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それは全部「側」の話

ここ数日、とてもぼんやりと、私の内側の世界と外界を線引きしはじめている感覚がある。私の内側が事実であって、それ以外は全てが「側」で「私」ではないということ。
リアリストの方や、スピリチュアルなどの話が苦手な方は受け入れにくい内容かと思うので、話半分で(笑)
ツラツラ書きたいので、今回は目次なしで!

地に足「つけられない」状況を傍観する

世の中には「スピリチュアル」というジャンルがあって、それは宗教的とか精神世界とか、そういったものに埋没した人たちを揶揄した言葉のように私には聞こえる。

それは別に個人の感覚とか価値観だから、どう思おうが自由だ。
私は子供の頃から空想家だとか、ふわふわしていると親しい人からは言われてきた。特に親からは「不思議ちゃん」扱いされてきた。

物心ついた頃から自分の状況や感覚を3人分の視点から見る感覚があった。当事者としての自分、それに対して向き合う自分、そしてその2人を傍観する第三者の自分。

さらにいうと第三者の自分がいることを認めて傍観する自分。もう、無限です。ワケワカメ。

今の私はこの世界の捉え方?感じ方にあらたな感じ方が加わって、ちょっとふわふわしています。それがどのような感じ方かというと、


世の中は「側」であって、なんかあるなと捉えられるだけ。そこにドボンっと浸かって生活している自分がいる。はぁ...何かあれこれ、くだらねぇな。


ヤバいやつだなと感じた方、正解です!(笑)でもいいの。もうなんでもいいの。

鬱っぽいのかなと感じたのですが、まぁまぁ元気なのです。でも、この感覚から何週間も抜け出せません。
何というか。これまでいろんなものに心配とか、不安とか持っていたのに、それを感じ続けられなくて、そういう感覚が手から砂が溢れるようにサラサラとこぼれ落ちてしまう。そして残るのは「所詮は『側』じゃねーか、くだらね」と口汚く思っております。

と、そんな自分をさらに傍観している自分もいて、入れ子状態。何なんですかね、これ?

どうも地に足がつかない…はてさて、困った。(困ってないくせにね笑)

みんな自分の世界で生きる

当たり前のことなんだと思うんです、自分の世界で生きるって。
というか、自分の世界で今も生きている。

人それぞれ認知している「色」が違うということは通説だと思うのですが、その通り、みんな見ている世界が違う。その時点でみんな自分の世界と感覚で生きているはず。

それなのに、普通の人は目に見える「側」に合わせて生きていくことが通常コースになっている。
これっておかしくないかい?と合わせられなくなっている。悟りだとかそんなんじゃない。世捨て人な感覚でもない。ただ、自分の中で、自分がすごく大きくなっている。

それじゃあ社会人として、親として、あんたどうやって生きていくのよ!
とガンガン突っ込みが入るのですが、その突っ込みを入れてくるのは紛れもなく積み重ねてきた私の「側」の声であって、私の声ではない。


いやぁ、いい感じにスピってるなと自分を揶揄っている自分もいます(笑)でも、それが私の世界の真実なので、「そうなのよ!なんかそんな世界線にいるのよ私、やばくない?!(笑)」とイジりに対応している本心の私。


こう言ったことに詳しい方、いらっしゃいましたらアドバイスくださいましたら有難いです。
ふわふわしていますが、ちゃんと働いて、子育てして生きております。そこらへんは問題なしです。


生きるって冒険いっぱいじゃんとふざけている反面、はてさて、どうすべきかなこの感覚と、扱いと受け入れ方に戸惑っております。もっとおかしなことは限定公開で書こうかと思います。

もう、「自分贔屓」というテーマはどこ行った?という内容ですが、少しずつ、この自分贔屓についてきちんとまとめたマガジンを作ろうと思っています。

それについては次の記事で、ちょこっと書きます!








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