「どうして子供がいないの?」子供の素朴な疑問にどう答えるか
兄夫婦の間には子どもがいません。もう10年も望んでいるけれど。5歳の娘はそれを疑問に思うようになった様子。いよいよ娘と「命」について話すタイミングが来たようです。
【結婚】
◆結婚するということ
まず私は質問してみました。「パパとママはなぜ結婚したでしょうか?」
娘は「!赤ちゃんが欲しかったから!」と元気よく返答。
それを否定してしまうと娘の存在を否定してしまうことになるから、なかなか次の言葉に困りました。うーん。間違ってはいないのですが・・・。
そこで私は、旦那と結婚した経緯について娘に話し始めました。
などです。
※これはわが家の場合なので、”それ以外の価値観がある”こともいずれ伝えていこうと思っています。
【妊娠】
◆赤ちゃんが元気に生まれるということ
「でもね。」と私は続けます。「2人目はお空に逝ってしまったでしょう?」と。
そうなのです。私は死産しています。それは臨月の3日前のコトでした。
いつも通りに妊婦検診に出かけたところ、お医者さんから「赤ちゃんの心臓が止まっています。」と告げられました。意味が分からなくて混乱しました。
それまでの検診で、ひとつも異常はありませんでした。お腹の中で赤ちゃんは生きていたはずなのです。
むしろ他の赤ちゃんより激しいのではないか?と思うくらいボコボコと胎動がありました。なのに、“原因不明の突然死”。受け入れられるまで数ヶ月かかりました。
◆赤ちゃんを授かるということ
私のように、お腹に赤ちゃんは迎えられたけど、元気に生まれてくることができなかった赤ちゃんは他にもいます。全妊婦の中で50人に1人は死産と言われています。
一方で、お腹に赤ちゃんが来てほしいと思っていてもなかなか授かれない人もいます。娘には「だから赤ちゃんがお腹に来て、しかも元気に生まれてくるって奇跡なんだよ」と伝えました。
娘がどこまで理解してくれたか分かりません。でも真剣に私の話を聞いていました。
【出産】
◆何気ない一言が凶器になりうる
きっと娘は幼いので、また同じことを聞いてくると思います。
何度も何度も自分の納得いくまで。心にストンと落ちきるまで質問を繰り返してくるでしょう。
私はそれに根気強く付き合うつもりです。なぜなら、その何気ない一言で傷つく人がいることを知ってほしいから。
私も何度となく、興味本位で聞かれました。
そのころは、旦那が朝から晩まで仕事なので、終日ワンオペでした。双方の両親は遠方に住んでいて孤独な育児。
夫婦ともにフルタイムの就労証明があっても、保育園は20園以上、不合格が続きました。それに加えて、育児は自分の思い通りにはいきません。子どもが泣き叫ぶ度に、自分も泣きだしたいほど追い込まれていました。
子どもが1歳半になったころに、やっと仕事復帰。「また休職なんて考えられない」私はそう思うようになっていました。
そして子どものいない同期は次々と昇格していきます。私はそうなれないコトにも焦りを感じていました。
◆赤ちゃんが元気に生まれないということ
そして2人目を死産した後、周囲からの反応はこのようなモノでした。
(長男の代わりなんていない。あなたたちには分からない)と気持ちがふさぎ込みました。皆がすごく心配してくれていたことや励まそうとしてくれたことは分かっています。
でも私はますます孤独を感じていました。私の気持ちを分かってくれる人などいないのだと。
周りは何の苦労もなく子供を産んでいるように見えました。本当は、苦しい思いをしたのかもしれませんが、悲しい経験ほどわざわざ人には話さないものです。私はうらやましくてたまりませんでした。
なんて、今思えばすごく自分勝手なことを思ってしまっていました。それほどまでに追い詰められていたのです。
◆赤ちゃんを授かるということ
なかなか子どもを授からない兄夫婦は、私以上にどれほど不快な質問を受けてきたでしょうか。気持ちは比べられるようなモノじゃないけれど。
なんて、子持ちの人から言われたことだってあるかもしれません。考えただけで気が狂いそうになります。
娘には、「どうして子どもがいないの?」と疑問に思うときは、私に質問してね。決して兄夫婦には言わないで。その一言がどんなに本人たちを傷つけるか分からないからと伝えました。
【生きるということ】
◆無知の知
長男を死産してからと言うモノ、周囲の人が色々なコトを打ち明けてくれるようになりました。
授からない人、流産した人、死産した人。私が想像していたより"身近にたくさん"います。
何て無知だったんだろうかと思うようになりました。でも自分の身に起こった悲しい出来事をオープンにできない気持ちも分かります。
それからというもの、私は悲しい経験をした人に寄り添っていきたいと思うようになりました。
そのような人の気持ちを理解することまではできなくても、そっと話を聞くことはできると思うからです。
◆30代にして初めて生きづらさを知る
でも「話を聞くよ。」なんておこがましくて。なぜなら、本当にツライとき、苦しいとき、それを人に話すことさえできなくなるのを自分自身が経験したからです。
無理に心をこじ開けようなんて思いません。
もし話を聞いてほしい気分の時は聞きますよ。
話すことさえツライときはそっとします。
最近はそんなことばかりぐるぐる考えて、逆に生きづらくなってきました(苦笑)。
「生きる」って難しいですね。
※最後に※
このエッセイについては、私の体験談に基づく主観で構成されています。価値観は人それぞれであることは知っています。娘が大きくなったら多種多様な生き方について、話をしてみたいです。
~記事紹介~
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?