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西行法師と死生観

初めに

こんにちは。田渕 創ノ介です。Note投稿 第3作目は「西行法師と死生観」についてです。


ほとけには 桜の花を たてまつれ 我が後の世を 人とぶらはば

(もしも私が死んで、弔ってくれる人がいるならば、どうかサクラの花を添えて欲しい)

これは『東方Project』に登場する「西行寺幽々子(さいぎょうじ・ゆゆこ)」というキャラクターが登場する際にエフェクトとして現れる辞世の句です。上記の句は西行法師[俗名は佐藤義清](1118~1190)が詠んだ句でもあります。

平将門を討伐した藤原秀郷の末裔で、鳥羽上皇の警護を担当するハイパー武士集団・北面の武士の1人でもあった超エリートの西行でしたが、彼は23歳の時に突如として出家しました。その理由は、女性との失恋や友人の死など様々な憶測を呼んでいますが、詳しいことは未だ分かっていません。

西行の死生観として見受けられるのは、彼は後に親鸞上人(1173~1263)が説いた「自然法爾(じねんほうに)」というありのまま迎える往生とは反対に、断食によって自らを追い込みながら往生を迎えようとしていました。断食を行うことで当然肉体はみるみるやせ細り、「枯れて」衰えていきます。今でこそ「枯れる」という言葉はマイナスな意味で使われることが多いですが、同時に「物や技術が練れて、深みが増す」という意味もあります。断食はストイックな僧侶達にとって最適な修行法であり、西行の他にも著名な僧侶が同様に行っています。そして約900年経った今現在でも断食は健康法の一環として取り入れられています。

また、西行は生前にサクラの花をこよなく愛していました。彼の歌集『山家集』にもサクラに関する歌が数多く残されています。肉体を追い詰めて、逆に肉体のパワーの高まりを感じた彼は、散り際が最も美しいといわれるサクラの花にシンパシーを感じたのではないでしょうか。最初に挙げた西行寺幽々子は一般的に不明の存在とされている「西行の娘」がモデルであり、彼女のキーヴィジュアルにもサクラの花があしらわれています。

西行は断続的な断食という「計画的な自決」を行い、自身の身体を「枯れ」させて、かえって円熟していった「肉体」と迫りゆく「死」を身近な存在に近づけていくことで、前向きに「死」というものを捉えていたのかもしれません。死の間際になってから死と向き合うのではなく、日頃から死と隣り合わせの状況に追い込んだ西行ならではの死生観ではないでしょうか。

西行法師
西行寺幽々子


参考



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