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いろんな事にありがとう

旦那さん 敗血症のお話です
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一般病棟へ


コロナ病棟から一般病院へと移動する廊下の真ん中にはテープが貼ってあり、片側は感染してない人、もう片方は感染していた人?が通るらしく、つい真ん中のテープを踏んで歩いてたら看護師さんに

「テープ踏まないで!ちゃんとそっち側歩いて!」
と、叱られた。
しっかりと区分わけしている様だった。

一般病院へ移ると、すぐに点滴。まだまだ熱が高い。
そして移動してすぐにお昼ご飯が出て来た。
普通に看護師さんがベッドまで運んできてくれた。
コロナ病棟で出ていた惣菜パックのおかずが食器に移し替えられただけで同じ内容だ。

つい10分前まで隔離されていた状態から、急にこの自由な状態になって、一般病棟の自由で開放感がとてもありがたかった。
これはあのコロナ病棟を体験していなければ絶対に感じる事のない感情だろう。

お昼も食べ終わって、ベッドで休んでいると先生が来てくれた。そう!あの救急搬送の時に見てくれた先生が主治医となって、旦那さんの病気の治療を見てくれていたのだ!

「一般(病棟)に移れて良かったね!こちらで引き続き敗血症の治療をして行きます。血液の中の菌をやっつけないといけないんだけど、今のところ数値が良くないね。。薬は人によって何が効くのかが違うから、模索しながら治療を行なっていく感じになります。」と、違う薬を試す事になった。

一度投薬を始めると1クール4日みたいで、違う薬にするには4日たたないと変えられない様だった。これは、今は投薬もパソコン管理らしく、一度処方すると、4日たたないと変更出来ない様な事を言われたみたいだった。投薬もパソコン管理なんだなぁ。いろいろ大変だ。

旦那さんは食欲がないけど、食べないと元気になれないと分かってるので、完食までは無理だけど、頑張ってご飯を食べていた。そんなある日、突然嘔吐が止まらなくなり、またしばらく点滴栄養生活になった。

以前、糖尿病網膜症の治療中の時に、1度原因不明の吐き気が止まらず、目の血管が出血してしまい、緊急入院した事があった。
私はその時の事が頭をよぎった。大丈夫だろうか。。

完治

ご飯もお粥なら食べられるかも?
と、管理栄養士さんが来た時に相談して、その日の夕飯からお粥にしてもらったけど、やはり嘔吐してしまう。薬が合わず、菌の勢力が増しているらしい。
この体力が弱っているところに菌の勢力が凄い勢いでやって来るので、一気に悪くなってしまう所、菌に負けない様に、良く旦那さん頑張ったと思う!

でも薬は4日たたないと変えられないからと、吐き気止めなどいろいろな薬を追加されながら、なんとか4日目。薬の切り替えが出来る時間の朝早くから、先生が切り替え指示を出してくれて、違う薬にすぐに変更になった。

すると、この変更した薬が旦那さんの体にあったらしく、血液中の菌の数値がだんだん減ってきて良くなってきた!
お粥も何とか食べられる様になってきた!
一般病棟に移ってから約2週間。

旦那さんの敗血症は完治した。

先生曰く、
「普通は良くなるまでもっと時間かかるんだけど、旦那さんは早い段階で治療をする事が出来たのと、早めに(3回目にして)合う薬が見つかったのと、若かったから(と言ってもこの時49歳)、治るのが早かったのかも知れません。お年寄りだと治るまで数ヶ月かかりますから。」

と言う事だった。敗血症は治ると「完治」となり、これが原因でまた敗血症になる事はないらしい。また敗血症になったとしたら、それは別の事が原因で発症した事になるそうだ。

最後に先生は
「もう2度と私に会わない様にして下さいね。私の名前なんて覚える必要ないから。もう会わないんだから。」

と、一瞬「えっ?!」と思う様な事を話してくれたけど、

「もう敗血症にならないでね。」
と言う、先生の優しさからくる言葉なのだとすぐに分かった。
先生に出逢えて良かった。あの時、救急で違う先生に診てもらっていたら、また状態が今とは違っていたかも知れない。
先生、救急から入院中まで大変お世話になりました。

退院

そして、旦那さんは約3週間程の入院で退院する事が出来た。入院中に本人、誕生日を迎えた。凄いタイミングでの入院となったけど、とにかく良くなって退院出来てホントに良かった!

退院の時に、先生に仕事復帰の時期を記した診断書を書いてもらったので、退院して次の日はお休みしたけど、その翌る日から旦那さんは仕事復帰した!

「そんなにすぐに仕事復帰して大丈夫??」
と言ったけど、旦那さんは

「大丈夫!仕事も溜まってるだろうし。」
と、あんなに大変な状態の敗血症だったのに、退院して2日目には仕事に行った。

ホントに凄いなぁ!と、心底尊敬する!
現に仕事に行ったら、書類が山積みになっていて、大変な状態だったらしい💦

だけど、職場の皆さんがとても心配してくれていた。
コロナでお見舞いにも行けないし、情報も入ってこない。
敗血症をググったら怖い事が書いてあるから、旦那さんはもう危ないらしい。。と、社内で噂になっていたと💦あながち、間違ってないけど😅

病院でのやり取り方法

そうそう!
一般病棟へ移動してからの事ですが、パジャマなどの洗濯物のやり取り。結論から言いますと出来ました!コロナ病棟では持ち出し一切ダメだけど、その荷物をそのまま一般病棟に持ってきたら、持ち出しOKになりました。🤣笑

しかし!
病院でのやりとりの仕方はまるっきり変わりました。まず、病院への入口と出口が別々。院内に入る前に手指のアルコール消毒、検温。熱がなければ入って良し。

通常なら使用出来るエレベーターも使用禁止🈲
それでも乗っちゃう人がいるからなのか、エレベーター前にテーブルが置かれて、そこで病棟に持ち込む荷物のやりとりをする受付が設置されていた。完全に一般の人は病棟に行けないシステム。

病棟と病室、名前を伝えて、渡す荷物をそちらで預けると、受付の人が各階の看護師さんに連絡してくれて、各階の看護師さんが荷物を取りに来てくれて、患者さんに渡してくれるシステム。

逆に洗濯物など、持って帰ってもらいたい荷物がある時は、患者さんが病棟の看護師さんに言って、まとめた荷物を預けて、家族が来たら1Fの受付フロア前のソファで待っていると、名前を呼ばれて荷物を渡してもらうというシステム。

患者さんに渡せるものは着替え、ドリンク、など紙に書いて提出。お金は1万円まで。別の封筒に入れて受付の人に預ける。患者さん達は院内のコンビニ利用が可能🏪

まぁ、大変だったけど、やり取り出来るだけホントにありがたかった。
旦那さんはとにかく熱で汗をかいて毎日着替えるので、洗濯物は一日置きに取りに行った。
初めの頃は水など言われた飲み物を一緒に4〜5本持って行ったけど、自分で歩ける様になってからは、病棟の談話室にある自販機や院内コンビニまで、自分の飲みたいものを毎日買いに行くのが日課だと楽しそうに話してくれた。


あれから早いもので2年が経つ。
長い事、旦那さんと私の闘病記を書いて来ましたが、これで現在と追いつきました。

これからは闘病記はその都度記して行こうと思います。
そして、この先は私の書きたい事をいろいろとジャンルフリーで記して行こうと思います。

長い投稿となりましたが、最後までお読みいただきありがとうございました🍀

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