街とくらしの記憶

静岡県湖西市生れ、鉄道模型(N、16番、ナロー)を細々と楽しんでいた元モデラー(の端く…

街とくらしの記憶

静岡県湖西市生れ、鉄道模型(N、16番、ナロー)を細々と楽しんでいた元モデラー(の端くれ)。諸事情で続けることが難しくなったため、現在はこれまでにレイアウト製作用に撮り貯めた写真をモデラーの方々のお力添えになればと、資料用として公開中。

最近の記事

形態、構造別に見る遠州・三河の看板建築1

今までの記事を読み返すと、やはり全体に分かりづらかったと感じるので、現在も手元にあるRM MODELS誌や鉄道模型趣味誌などの連載記事を参考に今後はよりわかりやすくなるように模型やちょっとしたイラスト等を用いることとし、地域ごとでは無く、形態や構造による分類とすることとしてみた。 そもそも看板建築とは何か。 皆様方も「看板建築」という言葉自体は聞いたことがあるかもしれないが、どういう建築様式を指すのか、深く考えた事はない方々が多いであろう。 看板建築という言葉が生まれたの

    • 三河地方 古民家めぐり2

      前回より三河地方の古民家をご紹介。 寄棟屋根の日本家屋 (愛知県豊橋市八丁通) 二階建て切妻屋根の日本家屋 (愛知県豊橋市八丁通) 平屋建ての日本家屋1 (愛知県新城市大海) 平屋建ての日本家屋2 (愛知県新城市大海) 中二階のある日本家屋 (愛知県新城市大海) 平屋建ての日本家屋3 (愛知県新城市下吉田) 二階建て切妻屋根の日本家屋1 (愛知県豊川市牛久保町) 左右対称の日本家屋 (愛知県豊川市牛久保町) 平屋建ての日本家屋4 (愛知県豊川市

      • 愛知県東部の昭和の集合住宅2

        前回に引き続き、愛知県東部の昭和の集合住宅をご紹介したい。新城市や豊川市、田原市には古めかしい長屋が多数残っていた。その一部を紹介したい。 三軒長屋(愛知県新城市杉山柴先) JR飯田線沿線にあった木造2階建ての長屋。 駐車場に車が駐車しており、人が住んでいるような感じだった。 三軒長屋2(愛知県新城市宮ノ西) JR飯田線、新城駅近くにあった建物。喫茶店と居酒屋が入っている。2軒共に撮影時点では営業しているようだった。居酒屋の方は2023年1月現在も営業中。喫茶店の方は

        • 遠州地方 古民家めぐり2

          廃屋1(静岡県湖西市吉美) 平屋建て日本家屋1(静岡県湖西市鷲津) 平屋建て日本家屋2 (静岡県浜松市浜北区於呂) 二階建て切妻屋根の民家1 (静岡県浜松市浜北区於呂) 廃屋2(静岡県浜松市天竜区二俣町) 二階建て入母屋屋根の民家1 (静岡県湖西市古見) くんま水車の里界隈の古民家 (静岡県浜松市天竜区熊) 二階建て寄棟屋根の民家 (静岡県浜松市天竜区渋川) 二階建て入母屋屋根の民家2 (静岡県湖西市新居町) 中二階のある民家1(静岡県湖西市新居町

        形態、構造別に見る遠州・三河の看板建築1

          三河地方 古民家めぐり1

          今回は愛知県の三河地方にて撮影した古民家をいくつかご紹介。 豊橋鉄道市内線沿線の日本家屋 (愛知県豊橋市東雲町) タバコ屋 共楽園(愛知県豊橋市下地町) 二階建て切妻屋根の日本家屋1 (愛知県豊川市豊川西町) 平屋建ての日本家屋 (愛知県豊川市豊川西町) 中二階がある日本家屋 (愛知県新城市長篠大門) タバコ屋(愛知県新城市長篠貝津) 二階建て切妻屋根の日本家屋2 (愛知県新城市乗本) 商店(愛知県新城市乗本) 二階建て切妻屋根の日本家屋3 (愛知県新

          三河地方 古民家めぐり1

          遠州地方 古民家めぐり1

          私が模型製作用の参考資料として外出先でコツコツ撮り貯めてきた古民家や文化住宅の写真の数々から一部を抜粋して抜粋地域ごとにご紹介。 ただし、これまでにご紹介してきた看板建築や集合住宅に比べるとあまりにも数が多いため詳細な説明は勝手ながら省略させていただくこととしたい。 文化住宅(静岡県湖西市鷲津) 廃屋1(静岡県浜松市北区三ヶ日町) 中二階のある民家(静岡県湖西市山口) 二階建ての農家(静岡県湖西市山口) 平屋建ての農家(静岡県湖西市山口) くんま水車の里界隈の古民

          遠州地方 古民家めぐり1

          愛知県東部の昭和の集合住宅1

          今回は愛知県豊橋市にて撮影した昭和の集合住宅をご紹介したい。 木造アパート1(愛知県豊橋市下地町) 豊川に架かる吉田橋を越え、県道400号線を北上した辺りにあった木造アパート。 名称は不明。 木造アパート2(愛知県豊橋市入船町) 豊橋鉄道渥美線、柳生橋駅から西に数キロの場所にあった木造アパート。こちらも名称は不明。 木造長屋(愛知県豊橋市下地町) 冒頭のアパートと同じ下地町にあった木造長屋。 すでに人は住んでいないようで、資材置場のようになっていた。 木造アパー

          愛知県東部の昭和の集合住宅1

          静岡県西部の昭和の集合住宅2

          今回も引き続き、静岡県西部にあった昭和の時代から残っていた集合住宅の数々をご紹介したい。 二軒長屋1(静岡県浜松市浜北区) 浜松市の新浜松駅と西鹿島駅を結ぶ遠州鉄道沿線に2軒建ち並んでいた長屋。外壁は下見板張りで、かなり古い建物とみられる。 イゲタヤ荘(静岡県浜松市南区) 浜松駅から西ヘバスで20分前後、MEGAドン・キホーテ浜松可美店のほど近くにあった立派な木造アパート「イゲタヤ荘」こちらもかなり古い建物とみられるが、撮影時点ではまだ人が住んでいるような雰囲気だった

          静岡県西部の昭和の集合住宅2

          静岡県西部の昭和の集合住宅1

          今回は時代と共に新しいマンションやアパート等が増えていく中でもしぶとく生き残ってきた、昭和の集合住宅の数々をご紹介したい。筆者の故郷である静岡県湖西市にて撮影したものである。 四軒長屋廃墟(静岡県湖西市鷲津) 最初の看板建築のページにて紹介した「やまや商店」のそばにあった平屋建て長屋の廃墟。窓も割れていたり、窓枠ごと無くなっていたり、裏側には草木が生い茂っていたりと住人がいなくなってから永い年月が経ったことを感じさせる。2016年頃まで残っていた。 文化住宅(静岡県湖西

          静岡県西部の昭和の集合住宅1

          愛知県東部の看板建築2

          前回に引き続き、愛知県東部の看板建築をご紹介していこう。今回は豊川市、蒲郡市メインにご紹介。 大衆食堂・河精(愛知県豊川市西本町) 豊川市西本町にあった大衆食堂「河精」平屋建てで、丁字路の角に建つ、いわゆる「角店」や「角屋」と呼ばれるもの。このお店も今はない。 食堂・旭亭(愛知県豊川市西本町) こちらも大衆食堂「河精」と同じ西本町にあった 食堂「旭亭」タイル貼りの壁が特徴的。 グーグルマップの情報によれば2023年1月中旬現在も営業中。 旭亭 ドリンク斎藤(愛知県

          愛知県東部の看板建築2

          愛知県東部の看板建築1

          ということで、今回は愛知県東部、豊橋市および田原市にあった看板建築をご紹介していこうと思う。 カネイワ(愛知県豊橋市) 愛知県豊橋市花園町界隈にあった、凝った造りの物件。業態は不詳。 洋風料理・光富久(愛知県豊橋市新本町) 昭和4年創業の老舗洋食店だという「光富久」 地元でも有名なお店。 奥山電化(愛知県豊橋市東脇) 日立の旧ロゴマークと赤+黄色のファザードが目を惹く「奥山電化」 窓ガラスにポスターが貼られているところから見て、おそらく撮影時点ではまだ営業していた

          愛知県東部の看板建築1

          静岡県西部の看板建築2

          今回も引き続き、静岡県西部にあった看板建築を紹介していこうと思う。初めは純粋に参考資料程度に古い建物を何軒か写していただけであったが、この頃から筆者自身も、ふたつとして同じ形の存在しない看板建築の面白さに段々と惹かれてゆくようになっていった。 太田屋食料品店(静岡県湖西市新居町) 江戸時代からの姿を今に留める旧東海道の新井関所から徒歩数分ほどの場所にあった「太田屋食料品店」こちらはグーグルマップの情報によれば2022年冬の時点ではまだ営業中である模様で、スーパーが出来ても

          静岡県西部の看板建築2

          静岡県西部の看板建築1

          第一回は昭和の時代のお店といえばコレというべき看板建築について紹介させていただく。 看板建築とは、日本家屋の正面部分を一枚の看板のように装飾した建物のことであり、関東大震災からの復興期に生まれた様式であるといわれている。この装飾をファザードと呼ぶ。因みに「看板建築」という言葉は1975年(昭和50年)に建築史家の堀勇良らによって名付けられたという。今回は筆者の生れ育った静岡県湖西市にて撮影した看板建築をいくつか紹介したい。 村田屋(静岡県湖西市鷲津) まず第一号は筆者であ

          静岡県西部の看板建築1

          当ブログのテーマときっかけ

          当ブログは、簡潔に説明すると、筆者の故郷である静岡県湖西市をはじめ、東海地方の町並みや古建築の写真をまとめたものである。 きっかけはかつて、鉄道模型のレイアウト製作時に建物キットを組んだり、手を加えるためのネタ探しとして、地元にあった古い民家や看板建築等々を写真に収めていたものが原点である。しかし、その後の諸々の事情で模型趣味を続けることが難しくなり、コレクションのほとんどを泣く泣く手放すなどしなければならなくなってしまった。当然、そこで撮り貯めた町並みや建物の写真も活躍の場

          当ブログのテーマときっかけ