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まとめ~自己内省と謙虚さの必要性④

エゴイズムとは、面と向かって戦ってはいけない。
勝てる見込みはないし確実に負けるから…

人は弱く儚いものだ。
誘惑に簡単に負けるし、自分やプライドを守るために、平気で嘘をつく。人の想いを踏みにじったり、信頼を裏切ることに、罪悪感すら抱かない人々のなんと多いことか…

エゴイズムは本当に醜い。すべての悪の根源であると言ってもいい。

けれども同時に、人は強く美しい。

絶望的な刹那の混沌の狭間で、ほんの僅かな善人と、勇気ある人々の行動の中、気高き美徳と深い慈愛を感じ、希望いう名の、一筋の光を見出すことも出来る。

ささくれ立った心が救済される瞬間。まだまだ人類捨てたもんじゃない…

そして、過ちは誰にでもあるもの。そこを通らないで来た人々など一人もいないのだから。かくいう私もたくさんの過ちを犯してきた一人。自分が重ねてきたことを棚に置き、誰を責めることが出来ようか。

自分がなんで生きているかと言うと、多くの人々のエゴイズムの皮の下に埋没し、消えかけてしまっている僅かばかりの良心を、まだまだ信じたいからだと思うし、殺伐とした世の中において、灯のように明日への希望を与えてくれる、勇気ある人々や優しさや愛に満ちた人々に、逢いたいと願っているから…

希望の光が見たくてたまらないのは、たぶん私だけではないはずだ。

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さて先に書いた①から③までの話。
②と③にて、モデルケースとして書かせて頂いた方たちの振り返り。

先走って、思い込みで行動しがちな人をAさんとします。

Aさんの場合、
先入観と勝手な思い込みが問題で、そこから決めつけがスタートして、
行動が暴走するってのが欠点で…

結果的に、相手や周囲のためによかれと思っていた行動が、「親切の押し売り」とか「ありがた迷惑なこと」とか「ワンマンな専制君主」になってしまっているのですが、その裏には…役に立つ人と言われたい、相手に感謝されたい、評価されたい、注目を浴びたい… 
と言う、承認欲求を軸としたエゴイズムがあるわけです。

このエゴイズムがエスカレートして肥大すると、単なる自己中な勘違いさんを通り越して、自己顕示欲丸出しの女王様になってしまう。

これを避けるためには、どんなエゴイズムでもそうなんですが…
自分のよくない(過去に作ってしまった)エゴイズムを起動させず助長させず、それらをコントロールするためには…

まず自分が、そのようなエゴイズムを所有していること自体を、きちんと自覚すること。「自分にはそういった欠点(エゴイズム)がある」ってのを認めることが大事なんですね。

エゴイズムとは戦っても勝てないし、エゴイズムは死なない存在なので(人の力では滅せない)、エゴイズムによる騙しの状態から目覚めるためには、自己内省をして、自分自身とその周囲の事象を客観的に見る癖をつけることです(トレーニングをする)。

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自分の弱さや脆さ、短所などを冷静に自己分析して理解して、自分自身に対する知識を身に着けて、足りないところも過剰なところも、善いところも悪いところもすべて認めるところから。ここに否定や批判、ジャッジは要りません。

ありのまま受け入れるだけです。そして、第三者の言葉に聞く耳を持つことです。(耳が痛くて聞けないことは多いでしょうが)

誰しもが批判されるのは嫌いだと思うし、否定されることを痛みと感じるわけで、認めたくないと抵抗を示します。とくにエゴイズムがめちゃくちゃ抵抗するから、自己を正当化して自己弁護に入るというか…これを始めるとエゴイズムが反応(反発)して、反骨精神がむくむくと…顔を覗かせてくるはず。

さて、話をAさんに戻します。

Aさんの短所は裏返して、長所に転じることが出来る性質でもあります。

動機の部分の裏側に、他人から評価されたいという、不純な気持ち(エゴイズム)があったとしても、他人の役に立ちたいという気持ちに嘘はないので。

ここはちょっと矯正すれば、エゴイズムを薄めて、ポジティブな行動のエレメンタルに変換(修正)できるんですよね。

当人が自分のそういった点を「ああ私にはそういうところがあるな」と
「相手の話を聞かずに勝手な思い込みで動いてしまうところが、そこが私の問題なんだ」と、気付いてそこを直そうと思いさえすれば…

そのために、相手ときちんと対話して言葉を交わし、その人が何を望んでいるのか、どう考えてどう思っていて、どのような計画を持っているのか、そのあたりを理解しようと心掛けるだけでいいんです。

ようするに「他人をきちんと理解しようとする」姿勢。何か思いつきや考えを行動する前に、そのことを考える癖を身に着ける努力をする。それだけです。

対話をすればいいだけの話。相手の話にきちんと耳を傾けて、自分の想いや考えも伝えつつ、相手を理解しようとする姿勢さえ持てば、それだけで済む話なんです。ホント。

自分が相手(周囲)に対してしてあげたいこと…ではなく、
相手(周囲)が自分に対して、何をして欲しいと思っているか…
と言う視点で物事を考えられるようになれれば。

そうすれば、勘助勘子的なズレが無くなって、彼女が求めている「評価」が周囲から得られ、相手から感謝されるようになるんですね。

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気持ちの押し付け的押し売りを止めて、正しく物事を見よう(聞こう)とさえすれば、いま表面化しているAさんの欠点は、エゴイズムから離れられて素晴らしい長所になる。

さて… 北朝鮮の将軍サマを、エネルギー的アプローチをすることで、民主主義者に変えたい! そうすればアジアに平和で安泰が戻る。そのための働きかけをやりたい! と、仰っていた方をBさんとします。

Bさんが掲げている理想は、そこだけ聞いていると世界やアジア諸国にとって、素晴らしい試みとも言えるけれども… (それが出来るならみんなとっくにやっとるわ…と言う話は置いておいて。いやさ、実際にそういうのをやっている人はいます。効果が出ているのかは…推して然り)

すべての人にとって良いように見えることでも、本当にそれが世の中にとって、ベストなことなのかは解りません。私たちが考える正義が本当に正しいかどうか…私たちから見て「良くない」とされることで、非常識なことであつたとしても、当事者や他国の人にとって「良くない」ことであるかは一概に決めつけられないのです。それは傲慢な考えで、私たちの価値観の押し付けでしかなく… まあ、確かに北朝鮮はアレな国ではありますが。

でもって、教育とか子育ての理想論とかを唱える人が、自分の家庭が崩壊していて、子育てを失敗している人が少なくないように…Bさんの場合も、お隣の国のことをなんとかしようとする前に、身近なことを片付けるべきでは?ではありました。

と言うのも、Bさんのご主人は共同経営者の人から、酷く不利益で理不尽な状況に追い込まれていたからです。北の将軍様をナントかする前に、この身近な将軍様である共同経営者の人に対して、ナントかするのが先では?
な話の方がとてもシビアな現実。

身近な物事をコントロール出来ないからと言って、代償行為として他のことをコントロールしようとする心理や行為は実のところ、よくあることです。

自分の人生(運命)をコントロール出来ないから、他人の人生をコントロールしようとすることで、自分の人生の欠落を埋め合わせ、自分の力を誇示しようとするっていうエゴイズム。

親が子供に対してやりがちで、もしくは夫婦の関係とか共依存で起こりがちです。自分の仕事を通じて、それをしようとする人も多いですね。

Bさんの場合、過去生でもその支配欲から、たくさん失敗と過ちと罪を重ねていまして、コントロールできないことに対してどうするか…そういう学びが今生のテーマでもありましたが… (あと他人に対する共感性とか同情心とか、ようするに他者に対する思いやりと愛情ですね。その気持ちが欠けているので、ここを養わないといけないのです。人の愛し方を学ばないといけないと言う、だから慈悲と慈愛の行為が根底にある、カルナレイキを学ぶことにストップが掛ったのです)

そういう他者に対する共感性や愛情が未発達で、情緒が育ち切っていない人が知恵はともかく、力を持つことはとても危険なことなのですね。

実際Bさんは自分の好きなアイドルの罪は問わず、その被害にあった人に対しては、無関心そのものでした。そこを何とも思わないのって、人としてダメです。スピリチュアルなワークには向きません。

自分の好き嫌いと自分が考える正義がすべてで、自分が関心のあることだけが重要って段階で、世の中に対する見方が公平では無いのですね。

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Bさんはやはり「自分の考えるところの理想や正義や善が、総ての人にとっての理想や正義や善とイコールではなく、必ずしも良い事とは限らない」
と言うことを理解するべきで…

自分の考えが偏っていて、感情に欠損があること(愛情の示し方や他者への共感性の欠如)、をちゃんと知って、自分の中に「自分の想い通りにしたい」
と言う支配欲や他者への征服欲と言った、エゴイズムの種があることに気付かなければなりません。

そして人を愛すること。他人を理解すること、愛を表現する方法を学んで、世の中を変えるならまず自分から。そして社会をよくするならまずは家庭から。社会悪としての独裁者を変えたいなら、自分の中の独裁者を変えること。そして身近な独裁者を何とかするところから、そこから手を付けるべきなんです。

で…周囲の期待に応える自分を作りあげて、いつでもどこでも周囲に頼りにされる私…を自分で創った自分劇場で演じ続けている人のことを、Cさんとしますが。Cさんに関しては、③で解説しているので割愛します。

いずれにしても「自分は良い事をしている」「自分は間違っていない」
そういう思い込みのエゴイズム。この罠にはまってしまうと、人は謙虚さを失って傲慢になり、人の話に耳を傾けなくなってしまうので、困ったことに
「裸の王様」になってしまった自分の姿には、人はなかなか気づくことが出来ないものです。

今回あげたエゴイズムもほんの一例ですが、エゴイズムは本当にたくさんの種類があって複雑で、自己中さと醜悪さのベールで、その人の本質や良い部分を覆い隠してしまうので、エゴイズム自体イコールその人自身だと、周囲も思ってしまいますし、当人もそれが自分であると、騙されてしまっている人ばかりだったりします。

こういった負のループから抜け出すためには、
内省(自己分析)と観察しかありません。

そして、周囲に起きている出来事、自分の人生での「痛み」や「問題」「苦しみ」の原因になっていることは、自分のエゴイズムが原因であり、それらが具現化されたものであり、自分に「痛み」を与える存在としての人物は、自分自身のまさにエゴイズムの投影なのだと(過去の自分の姿であり写し鏡)
謙虚にその事実を自覚することです。

その上で、「正しい考え方」を身に着けるべきなのです。

でも、一人でこれをするとなると、とても大変です。
ですので「正しい知識」を学んで、導き手となってくれる第三者的な相手が必要になってきます。

そのためにはグループレッスン(複数名で学ぶこと)がとても有意義な時間をもたらす機会となり、短時間で多くの気づきを得ることができます。

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