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never say "ねば"...!?

戯言の様に、

タイトルは書いてしまったのだけど、

少し真剣だけど、そんなに極端ではないお話。。。


皆様の周りにも、

「○○せねばならない」

「△△しないといけない」

「○○であるべき」

このような表現は飛び交っていると思います。


かく言う、私自身も、

この表現をよく使う一人。


この表現を使うと、

ある種の責任感・覚悟を示すことができるかなと思って、

文章を書く際も、言葉を発する際も、

ついつい使ってしまう。。。


この表現を使うことは、

決して、悪いことではありません。

むしろ、先程も、書いたように、

その人の責任感やある種の強さを表すこともあったり、

自分に足りないことに気付き、

必要に迫られた時とかにも使いますよね。


だけど、この表現を使う時は、

自分の経験してきたこと、

固定概念が、かなり強く含まれる場合が多い、と。

また、使用する時を選ぶ表現だなとも。


ある言葉をきっかけに、振り返って思う。


「結婚しなければならない」


先日、友人とご飯を食べながら、話していた時、

彼女の話す内容の背景に、

この言葉が隠れているのを感じた。


実際に、彼女は、彼女のお母さんからも、

「早く結婚してほしい」

と言われていたそうだ。


さらに、彼女は、

それらの言葉を背景に持つがゆえに、

「結婚を焦ってしまったから、彼氏とも別れたのだろうか」

と後悔していた。


やはり、この"ねば"は、絶大な印象を刻む表現だ。



自分とは別の、生涯のパートナーは、

確かに、強い存在となり得る。


しかし、そこに婚姻は必要なのだろうか。


私は、女性・男性かかわらず、必要ではないと思う。


だから、そんな彼女に、私は、

「大丈夫。少し、力、抜いてみたら?」

「自分の思いのまま、いこう」

と精一杯の励ましの言葉をかけた後、

「何かをしなければいけない」

と決めるのは、

他人でも、家族でもなく、

自分自身だと、

言葉にのせながら、

再び自分の中で反芻させた。


と言いつつも、ついつい多用してしまうから、

ねば、表現には気を付けようと思う今日この頃。


そして、私の大好きな漫才師である、

中川家さんのコントを思い出すのだった。

時代警察、ということは、

やはり、この類の話を表現する際には、

時代遅れにならないようにしないといけないのかな。


ぜひ、皆様もご覧ください。とても面白いです。



なんだか、いつも以上に、

まとまりのない文章になってしまいましたが、

最後まで、読んで頂き、ありがとうございます。

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