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呪詛は神代の昔から

輪廻転生の観点や霊的真理の理論(教義)から見ると、私たちは絶対存在の一部(全体性としては一つの生命体)ではあるものの、そこから枝別れして個々の霊-魂を与えられ、個別の意識を所有することになった存在であり、そして輪廻転生によりそれぞれがオリジナリティあふれる個別の人生を繰り返して生きてきたことで、唯一無二の個性、自分(個と言う自我)をアイデンティティを確立して、有している。

だが、本当のところでは人類は皆兄弟姉妹、同胞であり、元は一つであった自分の片割れで一部で…アバターと言うよりは、総ての他者がもう一人の自分であったりもする。

便宜上、同じ惑星(地球)に属し、そこに住まう家族と言う言い方をする方が通りは良いが、実際私たちは地球の一部であり、人類の一部で、もとは一つの意識(生命体)であった自分のクローン、コピーたちと同じ住まい(地球という舞台で家)を分かち合って、協力し合い、時に対立し合いながら、この地球上でドラマを展開している。
それぞれの人生を生きつつ、相手に対しての役割を果たしつつ…自分に分け与えられた配役をこなしながら。

その意味では無関係である他人などは一人としていず、総ての人が自分にとって関係性のある近しい存在であり、赤の他人などは存在していない。

誰しもが関係を持っている。
総ての他人がもう一人の…別の自分なのだから。

その人の居る位置が自分だったかも知れない。
その人の人生が自分だったかも知れない。

たった今通りすがった人と、次の人生で出会って深く関わることになるかも知れない。関係性をこじらせて袂を分かち、今生では二度と逢う事がないだろうと思える人であったとしても、涅槃で再会することになるかも知れない。

そう言うのもありがちなことだ。

どこかで運命は交差するのかも知れない。見知らぬ他人とも。過去を辿れば、何処かで親しく交わって、酒を酌み交わしたことがあったかも知れない。遠い記憶に埋没してしまっているだけで。

人間のルーツには二つある。

その人個人としての、霊ー魂としてのルーツ。
輪廻転生の歴史、その人自身の人生の遍歴だ。
何処の土地(国)に生まれ、何処の民族であったのか、男だったのか女だったのか…何をしてどんな人生を生きたのか、どんなことをやり遂げて、どのように死んだのか‥等など。その繰り返しの系譜。

もう一つは血脈のルーツ。
今生の人生で親(父母)となった人たち、またその親(祖父母)、さらにその人たちの親と言った先祖。ネズミ算式で逆算していく形での血脈としての系譜。あるいは「家制度」というものに乗っ取っり、裏付けされた「家系」と「先祖」のルーツ。

魂の系譜では、その人生ごとに親がいて、それは今の自分の所属する国や民族や家系とはまた別の民族だったりする。今の人生が日本人であるからと言って、一つ前の人生が日本人とは限らない。よしんばたまたま続けて日本人であったとしても、前世の自分とは全く別の家系に生まれていることがほとんどだ。

アメリカ人だったり、ブラジル人だったり、イギリス人だったり、スウェーデン、ドイツ、イタリア、ケニア、モロッコ、タイ、ベトナム、サウジアラビア、韓国、中国etc…
そのように世界中のあちこちに転生しては、その国の人として生活をして、仕事をして人生を生き、家族を持っていたのである。

古く遡れば遡るほど、自分もその国では今存在する誰かの家系図の中の先祖でもあったわけで。過去生の自分の子孫とは、違う肌や目の色、通じない言語を互いに話しているだろうが。

また、数千年や数百年の時を経て、自分がかつての自分の子孫として生まれる場合もあったりする。

そんな感じで、人の運命や人生と言うのは、様々に交差し、蜘蛛の巣のようにあちこちで折り重なって編み込まれ、時に入り乱れて、過去生の人生での縁、血脈での先祖絡みの家系の縁など、複雑な関係性を乱立させているとも言える。

だから、無縁な人なぞはいず、無関係な人も、まったくの他人などもこの世には存在しないのである。今日すれ違い、今生では縁を持たない誰かは、いつか出会う人で、遥かかなたの未来の人生で巡り合い、あなたを助けてくれる人なのかも知れないし、あなたの先祖だった人かも知れないし、あなたの過去生の子孫を助けてくれている人かも知れない。

そこに国とか民族とか肌の色とか宗教は関係ない。
あなたはかつて黒人で白人だったこともあるし、イスラム教徒やキリスト教徒やユダヤ教徒だったこともあるのだから。

さて…

瞑想をしていたある日のこと。頭の中にそれはそれはたくさんの埴輪のイメージが浮かんだ。

ちょうどその時、私は飛鳥時代の自分の人生や当時の父親について考えていたり。

なんだろう?これは…? と思ったけれど、どうもこれはその「父親」の墓に関係するものらしく、埋葬する際の副葬品として埋められたもののようであった。

埴輪と言うと、単なる出土品と言うイメージしかないのであるが、なんとなく「呪詛」のために使われたものなんだなあと理解が出来て…

(うーん、木偶人形や藁人形の前には、土偶とか埴輪とかが使われてたのかな?)

そう言えば「闇の検証」と言う寺尾玲子さん(霊能者)が歴史を検証される書籍において、都市(みやこ)を護る呪詛の道具として墓(埋葬地)が利用されている…と仰っていたことを思い出し、なるほど時代的に当時の父の墓も、そのようなことに使わてしまっているんだなあ、と改めて気づかされた。

そしてそれは当時の私自身にも無関係な呪詛では無く、今に至っていると言うか、悪い意味で影響を与えられてしまっているのだと。

んー 飛鳥時代って、1400年は経ってるよね? マジー?

以前ケースファイルの方で、クライアントさんが平安時代にやってもーた呪詛を今さらな今生になって、人を呪わば穴二つになっちゃってるってのは書いていたけれども。

確かにエレメンタルは死なず、ではあるけど…
1400年前のものが未だってのがなー きゃーこわっっ

埴輪恐るべし

そうですね。
当時の私も消されちゃったわけですけども(血縁者にね)。

私は随分と「血の繋がりほど、当てにならないものはない」って思ってきた人間で、それは今の人生での父方での遺産問題とか嫁いびりとかetcで、その経験からだと思っていたのですけれど。よく考えたら、この飛鳥時代の人生(属した一族)はまさに血縁者だからこそ、血で血を洗うような殺し合い(粛清)というか、つぶし合いを短い人生ながら経験してしまったので。もしかして、いやさ…もしかしなくても、この人生が発端だったのかと。なんかorg…

そりゃー 身内不信になりますわ。
親族コワッ。身内畏るべしっっ

死んだあとも利用するしねー 墓とか遺骸とか。骨になっても利用されちゃうんかー 当時の御父上も浮かばれまい。
まあ、親子であったのはたった15年位? 短いご縁でした。

でも、エレメンタルの父…はとても優しい眼差しをしているから、尊敬はしていたのでしょうね、私。関係性は悪くなかったと思う。今上での生物学上の父親は糞だけれども。


さてさて。

こうした飛鳥・奈良時代の呪詛って、大陸から渡ってきたものをアレンジしたもので、風水よりはどちらかと言うと道教主体のものだと思うんだけど(四神相応の地とかもこの頃入ってきた思想)。うん。陰陽道のルーツね。
たぶん、鬼道と言われてた頃のもの。

(縄文時代は平和遺伝子に支配された、たおやかな時代だったと思いたい)

そうさなあ…弥生時代とか、「豊作祈願」みたいな形での「まじない」は生まれていたと思うけど…もちろん、それ以前の世界中の文明でも。ネガティブなのはねー やだねー

人って、自らの目的や利己的な大義名分のために、他人を利用したり、押しのけたり、命を奪ったり、嫉妬したり、貶めたり…やってることって相も変わらずで、何万年何千年経っても変わらないんだよなあ…ってホント。
文明や科学が進歩しても、人の感情からの行いは対して進歩していない。太古の昔のまま、原始的な欲求をコントロール出来ないまま。心のEQはなかなか育まれず、理性や倫理観、道徳心は見に付かず、霊性や精神の成長は進化の外に取り残され、置き去りになったまま。

大なり小なり、ことに大仕掛けな国家規模の呪詛の方法も、そうした感情とエゴイズム的な偏った思想から生まれたものだから、なんかなーって思います。

こんなことに使われて、死んだ後の抜け殻と言え、加害者側の利己的な野心のために墓まで操作されて、安らかに眠ることなんぞ出来るかーって、ねぇ。はい、出来ませんよね。

まあ、こうした墓や遺体を利用した呪詛システム。日本だけではないってのは、クライアントさんの過去生でも何個か知る機会を持たせて頂いたことはありますが。

人の遺体や墓が、その家や子孫に影響を与えるってのは風水思想の根幹にあったりするのだけれど、そればかりではなくその遺体や墓の持ち主…当人すなわち転生した後の人格にも影響って与えたりするんだって、そんなことを知った今日この頃。

もちろん、当時の人生の記録であるエレメンタル(パーソナリティ含む)が無意識(潜在意識)として、今生の人格に影を落とすなど、良い意味でも悪い意味でも内在する記憶として影響は与えるもの。それは良く知られたことで、当たり前って感じではあるけれど。

遺体や墓の事までは「知るかっ!」って思うし、当人に責任はないじゃん!ってマジ。今生ではどうにも手出し出来ないことだし。(海に沈んだり、野生動物に食べられたり、野垂れ死にした人の場合、どーしろと??)

まあ、これは意図的に良くない扱いをされている場合のことですがね。呪詛に使われたり、粗末かつ不本意な扱われ方をされている場合だけに限ってのことと思いたい。

そして、この人生での呪詛に、後の人生での他人から向けられた、波長の似た様々なネガティブなエレメンタルとか色んなモノが加味されて(追加ブレンドと言うか)、それらが複雑に絡み合って、ずいぶんと巨大なネガティブ・エレメンタルのグループが出来ていたりして。

ちょっとこの事実の前にはゲンナリして虚脱するしかなく。

一気に解ければいいものの、分解しながら、少しずつ謎解きしながら因果関係を紐解きながら、一つずつ段階を踏んで…が精一杯で。

単純なものなら、「核」になる部分さえ取り外せば、それだけでバラバラになって自然と他も解けていくからいいんだけど、カモフラージュが入っていたり、ダミーもあったりで、根幹にあるのがプロが創ったものなので、とても厄介でなかなか根が見えず、手強いもの。

最近のものや、個人の感情だけで錬成されたものを解くことはさほど難しくないけど、古ければ古いほど完成度が高く、巧妙なものが多いなあって、痛感させられる。

とくに奈良、平安時代は優秀なサイキックが多かったのかなあと、彼らが創った精密なものを知るたびに関心し、良い仕事しているなぁと。

魂のルーツでのご縁。良いご縁、悪いご縁。
宝(財産)となる良い荷物、借金や負債、足枷となる呪いや宿業的なカルマのレッスン。それらは個人で何とかしていくもの。自分の霊的成長の糧としていくべきこと。

でもって、血縁・家のルーツ。
その家に生まれるのも理由があって、引き寄せの法則が働いてのこと。その家に生まれることが個人としてのカルマのレッスンと向き合う条件がある程度揃っていて、ブループリントの計画を果たすのに条件がマッチングするというもの。
また、ご縁での導きもあったりもする。
でもって、このご先祖や家自体が背負った祟り的な呪詛や因果もあったりする。

魂としての自分が積み重ねてきたもの、肉体の遺伝子、生まれいずる家とそこに生まれてきた人たちが足跡を付け、堆積したもの。この両方の重荷を背負うことは、本当にしんどいものだ。せめて、どっちか一つだけにしてくれって叫びたくなる。けれど、大体がこの二つはセットになっていたりもする。何故なら、個人のカルマが生れいづる場所・環境を引き寄せるわけだから。

まあ、でも必ずしも、マイナスなものばかりではない。

仕事の縁、結婚の縁は先祖の縁が導くとは人の言う。

実際、クライアントさんや生徒さんの幾人かは、辿るとご先祖様同士に何かしらの繋がりがあったりする。
面白いなあって思う。

クライアントさんの後ろの人たち…ご先祖様とか、ガイドさんが私のところに来るように働きかけてたってことも少なくないので。

本当に人の運命って面白い。
重なり合って、こんがらがって、絡み合って、交錯し合って…そうやってタペストリー(織物)のように人生は様々な織り糸で紡がれていく。縦の糸と横の糸。善きものと悪しきもの。過去が未来を展開していく。

ドラマは永遠に繰り返される。
いつまでもメリーゴーランドに乗り続けていたいのか、別の場所へと移動したいのか。

出来れば、早めに悪しき糸は断ち切って、過去の物語もパッチワークで修正しておいた方がいい。

自分に掛けられた悪しき呪いは、きれいさっぱり解けるうちに解いておくべきだろう。

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