見出し画像

浅草でコーヒーを(FUGLEN ASAKUSA)

前回のお話

なんでもいいと無茶ぶりした私を、希里は迷うことなくオシャレカフェに連れて来てくれた。
本当にそういうところ、優秀だと思う。私なら絶対に思いつかなくてグダグダしてしまう。
店名はFUGLEN、らしい。フグレン?何語?
「ノルウェー語で鳥って意味らしいよ」
知識をひけらかすわけでもなく、希里は淡々と事実を教えてくれる。
ロゴは確かに赤地に折り紙で折ったような鳥が描いてある。コーヒーの芳ばしい香りと優しいジャズが店内を満たしている。
先会計らしく、店内に入ったらすぐに注文しなければならない。
希里に何頼む?と聞かれて、何がお勧め?と聞き返してしまう私は決められない女だ。
「本日のコーヒー」
そんなの自分で決めなよ、と突っ込まれる想定だったので、その即答に戸惑った。
「きぃちゃん、私、コーヒー飲めない」
「騙されたと思って飲んでみて!ここのコーヒー、美味しいから。お金は私出すし。私もコーヒー苦手だったけど、ここのコーヒー飲んだらコーヒー観変わったから!!もし本当にダメだったら他の頼んでもいいし」
希里のあまりの迫力に私はたじろいだ。希里はあまり主張が強くない方だったはずだ。昔から周りの意見を聞いてうまく調整するのが得意だった。その希里が、私の両肩に手を置いて、目をかっ開いて、本日のコーヒーとやらを推してくる。
「わ、わかった、飲んでみる」
希里にそこまで推される本日のコーヒー、いったいどんなものなのだろう?興味が湧いた。
カウンターで注文すると、本日のコーヒーはすぐに注がれて出てきた。ケニアという豆だそうだ。
(お会計は結局押し問答の末に、せっかく来てくれたのだから、という希里の言葉に甘えることにした)
店内の席は空いていなかったので、店の外周に沿って設置されたベンチに腰掛ける。
いただきます、と希里が言って、コーヒーを一口飲んだ。
私は目の前のコーヒーカップをじっと見下ろす。
いい香り。
昔からコーヒーの香りは好きだ。
カフェオレは好きだ。
カフェラテもまあ、飲める。
でもブラックコーヒーの苦味と酸味は駄目だった。
どうしてこんなに良い香りなのに苦いんだろう?とずっと不思議に思っていた。
なるべくコーヒーを避けてきた人生だったけど、今日は向き合わないといけないみたいだ。もちろん、お砂糖にもミルクにも甘えない。
覚悟を決めて一口飲んでみた。
「あれ!苦くない!」
苦味はほぼなく、少し酸味があって、口の中に甘い香りが広がった。コーヒーなのに焼き芋みたいな香りがする。ほとんど苦くないから飲み込む時の抵抗感がない。
「これなら飲める!」
「でしょ」
希里は自分が淹れたわけでもないのに得意げな顔をしている。
「本日のコーヒーってその名の通り日替わりだから、どの豆かはある意味賭けなんだけど、真百合の好みの味で良かった」
「新発見すぎる。こんなコーヒーもあるんだ」
苦酸っぱくないコーヒーもあることが衝撃だった。
「ここのコーヒー飲んでから、コーヒーに興味が出て来て、最近色々調べてるんだよね〜。自分で淹れてみようと思ってコーヒーの粉買ってみたりしてる。まだ豆を挽くところまでは行ってないんだけど。ハマったら沼だよ、これ」
希里はさっきからいつになく饒舌だ。そして、ふと真顔になり、
「…で、話って何?」
急に本題を振って来た。
えーとね、と、私は大きく手を広げて、考えてきた渾身のネタを披露する。
「いい話と悪い話があるわ!どっちから聞きたい??」
なんだその海外ドラマあるある、と希里は呆れつつも、
「大抵悪い話の方が長くて深刻だから、いい話からにする」
それは英断だ。そして私にとってはありがたい判断でしかない。
「いい話はね、私、結婚することになりました」
おお、おめでとう〜、希里はパチパチと拍手してくれた。
「相手は前言ってた、バスケの人?」
すぐに別れてしまったその元彼のことを思い出すのにしばらくかかった。某企業のバスケットボール部の選手で、寝ても覚めてもバスケのことばかり考えているような人だった。結構彼のことは好きだったけれど、食事面でのあまりのストイックさについて行けなくて別れたのだった。
私が結婚する相手は、今の会社の先輩だ。
「へぇ〜!職場恋愛か!」
うん、と私は頷く。
「どんな人なの?」
「ここから悪い話になるけど、いい?」
え?、と希里は意味がわからないというように目を白黒させている。そりゃそうだ。
「彼、会社のお金を着服してるかもしれないの…」
誰にもまだ言っていない、そしてまだ憶測の域を出ない。こんなことを相談できるのは希里だけだ。
私はコーヒーをまた一口飲む。少し冷めてしまったけれど、飲みやすさはそのままだ。甘い香りが話の苦さを和らげてくれる。

つづく







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?