トラウマ治療:ソマティック・エクスペリエンシング(SE)体験⑫ 言葉にならないつらさ、いま大人の自分の幸せも

ソマティックエクスペリエンスのセラピーで、最近の出来事や感じたことを話しているときに、やはり時々、喉がつまるような感じがあって、先生と、その喉が詰まる感じ、時に声がでなくなる感じに注目してみました。

先生から「喉がつまる時、声が出なくなる時は、どんな感じですか?」と聞かれたので、「話が佳境に入ってくるときに、だんだん喉の周囲から狭まってくるような感じがして、喉が締めつけられるような感じ」と答えました。

先生から「アルファベットのVの音で、なるべく低い声で、なるべく長く、ヴーと言ってみましょう」と提案されました。そうすることで、喉(声帯)が振動して、喉の緊張を緩める効果があるので、それをやってみて、そしてどんな感じがするかを見てみましょう、という提案でした。

ヴーと言ってみる、というのは、ソマティックエクスペリエンシングの創始者、Peter Levineの動画にも出てくるし、浅井咲子著『不安・イライラがスッと消え去る「安心のタネ」の育て方 ポリヴェーガル理論の第一人者が教える47のコツ』にも書いてあって、SEでよく使われる手法なので、私も自分でやってみたことがあったけど、今ひとつ効果がわからなかったし、その意味もよく分かっていませんでした。

「ぼぉーーーーー」「ぶぅーーーーー」と声を出す
船は出入港するときに、「ぼぉー」「ぶぅー」という汽笛を鳴らすのを、あなたはご存じですか?
どこか、のんびりした響きで心が安らぐ音です。
実は、その音をまねて声に出してみることで、フロントスイッチ(腹側迷走神経)が育ちます。
「ぼぉーーーーー」「ぶぅーーーーー」と声に出しながら、首の前あたりに手を添えていると、指先に振動が伝わってくるのがわかるでしょう。
このとき、フロントスイッチの通っている咽頭や喉頭、心臓に、良い刺激が加わっています。
耳の中にもフロントスイッチがしっかり通っているので、「ぼぉーーーーー」「ぶぅーーーーー」をしばらく繰り返していると、気持ちが落ち着いていきます。

浅井 咲子『不安・イライラがスッと消え去る「安心のタネ」の育て方 ポリヴェーガル理論の第一人者が教える47のコツ』(p.110)

先生と一緒に何度か、「ヴ―」と言ってみると、先生はずいぶん長く延ばしているのがわかったから、私も真似して長く延ばしてみて、すると子供の頃に、こういう声を出したことがあったような記憶がよみがえりました。いつだったのか、本当にそんなことをしたのかも不明ですが、ただ何となく「子供の頃にも同じことをした気がする」という感覚でした。それを先生に伝えました。

そして何度かそんな声を出しているうちに、急に少し泣きたくなって泣くと、ふと思い浮かんだ言葉が「言葉にならないつらさ」という言葉でした。「ヴー」の音は、言葉ではない、低く響く自分の声です。それを聞いているうちに「言葉にはならないこと、つらさ」という思いが膨らんだのだと思います。
先生にそのことを伝えて、そして自分でも何だかとても腑に落ちるというか、私がこれまでカウンセリングでひたすら過去のつらい出来事を言葉で話し続けても根本的に楽になることがなかったのも、子供時代の苦しかった経験の根底にあるつらさは、決して言葉にはならない、他人に伝えることができないものなのではないかという思い、また過去に文学に対する興味から、言葉のない音楽の世界へ関心が移っていったことも、そしてとても傷ついて根底から揺るがされる経験をしたことも、すべて「言葉にならないつらさ」から起きたことだったのかもしれない、と感じました。

ピーター・リヴァインによる「voo sound」の動画(3:55頃~)

下記動画のレイのケースでも「vooサウンド」のセラピーを行っています。(12:45頃~)


ソマティック・エクスペリエンスのセラピーで、先生から「子供時代の自分(インナーチャイルド)の幸せを考えることも大切ですが、今の自分の幸せも考えられるといいですね」と言われました。

自分の長年の悩みの元は、子供時代のトラウマにあったとわかって、昨年、様々なトラウマ治療を知ってから、子供時代の自分を癒すことに懸命に取り組んできました。目的は、現在の問題を解決するためでしたが、過去に意識が集中していたと思います。子供時代の自分の写真を毎日見て、思いを寄せて、話しかけて、一緒に生活する、ということをずっと続けてきたから。それによって精神的にだいぶ楽になり、落ち着いてきたと感じているのも事実です。だから、この先も続けていこうと思っています。

ただ、子供時代の自分の愛ある親であろうとすることは、私にはとても大切で必要なことであっても、愛ある親になるだけでなく、大人の自分として、今をどのように生きるのか、残りの人生をどう過ごしたいのか、ということも同じように大切なことなのだと感じます。

既に長い年月を生きてきた私は、これまで、それなりに自分の求めていたことをやってきた、という思いもありました。
それでもいつも肝心なところでつまづく、それをなんとかしたくて、原因を探って、やっと自分がひた隠しに生きてきた内面を、どのように扱っていけばいいのかが分かった。つまり、身体へのアプローチが必要だということがようやく分かった。身体へアプローチする最新のトラウマ治療に出会えたことは本当に良かった、そしてこれは人間の苦しみを救うひとつの大きな方法だと思っていて、これに対する学びは続けていきたい。

でも、今まで自分が生きてきた道のり、追い求めてきたことも、もう「魂」をかけたりはしないけれど、それはそれで、この先も、今まで大切にしてきた世界も大切にできたら、と思えるようになりました。これまで自分が求めてきたことが全て無駄だったとか、意味がなかったわけじゃない。今までのことも大切に思いながら、これからどのように生きていこうか、と考えようと思えるようになったのも、ひとつの大きな進歩なのでしょう。

トラウマのセラピーに、きれいな終わり方はできないかもしれない。セラピーに、はっきりしたゴールがあるわけでもない。

幸せは、セラピーの中で追求するだけでなく、日々の生活、新しく出会う人々、新しく取り組む日常のあれこれのなかにも見出し、築いていくことができる。

カウンセリングやセラピーにかけるお金があれば、おいしいものを食べられる。小旅行もできる。そういう今の楽しみも求めていこう、そんな思いが膨らんできました。

セラピーの体験として、まだ書いていないことがいくつかあります。これからそれを書きたいし、そしてこの先も、トラウマ治療の世界の情報を、いま苦しんでいるどなたかのために、過去の自分のためにも、少しずつ書き続けていきたいと思います。

日本のトラウマ治療は、欧米に比べて数十年遅れている、といわれています。
助かる命が助かるように、そのために何か自分ができることをしたい。身体と人間の叡智に感謝をこめて。