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何にだってなれる

昨春、彼女が来た時、

私は、彼女に、理系博士後期課程に進学すると伝えた。

すると、彼女は、私の顔を真っ直ぐ見ながら、


「そう!だったら、何にだってなれるね。」


と強く言った。

これが、私が聞いた最期の言葉。




私は、昔から、何にもなれない、と思っていた。


私の姉は、私よりも勉強ができた。

その上、"長女"だから、という昔ながらの考えからくる理由で、

父方の祖母は、姉をとても可愛がった。


両親にも分かってしまう程に、

祖母は、私と姉に差をつけて、接していた。


姉は、よくできる子。

妹は、できない子。


祖母の中にある、そのレッテルは、

私がどれだけ努力しても、

なくなることはなかった。


そんな私を見て、母は、一度、

祖母の妹、私の大叔母に相談したらしい。


お義母さんが、姉妹で差を付けるのだと。


すると、大叔母は、


「それはダメ。差を付けちゃ。」


と、すかさず言ってくれたそうだ。


大叔母も妹の立場だったからか、

私の気持ちを分かってくれたのだろうか。


私の母に相談されたからなのか、

もう今となっては、分からないけれど、

それから、大叔母は、会う度に、

私の名前を先に呼んでくれた。

姉が一緒にいても。




大叔母が、私の名前を強く呼ぶことは、

私の成長に伴って減っていった。

だから、私も次第に、

その声のパワーを受け取ることも減った。


そんな中、私は、高校生の時に、てんかんを発症した。

そこからは、さらに、何にもなれない、と思うようになった。

てんかんは、突発的な意識消失を伴う発作が出現する。

適切な投薬治療を受ければ、おおよその発作は収まる。

しかし、未だに、


『仕事中に、発作が起きて、卒倒したらどうする』


知識もなく、理解しようともしない、

自分と、その周りにいる僅かな人間だけで、

正常か異常か、を区別する人がもつ、偏った見方が、

横行するこの社会で、

私は、より一層、何にもなれない、

何かになったとしても、

曲がった見方によって、全て消される。


いつの間にか、そう思うようになってしまっていた。



だけど、


「何にだってなれるね。」


この言葉が、私の弱さをさらけ出した。


激動の時代を生き抜き、駆け抜けた彼女は、

最期に、これからの私へこう伝えたかったのだろうか。


「今の時代、何にだってなれるんだから、自信をもって。諦めないで。」




いつだって、私を応援してくれていたんだね。

今でも、あなたの声は、私の中にあります。

ありがとう。安らかに。


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