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病気は意識が認めたくなかったものが身体(物理)化したもの

いつも外的に活動しているあなたの魂に、病気というものが否応なくもたらす、静かな時間や自分を省みる時間には多くの収穫がある。

そうした時間は、物質的存在の土くれの中に霊の風を吹き込んで、土でできた肉体を黄金に変える錬金術のために使われる。

病気は、魂からのメッセージであり、教えである。

そしてレッスンを学び終えた後には、病気はもう存在しなくなる。

病気とは魂の混乱が物理的に外に現れたものであり、それが意識にとって明確に解るようになったものである。病気のすべての部分があなたである。だから、あなたの身体に聞きなさい。身体はなんと言っているだろうか。

身体のその部分になってみるとよい。抵抗しているその部分の声が聴けたなら、成熟した心はこう言うだろう。

「他のやり方を探そう」と。

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その点であなたは文字通り、自分の中の異常なエネルギーを、それが精神的なものであれ、肉体的、感情的なものであれ、それを抱擁し、ただ受け入れることによって、そのエネルギーを一掃し、取り除くことを始める。

そうして後、変容が始まる。

苦痛はあなたが学ぶ用意が出来たときに、あなたに話しかけるだろう。

感情的な苦痛は何かを告げている。肉体的な苦痛はまた別のことを告げる。このように肉体のその場所は非常に雄弁である。

人生におけるどのようなことにも、偶然に起きるものはない。

苦しんでいるときに、この言葉を聞くのは辛いことだと解っているが、真理は真理である。あなた方は正当で整合性のある宇宙に生きている。それを忘れず肝に銘じなさい。

病気は、まず最初は霊的必要性から、また感情の混乱から、あるいは心の不自然さから、最初に非物理的次元に存在し始める。最初から物理的であることはない。

肉体は反応器であり、肉体はストレスに対して振動する。肉体は内的な混乱が外に現れたものである。肉体がトラウマの大洪水に打ちひしがれて、ギュッと収縮すると、体のある部分に対してエネルギーが行かなくなる。

このように物理的な現象がセットされる。それがあなた方の現実では体の不調として現れる。病気は表面的な症状によって分類されているが、原因は全く違う。

つまり同じ病気が二つの全く異なる理由で、二人の違う人間に表れることもある。それは個々の肉体が、統合されていない部分を外に表してみせるやり方である。

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カルマとストレスは同じものである。それはこの人生において、あなたの魂の設計図に従って、自分自身の葛藤の領域に不調をもたらすやり方である。それはカルマと言えないことはないが、カルマとは物事をはっきりさせるというよりはむしろ多くの幻想を産む言葉である。

何が病気を引き起こしたかという、その真実が理解できた時には、癒しは瞬時に起こる。

なので、病気とは例外なく、意識が認めたくなかったものを身体化して現すものである。生きる力や魂の意識が肉体を流れているので、その生命の力に抵抗して肉体の部位が魂の必要性に応じて、人生のある時点で不調を起こす。どのような否定であれ、それはいつか必ず肉体に表れる。それも人が躯体を持っている理由の一つである。

このようにして人は、精神レベルでも感情レベルでも、自分が見たくないものと向き合うことになる。

病んでいる肉体は、あなたの敵ではなく、忠実な友である。それは魂によってプログラムされ、正確な時に正確な方法で反応することになっている。

だから、肉体の声に耳を傾けなさい。

故に問題は病気そのものにあるのではなく、あなたの意識という心にこそあるのだ。

by エマヌエルのメッセージ

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エドガー・ケイシーのリーディングにも、心と身体、生き方の姿勢、それらと病気の関係について、多く書かれたものがあり、過去のblogでも数か所引用しています。

私はユタであると同時に氣を扱うヒーラーで、フィトテラピスト(メディカル・ハーバリスト)でもありますが、フィジカル・リーディング(メディカル・ビューイング)をメインメニューの看板に出しているわけではないので、「私の病気の原因はなんですか?」といった、ストライクな相談を受ける機会はあまりなかったりします。ヘルスケアとして、ボディ・ヒーリングのメニューはあることはあるんですけれども、うちにいらっしゃるお客さんはアチューンメント希望者や人生のお悩み相談のほうが圧倒的に多いので。

でも、鬱病の方は結構お見えになります。スピリチュアルなサービスを提供している人の中には、トラブル防止のために心療内科に通われているお客さんをお断りしているところが多いので、うちのようなところは珍しいかも知れません。確かに、鬱病の原因の背景に霊的な事象(存在)の影響がある場合とか、潜在意識の中に過去生で生じたPTSD的なトラウマがある場合もあるので、そのような時だけには多少ですが力になれますので。

それ以外のケースにしても、基本的には専門医の先生にお任せするのが一番ですけどね。ただ、治療の妨げになってはいけないというのがありますので、クライアントさん自身がその辺り分別をもって、状況を把握できるところにいる、軽度の方の場合に限りますけど。重篤な方には「氣」の補充としてのヘルスケア、気持ちを前向きに誘導するための補助的な行為すなわち気功としての施療(ヒーリング)をするくらいのことしか出来ません。

生憎と私は神通力など持ち合わせてはいず、真の意味でのスピリチュアル・ヒーリング(人外の存在が行う奇跡的な治療)を施せる霊性や霊格には達していない人間ですので。出来ることは本当に限られています。出来ないことの方が多くて実にはがゆいくらいに。

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カルマ的なレッスン…当人の性格的な問題から来る、学びのレッスンとして必要で起きている鬱病の人は、スピリチュアルなサービスにしても即効的には力にはなってさしあげられない場合の方が多いです。こういう学びは長期的な時間をかけて、本人が自分の人生の謎解きというか、クエストを解いていく必要があることなので。虎の巻の内容は教えてあげられないですからね。もちろんヒントは与えられるし、アドバイスやサポートは出来ます。けど、「治してくれ」っていうような要望・期待には応えられません。気づきの起こる経験や方向性へと誘導することができるだけです。

カルマのレッスンの導きによって発症している疾患の場合、自分の根底にある問題と向き合ってもらうために、とことん学びの中にどっぷりはまってもらうしか、それ以外どうしようもない、それを避ける道を教えてはいけないという時の方が多いのです。

現実が受け入れられない
プライドを捨てられない
今の自分の状態を受け入れられない
出来ない自分を認められない
自分を変えたくない
今のままでいたいetc

色んなことの言い訳に、自分に都合の良い病気が欲しいわけで
それが"病気"を創り出していたりもする。

ほんの少し、周囲の言葉に耳を傾ける柔軟さがあれば、ごく初期の段階で気づきと修正があれば、そこまでは行かないってことも多いのですけれど。

そしてそれを知りたいと、自分の肉体が告げている真実の声に耳を傾けようと、自分の人生の何が誤りであるのか、それを知ろうと己が生き方や自分自身の内在する問題と向き合おうとしたときには、フィジカル・リーディングとしての情報をお伝えすることが可能になります。その時期が来た時には…当人が受け入れる準備と覚悟が出来たときには、ですね。

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身体は実に多くの情報を持っていて
内部に色んなことをため込んでいるものです。

私は正当な医学は勉強していないけど、ホリスティック医学としてのハーブ医学(メディカル・ハーブ)は勉強しまして、アロマテラピーとかもなんですけど…まぁ民間療法と家庭の医学の範疇ですけどもね。エステティシャンもしていたことがあるので、アロマテラピーのボディ・トリートメントとか、またやってみたいなあとか、せっかく学んだそっちの知識も生かしていきたいなあと思ったりする今日この頃。体力さえあれば、人の凝りをほぐすのも大好きなんですけど。

その人の魂の声や後は見えない存在たちとかの情報をキャッチしたり、チャクラやオーラと言ったエネルギーフィールドやエレメンタルを読み取ったりしてのセッションを普段はやってますけど、直接的に身体(肉体)の声を聴くことも面白くて好きなんですよね。

誰かの身体に触れた時、肉体に貯めこまれた
「出してくれっ!」っていう、ネガティブなエネルギーの叫びを聞いて、ふとそう思ったりするのでした。

でもボディトリートメントは、やはり体力使うのでインドア引きこもりなBBAには今さらキツイかなっっww 

そんな私は昨年末から、友人の友人である施療者さんに、オステオパシーをしてもらっていたりします。もともとロルフィング、クラニオセイクラル、バイオエナジェティックスとか色々されていた方なので、そういうのすべてミックスされた施療で、いい感じです。うん、私の免疫不全な体質にはグッドな治療法かも新米。

自分で出来ることは自分でするけど、出来ないことも多いし、仕事柄、クライアントさんにとって最良な方法を提示・提案(お薦め)する機会もある仕事だから、自ら色んな施療方法を自分に試してみて、効果を実感するのも大切なことだなって思ったりします。自分で体験したことでないと、なかなか他人に薦められませんからね。

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さて、病気が「病気は意識が認めたくなかったものが身体(物理)化したもの」(タイトル)というのなら、「あなたの病気の原因はこういう考え方や想い癖や生き方や人としての誤りが原因ですよ」って教えてあげれば、それで解決して治るってことじゃないですか!! だったら医学とか民間治療とか必要ないじゃないですかっっという人、もしかしたらいるのかも知れません。

でもそんなにことは単純なことではないのですよね。他人に言われて理解出来るくらいだったら、そもそも病気になぞなってないわ、ってのが大半。だから、「やばい病気になってしまった」と自覚した段階で、身体に対して良いことをしていく過程(病気に対して治療という行為をすることで自らの問題に歩み寄る)において、気づきまでの十分な時間と機会をみな得ることになる。人生を見直す機会のための治療の時間。否応なしに身体や周囲の人間関係と対峙させられるからね。そこに至る期間(年月)って、人によって様々ですけども。そしてもちろん間に合わないこともありますよ。すると、必然的に次の人生に持ち越されてしまうことになりますが。これはもう致し方ないことですね。

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