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【連載小説】韓信 第18話:滎陽脱出

第2部

#創作大賞2023 #オールカテゴリ部門

滎陽脱出

 激しい戦争というものは、概して人を酔わせる。しかし酔い方は人によって様々なものであり、決して社会学的に論ずることのできるものではない。大きな戦果を挙げた者が、突如それをきっかけに居丈高な振る舞いをするようになる例があると思えば、苦境の中で自分の命をまるで石ころのように投げ出すことで活路を見出す例も見受けられる。韓信が趙に出征している間、劉邦の率いる漢の本隊はまさに苦境にあったが、それを救ったのは二人の死士であった。しかし彼らは酔っていたのではない。彼らは決して自暴自棄になっていたのではなく、冷静な判断力を持っていた。自らの能力の限界を知っていた彼らは、死を選ぶことによって自らの名を高貴なものにすることができたのである。


 韓信がカムジンを誅罰したことにより、皮肉なことに兵の間にはよい意味での緊張感が生まれ、より軍隊らしい組織になっていった。綱紀が粛正されたのである。

 趙の民衆はそれを評価するようになり、次第に恭順の意を示すようになっていった。

 しかし当の韓信は決してそれを喜んだわけではなく、カムジンを失った悲しみは容易に癒されるものではなかった。何をするにも物憂く、思考も集中力を欠く。規律を正した兵たちとは逆に、指揮官の韓信は行動力を欠くようになっていった。

 カムジンを斬ったのは、明らかに見せしめである。それが効果的であったことは確かだが、自分にとって失ったものが大きすぎるように思えたのだった。


「将軍……お気持ちは察しますが……どうかご自分を責めずに……」

 蘭は韓信を慰めようとしたが、その口調もいつもより精彩を欠く。それは今回の出来事が蘭にとっても衝撃的であったことを物語っていた。

「不思議なものだ……幾千、幾万もの命を奪ってきた私が、たったひとりの罪人のためにこうも心を痛めるとは……。私はきっと最悪の偽善者であるに違いない。カムジンをこの手で殺めたことは確かに悲しいことだが、敵兵の命を奪ったときにはこんな感情とは無縁でいられるのだ。どちらも貴重な生命であることには変わりがないのに……」

「なにも不思議はございません。人として正常な感情でございましょう。人というものは死が悲しむべきこととは知っていても、見知らぬ人の死にはまったく心を動かさないものです。天下のすべての人の命が大事なものであることは否定しませんが、そのすべてに感情を動かされていては、とてもまともな精神状態を保てません」

「君の言う通りだ。しかし、私の言いたいことは違う。私はたとえカムジンが死んだとしても、これほど自分が悲しむとは思っていなかったのだ。もっと私は……自分のことを冷淡な男だと思っていた。もっと感情を自分で調節できる男だと……しかし、それは違った。しょせん私も……感情で動く市井の人間と変わらない」

「それでいいではありませんか。感情の量は人それぞれに違うものですが、まったく感情を持たない人というのは、存在しないのです。真に精神的に強い人というのは、感情を持たないのではなく、あらゆる物事に心を揺り動かされながら、それを乗り越えて行動に移せる人のことをいうのです」

「では、私は弱い。……どうすれば、乗り越えられるというのだ」

「カムジンを失ったことは、変えようもない事実……。受け入れるしかありません。将軍もそう思ったからこそ、ご自分でお裁きになったのでしょう? ……ご安心ください。カムジンはいなくなりましたが……おそれながら、まだ私がおります」

「それは心強いことだ。……いや、皮肉ではない。本心だ。しかし、私はしばらくの間休みたい。兵たちにも相互に休息を取るよう、指示してくれないか」

「将軍……」


 韓信は、それきり奥の部屋にこもってしまった。

 そしてそれから約半年の間、目立った行動は起こさなかったという。

 これに前後して韓信が趙を討伐し平定に奔走する間、劉邦率いる滎陽の漢軍は決断を迫られていた。


「脱出しましょう」

 策を献じたのは、陳平であった。かつて楚軍に反間を潜入させ、内部から切り崩しを試みた男である。

 しかしその策は范増を死に至らしめるなど一定の効果はあったが、きわめて一時的な影響を与えることしかできなかった。

 いま項羽は諸将からの信頼を取り戻し、以前にもまして攻撃を密にしている。

 とはいっても城を直接攻撃するのではなく、城につながる甬道を攻撃して、これを遮断するのである。


 甬道とは塹壕が道のように連なったもので、滎陽城から敖倉につながっており、漢軍はこの甬道を利用して、敖倉に貯蔵された穀物を糧食として城内に運んでいた。

 その甬道が完全に楚の手に落ち、ついに滎陽は食が尽きたのである。


「東門から婦女子を出します。大王はその隙に西門から脱出を」

 陳平という男の策は、常に王道の反対側にあるようで、素直に受け入れることが難しい。このため味方である漢軍の中にも陳平を好まない人物が多いと噂されていたが、これは事実のようであった。


 その噂を裏付けるかのように、このときの劉邦は陳平の策に対して露骨に難色を示した。

「出した女どもはどうなるのだ。いくらわしの命が貴重といえ、殺され、犯されるだけのために女を戦場にさらけ出すのはいかがなものか」


 陳平はしかし、動じない。彼の策には続きがあったのである。

「女どもには甲冑を着せ、武装させます。それによって敵の目をくらましたうえで、降伏を宣言するのです。大王はその間に脱出なさってください」

「なんと! 降伏だと」

「……私はこの時のために、大王の替え玉になる人物を用意しておきました。この者に偽って楚軍に降伏する旨を伝えさせます」

「その間に逃げよ、というのだな。しかしそれではその者は……」

「死にます。確実に」

「むむ…………」

 劉邦は言葉を失った。しかし陳平は畳み掛けるように話し続ける。彼なりの熱意がそこに込められていた。

「目の前に現れた大王を称する人物が偽物だと知り、なおかつ降伏が偽りだと知った項王は、怒り、我々を追おうとするでしょう。それを阻止するために滎陽には最低限の守備隊を残しておきます」

「! いまでさえ滎陽を支えきれないのに、少数の守備隊で支えきれるわけがない。守備隊の連中は……」

「十中八九、死にます。あるいは早めに大王が兵力を回復し、反転することができれば彼らを救うことができましょう。しかし、現実的に無理です。彼らも死にます」

 劉邦はさすがに戸惑い、作戦に許可を与えることを躊躇した。


 自分のために死んでくれる者がいることには、正直助かる。もともと王なのだから臣下に自分のために死ね、と命令を出すことも可能なのだが、そもそも王としての責務は臣下なり領民なりに生と食を保証することにある。

 もちろんそれは程度の問題であり、少なからず臣下は自分のために死ぬものであると理解してはいても、罪もない者に死ぬとわかっている任務を与えることには一人の人間として抵抗を感じざるを得ない。


「迷っていらっしゃいますな……。おそれながら大王、お覚悟が足りませぬ。王という地位はそれだけ重いのでございます。臣下がそれを理解し、自らの命を大王のために捧げようとしておりますのに、大王ご自身がそれを理解していないようでは、彼らが哀れでございます」

 陳平はこのときすでに人選をすませており、二名の士卒を劉邦の前に引き合せた。

 一人はその名を紀信(きしん)といい、もう一人は周苛(しゅうか)といった。ともにまだ三十歳にもならない、未来ある若者であった。


 劉邦は、二人の顔をまじまじと見ると、やがてため息まじりに問い始めた。

「お前たち二人は、死を賭してこのわしを守ろうとしているそうだが……その気持ちはありがたい。しかし、お前たちに直接恩賞を与えることはできん。なぜかと言えば……お前たちは死ぬからだ。そこで問う。わしは何をもってお前たちの忠誠に報いればよいのか。そして……お前たちはどこまで本気なのか」


 紀信は劉邦が戦場に身を晒すとき、その戦車に陪乗することを任務としていた。

 劉邦の戦車は必ず夏侯嬰が御者として操縦する。また、矛(ぼう)などの長柄の武器を用いて主に劉邦の身を守るのが、参乗の樊噲であった。紀信は弓を使って樊噲の矛の届かない範囲の敵を射つのが役目であり、職名は乗長である。

 身分の上下関係からいえば、高位な順に乗長、参乗、御者の順であり、紀信がいちばん上位であるはずである。しかし、夏侯嬰と樊噲は漢軍の重鎮中の重鎮であり、高貴さの度合いからいって紀信などは及びようもない。

 ここで本来の上下関係に逆転現象が起きた。乗長の紀信がいちばん下っ端とされたのである。

 しかし、当の紀信はそれを不満に思ったことはなく、これを当然のこととして受け止めていた。それというのも、車上から放つ彼の弓矢は敵兵に命中することがまったくといっていいほどなかったのである。


 彼は、幼いころから何をやっても人並み以上にこなせたことがなかった。

 家業の農作業を手伝っては、鍬や鋤の柄を一本残らず折り、使い物にならなくした。技術を要する仕事には向かないかもしれないと考えた両親が学問を勧めたが、同じ間違いを何度もしてばかりであった。遊び仲間と駆けっこをしても常に誰よりも遅く、力比べをしても彼が勝てる相手は三歳も年下の相手しかいなかった。

 そんな彼が唯一自慢できるのは、度胸の良さである。何ごとにも他人より先に挑戦する気概だけは人一倍あるのだが、残念なことに挑戦の結果は、すべて周囲を落胆させた。だからこれは度胸が良いというよりは、単に向こう見ずというべきだろう。自分の能力の限界を見極めずに物事に取り組むあたり、自己を客観視する能力にも欠けていたかもしれない。

 結局唯一の自慢の種も他人に笑われる原因となったのである。

 人は彼のことを陰で「能無し」と呼び、彼の家族は不器用な息子になにも期待をかけなかった。

 父は紀信の顔を見れば溜息を漏らし、母は常に小言を繰り返す。兄に至ってはなにも言わず、ただ冷笑するだけであった。

 嫂とは話もろくにしたことがなかったが、陰で自分のことを「穀潰し」と呼ぶのを耳にしたことがある。これは彼にとって「能無し」よりも屈辱的な言葉であった。


 長じて漢軍に属してからも、たいして状況は変わらなかった。夏侯嬰の馬の制御力、樊噲の武勇の陰にかくれ、へたくそな弓を引き絞り、無駄に矢を消耗する日々が続いた。彼が持ち場を変えられなかったのは、豪勇を誇る樊噲がいる以上、弓手の存在自体がさして必要ないからだけであった。

 いてもいなくても構わない存在、というのが紀信の自他ともに認める評価である。


 しかし、男としてこの戦乱の時代に生まれた以上、いつまでもそんな自分でいたくはない。彼は家族からは白眼視され続けたが、それなりに育ててもらった恩義は感じていたので、仕返しと恩返しを同時に願った。

 つまり、穀潰しと呼ばれた自分の軍功によって家族が養われていくことを狙ったのである。

 紀信は陳平の前に突如参上すると、一計を献じた。

「事態は急を要します。私が楚を欺き、漢王と称して降伏を申し出るとしましょう。その隙に大王は滎陽を脱出されるのがよろしいかと……」

 さして能力もなく、自分自身に成長も見込めなかった紀信にとって、軍功をあげるためには自分自身の命を投げ出すことしかなかったのである。


「私は、勇すくなく、才乏しき身。これ以上生きながらえたとしても大王のお役に立てることは少なかろうと存じます。よって、このたびの策に志願したのですが……事が成就した暁には、国もとの私の家族の安全を保障していただきたく……将来大王が天下を治めるに至った際には、賦役も免除してやってほしいのです」

 紀信は遠慮がちではあるが、それでもあからさまに自分の希望を劉邦に伝えた。

 沛のごろつきで、やはり一族から疎まれてきた劉邦にとって、紀信のような男が家族からどう扱われてきたか、想像することは簡単だった。

――こいつは、家族に感謝しているのではない。見返してやりたいだけだ。

「約束しよう。思い返せば、お前はわしの戦車に乗りながら、ついに敵兵の一人も仕留めることができなかった。しかし、それはもうよい。忘れろ。わしもそのことは忘れることにする。……いまからわしはお前のことを不器用な弓手としてではなく、忠節の士として記憶に刻むことにする。お前の家族もきっとお前を一族の英雄と奉らねばならなくなる」


 周苛は沛の城下に生まれた。

 そして青春時代に劉邦と巡り会い、雷鳴に打たれたような衝撃を受けた。しかしそれは決して良い意味ではない。

――世の中には、こんな男もいるのか。

 劉邦は沛の城下の酒場に入り浸っては、いつもツケで酒を飲み、それでいて金を払う意思はまったく無かった。酒場の主人からはさぞ煙たがれる存在であろうと思われたが、想像に反して彼らは喜んでいたという。

 劉邦がいる店には、彼を慕う者が多く集まり、そのおかげで酒場の収支は黒字になるらしい。劉邦自身は金を払わないが、取り巻き連中の支払いが、その損失を埋めてくれるのである。


 些細なことではあるが、謹直を旨として人生を歩んできた周苛にとっては、信じられない世の中の矛盾であった。


――世間というものは、真面目な者だけを受け入れるものではないらしい。

 周苛は、劉邦のそばについてその生き方を学びたいと考えるようになった。謹直な者ゆえの思考回路であろう。やがて劉邦が挙兵し、泗水郡一帯を平定した際に、周苛は劉邦の食客となった。

 もともと自分が武勇に長じた男でないことは、周苛も自覚している。食客とは主人から経済的援助を受けるかわりに、さまざまな形で主人の行動を助け、時には生命をかけてその危地を救わねばならない存在である。ところが謹直なこと以外にとりたてて取り柄のない周苛には、主人の劉邦の危地を救う機会が訪れなかった。


 それにも関わらず、劉邦は漢王となると、周苛を御史大夫に任命した。

 御史大夫とは、王の側近中の側近で、政策の立案やその執行状況を管理する副宰相格の地位であり、これは破格の待遇というべきものである。

 劉邦は常にてきとうな態度を構えながらも人を見る目に濁りがなかった、と言われているが、このときも謹直な周苛に対してその能力に応じた地位を与えたのだろう。


「身分不相応な待遇を与えられながら、その知遇にこれまで応えられず、大王を後悔させること久しい私ですが、ようやく長年にわたる恩義に報いる機会に恵まれました。滎陽の守備には不肖私が将を務め、一命をもって大王のご脱出の手助けをいたします」

 真面目な周苛らしい整った口上である。しかし、この周苛の言を劉邦は喜ばなかった。

「お前を厚遇したのは、ここで死なせるためではなく、のちのちお前には活躍の場があろうと思ってのことだ。確かにお前には陳平のような人を誑かす謀略の才はなく、張良のような壮大な軍略もない。そして韓信のような軍の指揮能力もないが、お前の忠実で誠実な人柄は人民を統治するにあたって、必ず役立つのだ。活躍の場を間違えるな。お前は平時にこそ必要な人材だ」


 周苛は首を横に振りつつ、自嘲気味に答えた。

「おそれながら、平時に有用な人材は、私でなければならないということはなく、他に代替えの要員がいくらでもおりましょう。私が思うに、韓信将軍などは政務をとらせても、おそらく人並み以上にはこなせます。ですが、私に彼の代わりは務まりません」

「それを言うな。韓信の代わりになるような男など、そうそういない」

「わかっております……人には人それぞれの個性があり、能力もさまざまなものです。私は若い頃、大王のおそばで大王の生き方を学ぼうとつとめた時代がありました。また、先の韓信将軍の武功を耳にするにあたり、どうしたら自分に彼のような活躍ができるのか、思い悩んだ時期もありました。しかし、やはりしょせん私は私……。大王の真似をしようと思っても、韓信の真似をしようと思っても、どだい無理な話です。私は大王のおっしゃる通り、忠実で誠実なだけが取り柄の男。どうか大王にはそれを私に証明させる機会をお与えになり、私に滎陽で死ね、とご命令ください」

「……そんな命令は出したくない。考え直せ」

「しかし、私がやらなければ、他の誰かがやらねばならない任務でありましょう。にもかかわらず、どうしてもご命令くださらないとあらば、私は大王に信用されない立場を恥じて、いまこの場で死ぬことにします」

 周苛はそう言って、腰の剣を抜き、それを迷わず首に当てようとした。

「待て! ……仕方ない、命ずる。そのかわり他に副官を任命するゆえ、お前は可能な限り生き残ることを考えるのだ。これこそが、命令である」


 劉邦は滎陽の守備に周苛に加え、樅公(しょうこう)、韓王信、そして魏豹を残すことにした。

 しかし、のちに周苛は他の将と共謀し、魏豹は反覆常ない男で信用できず、共に戦うことはできないとして、殺害した。

 これは彼のこの局面にかける思いが尋常でないことを象徴する行動であった。


 その日、滎陽の東門が開き、中から二千人ほどの部隊が突出を始めた。楚兵たちは突然の展開にみな首を傾げたが、包囲している側としては、期待していた事態である。一斉に攻撃を始めた。

 しかし漢兵たちは抵抗もろくにせず、散り散りになって逃亡するばかりである。

 楚兵たちが追いかけてその姿形を確認してみると、どれも甲冑に身を固めた女であるらしかった。


 いぶかった楚兵たちが状況を把握できないでいるうちに、彼らの前に目にも眩しい黄色い布で全体を覆い尽くした車両が現れた。その車両は随所に牛や犛牛(ヤク)の尾を飾りとして施した大旗を靡かせており、いわゆる黄屋車(こうやしゃ)という漢王劉邦の専用車両であった。


「余は漢王である! いま余と余の軍は、城中の食が尽きたため、休戦を申し出る。戦闘をやめよ! 余は楚に降るであろう」


 楚兵たちはこれを聞き、みな感動して万歳を叫んだ。

「ついにやったぞ」

「これで国に帰れる」

 兵たちは武器を捨て、互いに抱き合い、無邪気に自分たちの勝利を信じて喜びを表現した。

 その隙に甲冑姿の女たちは四散して残らず姿を消した。

 あとには黄屋車だけが残った。

 しかしその車両も項羽の本陣までたどり着くと、主人の漢王だけを残し、滎陽城に引き返していった。


 知らせを聞き、奥から姿を現した項羽は目の前の男を見るなり、激怒した。顔中に広がる憤怒の色を隠そうともしない。

「貴様、漢王ではないな! 何者だ!」


 漢王を称したその男は、項羽の面前で付け髭をとり、上げ底をした履物を脱ぎ捨てた。そうするとまるで王の貫禄などはなく、意外なほど小男だったのである。

 項羽の周囲の者は、あっけにとられた。


「我こそは、漢王を詐称する逆賊紀信である! 楚の馬鹿者ども、その濁った目にこの姿をしっかりと焼き付けておくがいい!」


 項羽は頭に血が上り、相手の胸ぐらをつかんで恫喝した。

「貴様がどこの誰だろうと関係ない! 劉邦はどこだ」

「お前が何者だと聞くから答えてやったのだ。劉邦の行方など知らぬ!」

「この……無礼者め!」


 項羽は紀信を突き放し、唾を吐き捨てるように言い放った。

 しかし紀信はその様子を笑い、からかうようにして跳ね回る。

「お前がいくら腹を立てても無駄だ! すでに漢王は滎陽にはおらぬ。やい、項羽の馬鹿め! 人殺し! 鬼!」

 項羽はさらに逆上して紀信を指差し、周囲に向かって叫んだ。

「こいつを焼き殺せ!」



 自分の身が炎で焼かれていく状況を、紀信はあまり観察しないようにした。それを考えると、ともすれば「助けてくれ」と言いたくなってしまう。あと数刻で楽になれる、我慢だ、と思うようにして、あとは未来の自分に対する評価に思いを馳せることにした。


 家族が不本意ながら、幸せな生活を送っている姿が見える。

 ざまを見ろ。 


 兄と嫂が子供たちを囲み、弟の武功を誇らしげに話して聞かせる場面が見える。

 偽善者どもめ。俺はお前らのことが心底嫌いだ。


 それを想像すると不思議なほど気が紛れた。

 体はいつの間にか焼き尽くされ、紀信はそれに気が付くこともなかった。


 紀元前二〇四年七月、紀信の人生は死を目前にした最後の瞬間にのみ輝きを放ち、その蜉蝣のような一生は幕を閉じた。


 紀信が項羽に悪態をついている間に、劉邦や陳平らはごく少数の護衛を従え、滎陽城をあとにした。諸将もそれに次いで段階的に脱出をはかり、彼らはひとまず関中に入り、再起を期すこととなったのである。


 滎陽城には周苛、樅公ら少数の守備隊が残されている。劉邦には彼らを見捨てる気持ちはなかった。

「早く陣容を整え、滎陽を救うのだ」

 言うばかりでなく、劉邦は実際に行動に移そうとしたが、それを止めた者がいる。

「滎陽へ出ては、楚軍と正面から戦うことになり、これまでとなんら状況が変わりません。それよりも武関から南方面に出兵すれば、楚軍は滎陽を捨て置き、そちらに兵を向けることになりましょう」

 劉邦はその言をよしとして、河南の宛(えん)・葉(しょう)という地に出兵し、楚軍をおびき寄せようとしたが、結局滎陽を救うという目的は果たせずに終わった。


 紀信が項羽によって焼かれたのは七月のことで、その後、周苛が魏豹を殺害したのは八月のことであった。さらにそのひと月後滎陽城は攻略され、項羽の手に落ちた。

 周苛を始めとする残存守備隊が滎陽を守り通したのは二か月程度であり、その期間は短いようでいて、長いようでもある。


 劉邦が河南の地に出兵し、陽動を試みたが間に合わなかったことを思えば、短い。

 しかしそもそも食糧難を最大の理由に劉邦が撤退したことを考えれば、周苛らは長期間にわたって滎陽城を死守した、と評価するのが正しいかもしれなかった。

 少なくとも実際に敵として周苛と渡り合った項羽は、そう感じたようである。


「貴公、わしのもとで将軍とならぬか。上将軍として、三万戸の封地を与えよう」

 項羽は引見した周苛に誘いの言葉をかけた。敵を無条件に憎みぬくことを旨としてきたこの男にしては、極めて希有なことである。

 それだけ周苛は奮戦したということで、さしもの項羽も敵将の行動に美を感じた、ということだろう。


 しかし、周苛はそれを拒絶したのである。


「私は、常に勝つ側にいることを望み、敗れる側にいることを望まぬ。つまり、お前は、敗れて虜になるのだ。殺されたくなければ、せいぜい早めに降ることだ。お前など……漢軍の敵ではないのだ!」



 周苛は煮殺された。釜茹での刑である。

 この刑は、他の刑罰に比べて圧倒的に死を迎えるまでの時間が長い。当然被刑者が死の恐怖を味わう時間も長く、それだけに見た目以上に残酷な刑であるといっていいだろう。水温が徐々に上がり、それにつれて死が刻々と近寄るのを実感しながら精神の平衡を維持するのは大変なことで、大抵の者は途中で「助けてくれ」と泣き喚く。


 あるいは項羽は周苛が「助けてくれ」と言えば、助けたかもしれない。

 しかし、釜の中の周苛は、一切そのようなことは口にせず、目を閉じ、無言のまま息を引き取った。周苛は死ぬ瞬間まで自分に取り乱すことを許さず、謹直な男であり続けたのである。


 よって彼がどの瞬間に死んだのか、正確に知る者はいない。


 項羽はあわせて樅公を殺し、韓王信を捕虜とした。ここにおいて滎陽城はその役目を終えたのである。



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