日の今日まで放置していた。一人じゃ3年かかってもできなかったことが、たった1日でできてしまった。快挙である。
きっと、相方と一緒だったら、他のやりたいこともできる気がしている。そういう意味でも、これからが楽しみで仕方がない。

ずぶずぶのド素人が、どこまでやれるのか。見ている側がやる側に回ったとき、どんな変化が起こっていくか。興味を持ってくれた方はぜひここを観測してほしい。ステージの告知とかもすると思うし、各SNSも(作れば)するかもしれない。(未定)(やる気あるのか)(相方と要相談)
まずはNOTEの更新を続けられるように頑張っていきますので、よろしくお願いします。

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