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才は無くとも生きてはいける

自分語りな日々の日記です。

先日、友人に彼女の胡弓のお師匠さんが昨年参加したライブの有料配信を大画面で見ようよ!! と誘われて、パセラ(私ご用達w)にて「re-connectするシルクロード(Reconnecting Silk Road Musical Journey)」を視聴しました。(カラオケ以外でパセラ利用するの初めてっっ)

日本とシルクロードの伝統音楽の第一線で活躍する演奏家9名による「re-connect:リコネクトするシルクロード」と言うことで、昨年の12月に紀尾井ホールで開催されたものでした。

感想としては、とても良かった!! テレビないし、普段はノートPCでの視聴だから、大画面で音響の良い環境で聞く音楽はたまらないですね。ライブとか全然行けてないし。たまにはああいう視聴方法もいいもんだと、ハイ。ただ室料が安くはないなあ。仕方ないけど。出来たらライブ映像を動画配信もして欲しいものです。難しいのかな、色々と。

音楽っていいものですよね(水野晴郎さん風)。

次回またライブあったら、次は生で聞きたいぞ。

はい。こういうの大好きです。音楽については、専用のblogで好きな楽曲紹介を語っていたりしますが。わりと節操なく幅広くあらゆるジャンルを聞く方です。基本洋楽寄りで、ハードロックファンではありますけどね。フォークロアかつ伝統的な、こうした音楽も大好きですのよ。

音楽好きではありますが、私はもっぱらリスナー専門。歌うことが好きでカラオケは大好きですけども、楽器はからっきし。とにかく才能のかけらもありません。自分からは習おうと思ったこともないなあ…っていうか、親の人間関係の付き合いというやつで、ピアノ教室に通わされたことはありますが、一年で挫折しました。楽譜がそもそも読めないしww  あと、部活で何か入らなくてはいけないってことで、ロック好きな私はギター部を選択はしましたけれど…弾きたいと思わない曲(NSPだったなあ、遠い瞳)が練習曲でなんだかなって、これまた挫折。そんなわけでピアノはお約束の「猫ふんじゃった」と「エリーゼのために」ギターは「禁じられた遊び」と「チャンピオン」で燃え尽きました。

まぁ、音楽の授業でのオルガンとかリコーダーとかカスタネットとか、木琴くらいはかろうじて出来たけど、それだけ。マジ素養ないんです。

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ご先祖様は雅楽やってた(らしい)のにね。雅楽の楽器が代々受け継がれていたという意味だけですが。あと、薩摩藩は藩士たちに琵琶を弾くことを推奨もしていましたし。その意味では音楽好きはご先祖様譲りかも。

歌はね、歌うの好きでしたし、学芸会でキャンディーズ(ランちゃんポジション)歌って調子こいてたり、音楽の先生に合唱部に無理やり入れられたりしたこともあったけど、基本的に目立つのが嫌いだったこともあって、歌手になりたいとか思ったことはなかったですね。好きな歌を好き勝手に自分の歌いたいように歌ってるのが好きで、こー歌えとかあー歌えとか言われるのが嫌いだったというのもあるのかも知れません。それと、合唱部に入らされたときにいくらでも上手な人がいるってのを思い知らされたし、憧れの大好きな歌手とかと同じようには歌えないってのが判っていましたしね。

そして成りたかったというか、憧れたのはブラックジャックww  ようするに医者になりたかったんですね。随分早い段階で挫折しましたけど。

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とはいうものの、占いとかスピリチュアルな道にも進みたくないと、それはずっと思っていたし、ずいぶん長いこと抵抗していた。その抵抗が止んだのはつい最近のことですが。科学的な医者にはなれずとも、非科学的なジャンルとしてのヒーリングとかをしているってのが人生面白いなって思います。

歌に関しては、アゲるときに使うことはありますしね。つまりその、カラオケBOXに行くことは、そういう目的ってことも多少あるのです(イイワケっぽい??)。

絵も好きで、子供の頃からよくスケッチはしていました。漫画もアニメも大好きでしたよ。環境的に読むことも見ることも可能だったから。漫画家になりたいと思ったことは無かったけれど、絵を描くことを仕事にしたいなあ、とその道に進んだことはあります。でも、絵にしても、世の中に上手い人なんていくらでもいるんですよ。

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名称未設定のデザイン

子供の頃に描いたスケッチねww  描くのが好きってだけでは、ダメな世界。どんな道も好きこそものの上手なれではあるけど。それ以上に進むためには練習とたゆまぬ努力がいる。しかし私はその努力が好きな人ではなかった。なんでもかんでも好き勝手に楽しいってところまでがちょうどいい人。なので、どんなことも中途半端。勉強もそう。運動は音痴だし、ダンスもないし、美的センスも感覚もなくて、残念ながらアートな才能なんてどこにもない。ちょっとは出来るってことが、まあまぁあるかなで終わってます。

ていうか、その先が見えない、これ以上のものは自分には無理だって、限界が見えてしまうから、イヤになってしまうのでしょうね。自分では何も成せないというのが判っちゃうから、だから自分にはない他人の才能を愛でて、憧れて、それらから満足を得る。私が持ってなくても、出来なくても、他の人がそれを満たしてくれるから。素晴らしい才能は外にたくさんあるから。

それは音楽でも絵でも、漫画でも映画でも文学でも工芸の世界でも何でも、世の中にあるものすべて。お陰様でたくさんの美しいものや素敵なものをこの人生で味合わせて頂いている。それは料理にしても生活用品にしても、普段身に着けるアクセサリーやあらゆるものすべて。

素晴らしい、秀でた唯一無二の才能を持っている人は本当に世の中にたくさんいて、ありがたいことにそれらを披露し、世の中にシェアしてくれていて、そこから感動や幸せをたくさんもらえるので、自分がその中の一人でなくてもいいのです。

たぶん極めたいことがないから、そう思うのかも知れないですね。私の場合は。形あるものを作って、結果を出している仕事ではないですし。そして、私は今の仕事が出来ていることを才能があるから出来ている仕事だとは思ってはないです。資質と個性故のこの仕事ではありますが、特異体質や特殊な感覚とも違うと思うし。特技と言えばそうなんでしょうけど。

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私にとっては無理なく努力出来ることで、自分にとって、他者のためにしてあげたいことと自分が出来ることが一致しているからのこの道ってことですかね。まだまだ研修医ってとこで、学びは永遠に続くというか、追求すればするほど底が深くて、まだまだ先があるし、今の自分では未熟だし、足りないなって知識もスキルも実感させられますけど。はい。鍛錬はいくらしても足りないです。もっともっと極めたいなって思いますし。まだまだだなって、常に痛感しています。けれど、学ぶことにも努力にも苦しさや辛さがないから、それが楽しいし、ワクワクするから、続けられるんでしょう。プロとしての自覚や責任感を感じてはいても、仕事というプレッシャーや意識がそこには無いから。

もちろん私がしている仕事、類似のこの道でも、才能ある人、すごい人、たくさんいます。下もきりがないけどww 上には上があるし、ホンモノだなって、めちゃくちゃ霊格高いなあって、神通力も人望もある人、奇跡を起こせる人、確かにいますから。そういう人は表に出てないので、一般の方はなかなか辿りつけないのですけどもね。お陰様で蛇の道は蛇ということで。

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そういう意味では、単なる「好き」という感情だけでは、仕事って出来ないのかも知れない。自分には才能がないから、素質がないから、ってんで、そこでそれ以上を求めることを止めてしまえる道ならば、それはもう魂を燃やし尽くすミッションの"ありか"ではないと、自動的な答えが出ているような気がするのです。

私は今の仕事においては、随分と長いこと自分は三流だと思っていたし、大したことの出来ない、この程度のことしか出来ない人間ですが、何か、みたいな開き直りくらいで、自信なんてまったくなくて、コンプレックスの塊でしたから。学歴のないこと、学のないこともコンプではありましたけれど。

子供の頃の方がちゃんと幽霊の存在も視れたし、会話だって言葉として聞き取って、それをすることが出来たし、視ることひとつにしても、もっとはっきりと様々なものを目を開けたまま、物理的なものと見まごうほどにリアルに視ることも出来たわけで。そう未来に起きることなども、人の心の声だって聞き取ることも出来たというのに。そんなのはイヤだイヤだと、苦痛だからこんなもの視たくない聞きたくないと、抗っているうちにそれは消えてなくなって、希望通りに失ってしまうことになり。気が付けば、何もできないタダの人になっていて。ようやく普通の人になれたと喜んだりもした。

今のような仕事をするようになってから、当時の自分が出来たこと、自分が失ってしまった力があったならと、虫のいいことを何度も思ってしまったこともあるけれど…過去に出来ていたことが出来ないのを歯がゆく思い、この状態で仕事をするのが苦しくあり、後ろめたくもずっと思っていたけれども。まあ、これはこれで出来ることもないわけではないのだから、この状態でもそれはそれでいいのではないかと、楽しめるようになったのが昨今だったりする。

それはまあ、交通事故により腕と手を痛めて、一時的に絵が描けなくなったときの絶望とはまた違うもの。手がなければ足で描けばいいのじゃない的な開き直りや発想の転換には似ているとは思うが。

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人間、生きていれば何かしら失うものはあるが、その失ったものに固執するよりは、それ以外のものに目を向けてみれば何かしら、新しい視野にしても得るものはあるものだ。

両親とも血族婚の多い血の濃い家系に生まれたことや持病のこともあって、出産も結婚も私の人生の計画には記されなかったわけだが、それもこれもこの仕事をする上での経験や修行的人生を生きる上では最適な環境だったとも言える。得られなかったものは来世に期待することとしよう。

自分には何も無いと思えば、そうなってしまうのだろう。けれど、誰が何と言おうと、当人が満足していればそれでいいのだ。足りないものは確かにあるが、それでも私はこの自分、この人生で満足している。そして私は私の仕事が大好きだ。才能があろうがなかろうが。秀でた霊能力や神通力を有していなくても、三流と言われるようなポジションであろうとも。他人に認められたり、評価されていないとしても、それでも私はこの人生と欠けたものばかりの自分を十二分に楽しんでいる。

さて次は、どんなクライアントさんのどんな事例に出合えるのだろうか、どんな人生を垣間見させてもらえるのだろう、それに対して自分は何をしてあげられるのだろうと、毎日ウズウズし、ワクワクしながら過ごさせて頂いている。

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