菅原和右衛門(ノーティスト)

柳宗悦翁が「民藝」を確立したことに寄せて、一国民の民芸としての文章道に邁進することで、…

菅原和右衛門(ノーティスト)

柳宗悦翁が「民藝」を確立したことに寄せて、一国民の民芸としての文章道に邁進することで、己れを淘哉したいと考えています。点滴穿石(点滴石をも穿つ」ごとく、「詩」の紡ぎと「論」の掘削は続けられなければなりません。マガジンのレーベル名は「SungerBook」。noteで奏でています。

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疾駆するエレガンス ─ 不破聖衣来

〈SungerBook-男とスコーン5〉 今年の2月頃、たまたまアップされてきた駅伝の動画を見たら「6人抜き」との表示がありずいぶん速い選手がいるものだと思い、見入っていました。それで、初めて知ったのが、不破聖衣来(ふわせいら)という選手でした。名前からして負けそうにない。 その動画は、実況中継するアナウンサーがいたし、解説は高橋尚子氏でしたので、テレビ放送されたものをキリヌキとしてYouTubeにあげたもののように思えました(それともTV局によるもの?)。高橋の解説がある

    • 私自身のための広告

      〈SungerBook-男とスコーン8〉    このタイトルを目にして、ノーマン・メイラーの「ぼく自身のための広告」を想起する人は多いのではないでしょうか。とはいえ、若い人で知る方は多くはないのかもしれません。私自身、確か十代の終り頃にメイラーを知ったと記憶します。三島由紀夫と同時代のアメリカの作家というような印象です。特にアメリカ文学に傾倒するようなことはなかったので、作品を知ることもなく、ただある種の濃厚さとともに、「ぼく自身のための広告」とは人を喰っているような節があ

      • ノーティストの見た夢

        〈SungerBook―男とスコーン7〉 私が前々回(4/15)投稿した記事「こんな肩書き嫌だ。どんな肩書き?」で、それまで使っていた自分のブロガーという肩書きをノーティストに改めたことを述べました。その頃たまたまnote記事でnoterという表現を見たことが契機となったしだいです。 ノ―ティストに憧れて この「ノーティスト」が、思いがけず私を刺激してきて、予定外に本稿を書かせています。 アーティストのような芸術家的な語感と、表記はnoteとの繋がりを想起しやすくして、

        • 進撃のおじいちゃん

          〈SungerBook―男とスコーン6〉 「男とスコーン」とは、連作エッセイのタイトルとして考案しているものです。その意味合いは、説明的に紹介することによってではなく、何作か積み重なったところで、なんとなく感じられるものになればと構想しています。とはいえ、スタートラインにつくにあたり、向かうべき方向を確認しておきたい気持ちがあります。 シリーズタイトルについて「解説」のように語り始めたら、それだけで際限なく話が展開しだすような気もします。ここはストイックに抑制すべきところ

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        疾駆するエレガンス ─ 不破聖衣来

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        • SungerBook 舌鼓(したつづみ)
          4本
        • SungerBook キャッツアイ
          6本
        • SungerBook 男とスコーン
          8本
        • SungerBook 萌え町紀行
          8本

        記事

          こんな肩書き嫌だ。どんな肩書き?

          「notest」はどうでしょう。 たまたまあるnoteの記事を読んでいたら、noteを書く人の呼び方、肩書きを扱っていました。私も興味のあるネタだったので思わず引き込まれたわけです。 私は、今までこのnoteのプロフィールに自分のことを「ブロガー」としています。上記の記事に接して少し考えさせるものがありました。そこでは、noterとかブログライターとか、何案か検討する記事で、結論は出していませんでした。私はnoteもブログも媒体としてしか考えていないのですが、noteがブ

          こんな肩書き嫌だ。どんな肩書き?

          傑作が企画を超えるとき

          ─ 新星、福留光帆との遭遇 「E.T.としての福留光帆」を投稿してから7日過ぎましたが、記事の題材とした二つの配信動画の視聴回数は、 ①前回投稿日現在 177万回→ 今回投稿日現在 196万回 ②前回投稿日現在 298万回→ 今回投稿日現在 344万回 と、驚くような回数の伸びとなっています。私自身いまだに飽きもせずアクセスしていますし、寄せられているコメントを読むと、この現象は私だけではないことがわかっています。一度観た人は、何回となく観てしまっている

          E.T.としての福留光帆

          ─ 大喜利ファンタジーの新世界 いま、日本じゅう福留光帆に罹患している人は大勢いることと思います。私も、こんなことは初めてなので、なぜだろう、なぜだろうと考えているうちに、やっと見えてきたものがあります。それを、以下にレポートしたいと思っています。 2024年春、降臨 私の感覚では2010年代後半ぐらいから動画配信が活況を呈してきて、まずは個人がユーチューバーとして出てき、そのうちその成行を見てYouTubeの世界に既存のTV界から本腰をいれての参入があるのでは、と思っ

          創造の小径へ

          〈SungerBook-キャッツアイ5〉 「文章を書いて生きています」というと「著述業で生活しているのですね」や、「生活のまにまに文章を書く趣味をお持ちなんですね」などという解釈の誤解は起きやすいところでしょう。いずれも「否」と申し上げます。そこをテーマとして叙述することが、この記事の目的であり、表現として完成させることが目標となります。 作家とは誰か 作家と言えば、もっとも典型的なものは小説家というところでしょうか。作家の近所には エッセイストもいれば、コラムニストも

          尊敬の思想

          〈SungerBook-キャッツアイ5〉 ー芸人は松本人志を尊敬できるか 前回のnoto記事で、路傍の掲示板「今月の聖語」から「蒼蠅驥尾に附して万里を渡り」(そうようきびにふしてばんりをわたり)を援用しました。日蓮聖人によるお言葉で、いろいろ考えさせるものがあります。 若いうちから自分の驥尾を見つけ、そこをしっかりとらまえて道を歩めば、もう少しましな人生にたどり着けたかもしれないと思うと自らの不明を恥じるばかり、と言い捨てられるほど簡単に決着をつけるわけにもいかず、過ぎ去

          インテリの品格

          ─ 宮台教授VS正木教授 宮台真司教授の不倫報道に接した時、「またか」と思ったものです。このかたは、かつて 援助交際に絡んでの話題にも上ったことが思い出されたわけです。社会学の専門家として論陣を張る大学教授の不倫を、世間はおもしろがっているようです。 特に、学識と抽象度のある論理展開、しかも強面で、ドスの効いた声で、ほとんど人を押し倒すような語りで煙に巻くその風采は、一例で言えば長く続いたTBSラジオ「デイキャッチ」や、最近ではAbemaTVでの出演などを通じて、よく知ら

          ポストメルヘン

          世界のメルヘンや日本の昔話は、一体どれだけあるのでしょう。いつ読んだり聞いたりしたのか覚えていませんが、心の奥にしっかり刻まれています。しかし、ここでは「ポストメルヘン」として、元々のメルヘンのセカンドストーリーを創作してみました。元ネタを前提にしているという意味では、それを知っている大人たち向けと言えるかもしれません。イソップさんや、アンデルセンさんへのリスペクトはそのままに、新たな世界が拓けないものでしょうか。 ① 月と太陽 「北風と太陽」で、太陽は北風との勝負におい

          聖なる明治神宮

          〈SungerBook-4〉 先般、秋のよく晴れた日に、明治神宮へ行こうと思い立ちました。原宿に行くのは何年振りになることでしょうか。考えてみれば都内にあって、こんなに身近で山深い場所があったと気づけば、無性に心惹かれるのでした。 明治神宮鎮座百年大祭ということで、令和二年は格別の年にあたるようです。邦楽や邦舞など、日によってさまざまな演目が企画されていたとは、後で知りました。大祭の情報がきっかけになったことは間違いありませんが、イベントではなく、明治神宮そのものに吸引さ

          鬼越えの裏窓

          鬼越トマホークといえば、いま、お笑い界の「台風の目」的存在になっているのではないか、そんな風に思うことがあります。このコンビ自身の漫才、コントを見たことはほとんどないのですが、坂井くんと金ちゃんによる動画の企画は、新しい領域を拓きつつあるように感じています。特にお笑いが好きということはないのですが、笑わせつつ、微妙に爪痕が残ります。容貌魁偉の坂井くんと戦国野武士の金ちゃんとの二人が繰り広げる世界は、ちょっとまとめてみようかと思わせてくれます。 喧嘩芸を売りにするコンビのよう

          新説「作者の死」

          〈SungerBook-キャッツアイ4〉 ーロラン・バルトはどこにいるのか 前回の記事(8月30日投稿)「AI時代に回帰する作家論」で必然的にテクスト論に触れることになりました。生成AIが世の作家を蹴散らして文章を書きまくる時代が来るのか、といった辺りを右往左往していたら、テクスト論に出くわしてしまったのです。前回はさほど掘り下げなかったのですが、これがけっこう難物ということが顕現してきました。難物とは、現在も文学世界にまるで毒が回ったかのように利いていて、アポリアにぶち

          AI時代に回帰する作家論

          〈SungerBook-キャッツアイ3〉 上掲は前川裕子画伯作「緑の背景のある猫」 この春頃からチャットGPTが、情報に疎い私にも迫ってきているように感じています。圧倒的なその能力に、何が起きているのかと、ただただ驚くばかりでした。この領域に強い識者たちが動画番組に登場しては、熱をもって語りあっています。プロンプトだの、オープンAIだの、シンギュラリティだの、当方は何のことやら「口をあんぐり」とさせて「目を丸く」させるばかりです。 特に印象的だったのは、落合陽一氏がチャ

          これ陰謀論ですから

          ─ 日本よい国、ヨイサ、ホイサ♪ 日本がこんなにも素晴らしい国だったなんて知りませんでした。今、日々新たな動画があがってきて、日本の良さが外国人目線で語られています。 食では、寿司・天ぷら・お弁当などなど、若いフランス人女性がその美味しさにぞっこんとか、韓国人高齢者がラーメンの味に目を丸くする様は、われわれをくすぐるものがあります。 先般の東京オリンピックの時、五輪村ダイニングルームのメニューの豊富さとか、報道関係者向けの弁当が安過ぎるとか、外国の方々の驚きのコメントがあ