兵庫県斎藤知事の進退はマスコミが決めることではない!
斎藤知事を選んだのは兵庫県民
「今回のような問題が起きると知らず知事に
斎藤氏がふさわさしいと思って投票している」
その前提が・・・崩れているのなら
兵庫県民が「この状態は望ましくない」
と思うなら。
本来はリコールする必要がある。
ただし日本の現行法では
「リコールの壁は極めて高い」
署名を集める必要があり
一度知事などの首長になっていまうと・・・
「法に触れる重大な行為」で失職でもしない限り
「簡単にやめさせられない」という事実です。
為政者として「地位にしがみついている」
と知事が見えているなら・・・
「健全な県政を推進できる」とは
とても思えません。
ただし・・・3月12日に一部マスコミは
議員と共に「前県民局長の告発文」を受領し
知事に関する情報に接していたという事実は
揺るぎません。
小生がこの問題を初めて知ったのは
👆この記事が最初です。
関西では兵庫県知事に関する報道が
通常のニュースなどで流れるでしょうが
「関東に在住する小生まで到達したのは5月」
でした。
読売新聞は調査報道として
実に的確で・・・どちらにも偏っていない
公平な姿勢であり、知事側へ
「問題点も投げかけて」います。
もしも・・・
最初に問題を告発された一部マスコミや
後追いで報道を連日続ける
日本中のマスコミが、報道内容を精査していれば
「前西播磨県民局長」は亡くなっていなかった
のかもしれません。
しかし・・・3月から知っていたはずの
一部マスコミは当初はダンマリを
決め込んでいたように見えてしまいます。
報道するには告発の内容を確認する必要があり
読売新聞も含め調査に時間がかかった・・・
その可能性は否定できません。
でも・・・
「なぜ報道は拡散されなかったのか?」
そこに疑問が残ります。
「噂話を事実として拡散した県職員」という
知事側の発信をそのまま流した報道機関も
残念ながら存在します・・・
前局長が亡くなり・・・
一部のマスコミは急に知事側へ手のひらを返し
斎藤知事を「悪者」へ仕立てているように
見えてしまう。
事実はそうではないとしても
「そう見えてしまう」のは・・・
「当初は報道しなかった」ので致し方ないでしょう。
「水に落ちた犬はたたく」ような報道
は今に始まったことではありません・・・
「何度も何度も繰り返し似たような報道・・・」
を目にしてきました。
「松本サリン事件」や
「ロス疑惑」など・・・
もうこんな報道にはうんざりだと思っていました。
「兵庫県」という文字を見るだけで
記事を避けている自分に気が付いて
同じように感じている皆さんもきっと・・・
でも「それではいけないのです!」
滅多に書かない政治に関する記事を
小生が書いている理由はそこにあります。
二人も亡くなっている「大問題」を
市民が食傷気味となり・・・
「報道が陳腐化することが一番の問題」
ではないかと思います。
小生は現在兵庫県民ではありません。
したがって兵庫県知事の選挙に投票はできません。
兵庫県の自治は兵庫県民が決めるべきことで
他県民が知事の選出に関わることはできません。
ただし「報道機関の不作為」や
「権力者の内部牽制に対する不法行為」
「公益通報をないがしろにした事実」
が存在するのであれば
日本国民として・・・・
適正な法執行や報道がなされるように
注意し
事実を確認し
間違った報道や
不当な権力行使の事実が
確認されたら・・・・
改善を求める権利はあります。
報道機関も「強いモノにまかれる」
小生と同じです。
強い者には弱いことは庶民の防御本能です。
ただし当初からその意図があろうが
なかろうが・・・
「公益性の高い通報を捻じ曲げる」
そんな行為が
「権力者だから見逃される」
「報道も手控える」
といった経緯が存在したなら・・・
そして知事や側近が
「事実に反することや個人情報まで流布した」
という事実があったなら
公益通報以前に
「職務権限の逸脱」
「個人情報漏洩や風説の流布」
という違法行為が成立します。
役所に長年勤めた身として
ハッキリと言えることは
「事実でも言えないこと」は
当然存在します。
職務上知りえた情報には公にできない
内容も存在します。
ただし「公共の利益に反する」
違法行為を放置することや
「自己の保身」のために
ウソをついても良いという訳ではありません。
例え公にできない事実でも
「自分の身を守るためにウソやでまかせ」
を公然と発言することは
公務員である前に
「ひとりの人間として良心に照らして不道徳」
な行為です。
大人としての品格を放棄する行為でもあります。
マスコミの報道は
「なぜ斎藤知事はやめないのか?」
結局はその核心をぼかしながら
暗喩として
「はやくやめろ!」と発言している
ように思えてなりません。
知事には県民に選出されたという
厳然たる事実があり・・・
マスコミの報道だけで進退を決めるのは
「投票した兵庫県民」に対して失礼な話です。
ただし兵庫県民の大多数が
「もうやめたほうが良いのでは」
と思っているなら・・・
潔く身を処するほうが
「傷は浅くすみます」
誰の助言なのか?
本人の考えなのか?
小生は「高位高官」であった経験がないので
まったく理解不能です。
西播磨県民局長が亡くなった時点で
「判断違いやミスがあったなら・・・潔く認め謝罪・・・
そうであれば・・・これほど混乱が生じなかった」と感じます。
自身の判断ミスで行政に停滞を招くのあれば・・・
「その点に関してだけでも知事として失敗」
と言えなくはないでしょうか?
「自分は間違っていない」と
確信をもって政治を進めることは
政治家として、行政マンとして重要な力量です。
ただし政治家は
「不正や不誠実・間違い」などで
「有権者から信認されない状況を座視してはいけない」
と思います。
信頼を失った政治家は・・・・
「市民からの信頼を回復する責任がある」
ということです。
もしも信頼が回復できないほど毀損しているなら・・・
「辞職するしかない」
と思います。
だらだらと進退を決めず・・・
本当に失職したり・・・
世間の風に逆らえなくなり
自ら死を選ぶようなことは・・・
絶対に避けなければなりません。
不法行為をマスコミに指摘され
自殺した政治家は世界中に何例もあります。
権力とは魔物かもしれません・・・
「命がけで政治を行う」ことは比喩表現としては
アリですが・・・
本当に命をかける必要はないと思います。
かつて・・・失言した政治家や
落選しても・・・
優秀な頭脳は必ずどこかで役にたつ・・・
政治の世界で失敗したら
「即アウト」ではありません。
「辞める勇気」も
政治家には必要だと思う次第です。