4年目後半と5年目

とりあえず書いてみようかと思います

4年目の後半に本職の土木の部署に戻ってきました
戻って1発目で市発注の水道工事を担当することになりました
一応、私と2回りくらい年上の上司と担当することになったのですが

正直、今でもトラウマになるくらいしんどい現場でした笑

なぜなら

・1〜4年目までにやったことがまるで役に立たない。てかそもそもやってることが違うからわからない
・上司が、なかなか放置プレイかます人で教えてくれない、コミュ二ケーションとれない
・わからないから出来ない、聞いてもまともに教えてくれるわけでもない→どんどん時間なくなる、追い込まれる、上司に怒られる
・そして、何故か会社の中で自分の評価が最低になってる

て感じでめちゃくちゃ病んでました笑

今思えばほんと良くやったな自分って感じだし
私も悪いとこあったなとかいろいろ振り返るところはあり

いろいろ考えさせられる現場でした

うん、ここまで書く中でいろいろ思い出しながら書いてるのですが

いい思い出があまりなく
むしろすごい嫌だし腹が立つことばかりでした笑

徹夜はざらにしたし
誰も手伝ってくれないから夜中の3時に幹線道路で車が走ってなのを狙って1人でマンホール開けて測ったり
30連勤したり

嫌なことも言われたし

今じゃパワハラやら何やらで絶対NGなことだらけだったと思います笑

それが当たり前なんだからそりゃ、建設業は人は残らないよと思いました笑

まぁなんやかんやで5年目の途中でその仕事が終わって
次はソーラーパネルを設置するとこの大規模造成とかを、1人でこなしていたのですが

あのトラウマレベルの現場を終わらせたので
全然余裕でした笑

いろんな人にりりりは仕事ができないやつ
みたいなことを思われていたり噂が流されていたそうですが

いろんな人の期待をいい意味で裏切ったみたいです笑

この辺りから急に工事現場の全部の管理をやるようになりました

これを、言って伝わるかわからないですけど
やっぱ、人間辛い思いやほんとに苦労すると
一皮剥けると言うか急に視野が広がると言うか

2つ3つ飛び越して成長した感がでると思うのですがまさしくそんな感じの年でした

2度とやりたくないけどやってよかった苦労してよかったと思いました

そしてもう一つ
私は後輩にはこんな辛い思いさせたくないと思いました
成長するのはいいことだけどやり方が少しキツすぎると思いました
正直私は本当に嫌で道路に飛び込もうとしましたし笑

こんなに苦労しても結局はその時の上司次第で最低の評価にもなる ということを学びました

この時の経験が後々に自分の考え方にも直結しました

とりあえず4年目、5年目は普通の監督か3年かけて覚えるものを半年ぐらいで濃縮してやったような感じでした

うまくまとめれないのですがそんな激動の年だったと思います

以上です。
寝ます

次は5年目後半から6年目のことを書きたいと思います
また、この時も挫折しました笑

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