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Monochrome Diary 2024.1.8~2024.1.14

2024.1.8

「ようこそ映画音響の世界へ」を見る。
冒頭「音が与える印象は映像よりも強い」と語られるように、人間は聴覚から膨大な量の情報を得ている。話し声ひとつにしても、性別年齢口調など多くの要素を瞬時に分析し、頭の中で印象を作る。その人が感じる印象を操作し、映画の画面の視覚情報以上にその世界へと入り込ませるのが「映画音響」だ。
実物以上にリアリティを引き出す音を追求し作成編集していくエンジニアの情熱が数々の名作を作り上げた。作中では、「スターウォーズ」「ジュラシックパーク」「プライベート・ライアン」など多くの名作の音がどう作られどんな効果を出しているのかを知ることができる。エンジニアの一人が「この(映画音響の)仕事をやることが幸せで仕方がない。毎日頬をつねってしまうくらいに。」と語る。人間が働き生きる理想の形だと思う。

2024.1.9

眠れずたまたま目について「エターナル・サンシャイン」を見る。
記憶を消すことができる医療がある世界の男女の話。
幸せな記憶はそのまま持っておきたいし、嫌な記憶は捨て去りたい。
ただ、幸せだったはずの記憶が一つの些細な出来事で嫌な記憶になってしまうこともある。消したい記憶は山ほどあるが、それを消してしまったとき何が起こるんだろう。人は、同じ過ちを繰り返すだけかもしれない。

2024.1.10

最近落語をよく聞く。
映画やドラマ、小説、ゲームなんかにも落語の話をオマージュしたものが多いことに気がついた。「あぁ、これは落語のあの話だ!」なんて気がつけたら、その後の展開をより楽しめる気がする。
話の内容が面白いのはもちろんだが、色々聞いていくうちに、落語家の凄さがわかってくる。同じ題材の話でも、時勢を交えて話を盛り上げたり、話のスピード、表情、仕草でその人の味が出る。
立川志の輔の「猫の皿」を聴いた。話はすごくシンプルで笑いどころもわかりやすい。それを独自の視点も交えつつ、話の筋は変えずに落とす。
まだ寄席にいったことがないので、いつかはいってみたい。

2024.1.11

本屋に行く。
ふらっと本屋に入り、並んでいる本をあてもなく見て回る。気になるのがあれば買うし、特になければそれでいい。ただ、本を見て回るだけで心が整理される気がする。今自分は何に興味があるのかが特に分かりやすく見えてくる。
新書の棚に現代問題についてのおすすめ本が並ぶ。最近ニュースを追えていないなと、さらっとおすすめ本のタイトルに目を通す。今起きている国と国の争いは歴史的背景が色濃いと知ると、少し世界史の本も見てみるかと思い立つ。世界史の本を見ていると、そういえば少し前に世界史を勉強しようと数冊本を買ったままになっていることを思い出す。ふと横を見ると日本史の本もあり、最近新選組についての映画を見たし、新選組についての小説でも読むかと司馬遼太郎の文庫を探す。長編が多く、気合を入れて読まないといけないなと少し気負っていると、同じ棚に古典の本がある。古典なんかもしっかり読んでみるかと眺めていると、落語についての本を見たくなる。趣味芸術の棚にいき、落語の本見て、桂歌丸の自伝を読みたいと思っていたことを思い出し探すがあいにくない。横の棚は映画の棚で、映画の構図や表現を知りたいと思っていたのを思い出し、自分でも読めそうな映画分析の本を探す。
こんな思考の迷路に入り込み、本屋をゆっくりとぐるぐる回っていると、油断すると数時間経ってしまう。そんな時間が結構大切だったりする。
そんなわけで、映画分析入門の本を買う。

2024.1.12

日に当たりながら本を読む。
ただ出てきた文章1文をきっかけに、様々なことに考えを巡らせ、ふと昔のことを思い出す。過去の色々な1場面を思い出しては、あの時ああすれば良かったとか、なんでああなったのかとか、後悔することばかり考えてしまう。
鬱々とそんなことばかり考えていると、本を読む手が止まってしまう。
余計なことを考えないように、薄く音楽をかけて本を読む方がいい。
基本的には、人が多くいる場所では本が読めない。ちょっとした会話が耳に入り、そこに意識が向いてしまうと全く本の内容が入らなくなってしまう。
けれど、自分で選んだ音楽を薄くかけると、ちょっとしたきっかけで思考が旅に出そうになる前に、意識が自然と音楽に持っていかれそうになる。つまり、意識が向かう先がその音楽だけになって、音楽に気を取られないようにと思うと自然と本に集中できる。
問題は、そんな意識が向かない耳あたりの良い音楽を探すのが少し困難な点だ。

2024.1.13

1泊2日で旅に出る。といっても、慣れ親しんだところに少し戻るだけ。
いい思い出も悪い思い出も沢山ある場所だ。
最近、思い出に縋ることはいいことなのかと考えるようになった。
いい思い出が自分の糧になったり自慢になったりすることもある。ただ、いつまでもそんな過去の自分に縋っていると、「昔はこうだった」と現在を見れない人間になってしまわないかと思った。
正直、今の自分に自信はない。だから、少し自信があった昔を懐かしみ、いつまでもあの頃に戻ったらなんて考えてしまう。
目的地に着くと、やけに前とは変わってしまったところが目につく。街は数年で変わっていくのに変われずにいる。
変化を恐れている場合ではないのかもしれない。

2024.1.14

旅から戻る。結局、一睡もできずに1泊2日を過ごした。
こういう遠出の帰路でいつもなぜか、狐火が聴きたくなる。
弱い自分を曝け出すこと、自分が少し嫌いなこと、でも自分を大嫌いにはなれないこと、少しでもいいから前を向こうと思っていること。
なんとなく自分のパーソナルな部分に合う。何度も歌詞に自分を重ねる。
新幹線に乗りながら、昔の自分を振り返り、今の自分を見て、未来の自分を想像する。
大きくはないけど、根を強くはって生きたいと思える。


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