大事なこと
(注)この記事には、更年期障害うつ、不安に関する話が出てきます。気になる方は、読まない事を、お薦めします。
病気がひどくなり、治療院に通い始めた頃
先生に言われた。
何の病気でも、そうだけど
この病気は、特に、なった人にしかわからないから、理解してもらおうと思わない事、と。
心という臓器はない。
脳の反応し、不安や落ち込みが起こる。
父は言った。「気合いで治せ」と。
それを先生に伝えたら、無理だと言われた。
反応してしまうから、自分では治せないと。
病気である自分が嫌だった。
仕事をしてない自分を責めた。
でも、責めても何も変わらなかった。
更年期障害うつになり、仕事に行けなくなった。
落ち込む私に娘は言った。
「おめでとう!これで自由に休める。孫に会えるね」と。
6年前の事である。
私は治る事なく
不安も加わり、薬も増えた。
一昨年まで仕事をしていた父の病気が悪化
介護も経験し
昨年11月に父が亡くなった。
そして家の水道がおかしくなり
使えなくなった。
一人っ子なので
年末年始
飛行機で、やや2時間かかる娘のところて過ごすはずが
10日ほど早めに行く事になった。
父を自宅介護していた時には
毎日、電話をくれ、泣いてしまい
何も出来ない私に代わり
葬儀をこなしていた娘。
でも
今は、意地悪になった。
私は病気の進行と共に、調味料の匂いが駄目になり、料理が作れなくなった。
あまりにも痩せた私に産婦人科の先生は
「作る事にこだわらずに
買ってでも良いから食べて下さいね」と。
高校の頃、お菓子作りが趣味で
料理が好きだった私、料理が出来なくなり買って食べるようになった。
娘のところに来ても、それは
変わらず、私は申し訳ないから
それ以外の家事を引き受ける事にした。
以前は、歩けた家の周りの道も
薬の副作用なのか、わからなくなった。
迷子になったら怖いから
一人で家からは出ない。
慣れない家で
いきなり娘がいないと、不安になるから
出かける時には、声をかけて欲しいとお願いした。一人では、今は、あちこち慣れない道を歩けない事も。
そういう事が
まさか、そんなに娘に疎まれるとは
思ってもいなかった。
仕事なのか
人間関係なのか、他にも娘にはストレスがあるだろう。
ただ、私の願いがすべて
自分への依存に思えたようだ。
そして
それを、ある投稿に書いていたのを見つけてしまった。
以前、私にも投稿を薦めたくらいだから
見るとわかっていて
書いたのだと思う。
悲しかった。
一人で暮らす事を心配して
呼んでくれたと思っていたから。
彼女の生活を邪魔するつもりで来た訳ではなかったから。
私は他の方と同様に
自分の子ども達が大切だ。
もちろん、孫達も。
だから、一生懸命育てて来たつもりだ。
やりたいという事は、なるべくさせた。
送迎もした。当たり前だが、ごはんやお弁当も作った。
やりすぎたのかもしれない。
器用な生き方を出来ないタイプの私は
フルタイムで保育士をし
懸命に子育てをした結果
30代から40代の自分の記憶がないのだから。
そして、今、疎まれるとは。
一回めに彼女の投稿を読んだ時には、涙が出た。
元々、争い事は嫌いだから
彼女との、へ理屈合戦は避けたかった。
また泣いて、彼女のブチギレは避けたかった。
自分を守るために。
でも思った。
私が、ほぼワンオペ育児で育てた子どもが
大人になり
好きな事を仕事にしているのだ。
読書家である彼女から学ぶ事も多い。
セミナーにも出ているから尚更である。
ほぼ、6年、家の中にしかいられなかった私とは雲泥の差である。
そう思う事自体が
彼女には負担なのかもしれない。
でも
私は病気から逃げない事にした。
出来る事と出来ない事がある。
黄門様の様に
「病気」の印籠を掲げる気はない。
認めないと苦しくなるから、出来ないというだけだ。
娘よ
思っているなら
投稿ではなく、直接言ってもらいたかった。
泣くのも病気のせい。
許して欲しい。
大事なあなたが
手に負えないと思うなら
考えないとね。
子育て中のあなたと同じ悩みを持ち
考え、あなたを育てた事だけは
忘れないで下さい。
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