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【ブックレビュー】『千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話』済東鉄腸

先日、『上級英文解釈クイズ60』のレビューを書いた際に、

著者の北村一真先生と版元の左右社さんからもリツイートいただいたのをきっかけにX(twitter)もフォローしていたのですが、そちら経由で存在を知ったのがこちらの本。

昨年出版されていたというこの本の特徴は多岐に渡る。ルーマニア語というマイナー言語との出会いと学習、そこから生まれる体当たり的異文化交流記、鬱病・クローン病といった難病からのサバイバル、それらすべてが『地下室の手記』さながらの陰鬱にして一面カラッとしたところもある情念溢れる一人称で「永遠と」語られる作りとなっている。

まず語学書としての側面で言うと、これは先日レビューしたKazuさんの本と比較すると類似と相違が際立つように思う。

大きな共通点としては2人とも学校英語に馴染めなかったことがあげられる。そして文化的関心からKazuさんはスペイン語(洋楽きっかけ)、済東鉄腸さんはイタリア語(『ジョジョ』がきっかけ)という、双方ロマンス諸語に最初強く興味を惹かれ、白水社の「エクスプレスシリーズ」を愛用された点も共通している。

塾講師の私としては特に以下の記述には注目せずにはいられなかった。

当時は、対面じゃなくて動画で勉強するタイプの塾に通ってたんだ。その時に午前中延々と英語を勉強させられていた。机とパソコンだけがずらっと並べられた狭苦しい部屋で、強制的に液晶と向き合わされながら、映像に浮かぶよく知らん教師によって英語文法を一方的に叩き込まれる。それはまるで軍隊で兵器の使用を鍛錬されるかのごとく、半年ほどの間に、中学高校六年間で英文法の全てを脳髄にブチ流されたんだ。

うーん、この『時計仕掛けのオレンジ』的光景はいったい何進ハイスクールの校舎なんだ!?(笑)

それにしてもKazuさんにしろ済東鉄腸さんにしろ後の語学の実践的達人を失望させてしまっている学校教育よ......と思う一方、彼らにとってはそこでの挫折体験が必要なステップだったのかもとも。

ただ、両者には大きな違いもあって、YouTubeなどで主に活動されているKazuさんは言語4技能のうち聞く・話す、対してルーマニアの文芸誌で主に活動されている済東鉄腸さんは言語の読む・書く、にフォーカスした語学学習法を推奨・実践している。

改めて、言語学習法には多様なアプローチがあって、正解などない、むしろ何としてもその言葉を身につけてやる!という能動的な熱情こそが、小手先の効率の良い学習法なんかよりずっと大事なことだと思わされる。

と同時に、2人の成功例を見ているとネットやAIの力に後押しされたマイナー言語学習というのは意外とブルーオーシャンな領域なんだなとも。ロールモデルはほとんどいないが、競合者も少ない。それに比べればド・メジャーな英語は深紅のレッドオーシャンよねえ。。

また本書は、著者の済東鉄腸さんの俺俺リサイタルという側面もある。タイトルに「引きこもり」を自称されてはいるけれど、実際に読んでみての印象はかなり違う。例えば、ネット限定とはいえ見ず知らずのルーマニア人に何千人単位でFacebookの友だち申請をしまくったり、そこから行ったこともない国の文芸誌の作品掲載にまで漕ぎつけるくだりはまさに「行動力の化身」。

彼には不遇の雌伏時代もあって、今そのような境遇なら陰謀論のようなものにはまったりしてもおかしくないのに、社会を闇雲に呪詛するような思考には陥らず、こんなマイナーなものに価値を見出す俺カッケェ、という健全な中二病を発揮されていて読んでいて爽快な気分にもなれた。「反出生主義」のシオラン(彼もルーマニア人)なんかを愛読しながらこの感じはなんとも不思議な味わいがある。

さらに本書は、私のようなルーマニアにまったく門外漢の人間への格好の手引きとなってもいる。しかも著者自身が原地へ訪れたことのないがゆえの、折目正しい観光本にはない独自の切り口のルーマニア。

例えば、ルーマニアでの文学の社会的地位、詩・小説・批評・外国語作品の関係性、村上春樹に代表される日本文学の受容、どれも聞いたことのない、個人で獲得された情報ばかり。最後の「来るべきルーマニアックのための巻末資料」には、書籍・映画・音楽一つ一つに特濃の推薦文が付いている。

済東鉄腸さんによると「ルーマニア電子音楽史において高く聳える存在」というAdrian Enescuの格好良い'Autostrada(Highway)'をSpotifyで聴きながら。

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