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支援者の支援、が必要不可欠な時代

昨日のBarSCHOLE「支援者のセルフメンテナンス」の振り返り。
 
 
参加された方からのご質問にメインスピーカーのなほこさん(岡大の教授っす。その道のプロっす)がお答えしていく、というスタイルのトークイベントだったんですが、お寄せいただいた質問は、当然支援の現場に立っている僕にもものすごく思い当たる内容ばかりで、今までいち支援者として僕自身も葛藤してきたものだったり、現場を管理する者としても職場づくりや仕事を進めていく上で考えさせられるものばかりでした。
 
 
ご質問自体のアンサーはなほこさんにお任せしつつ、僕は僕で自分の今までの経験を重ねながらもう少し話題を広げてみたり、違う角度から投げかけをしてみたつもりなんですが、バイタリティ豊かなスピーカーの横でお話を聞きながら改めて感じた「支援者の支援」というものの必要性は、一見表面化はしていないようにも見受けられますが、やっぱり確かなものだろうな、と感じました。
 
 
メインのイベントが終わった後にも少し話していたんですが、もちろん支援者が個人として行うセルフメンテナンスも大事だし、いわゆるメンタルヘルスへの取り組み、みたいなものも大事だと思うんですが、きっとそれだけじゃ足りないような気がしていて、僕自身職場でマネジメントをしているものとしてはやっぱり職場の環境としての心理的安全性の確保みたいなものも必要だし、ある種マネジメントの中にもそういった支援の従事者の支援的な側面も持ち合わせていかないといけないんだろうな、ということ。
そして本編でも少し述べられていましたが、スーパーバイズというかスーパービジョンというか分かりませんが、支援者としての進み方やあり方の灯台のような道標のような形の支援、という3つの要素が必要になってくるんじゃないだろうか、と感じたんです。
 
 
そして、現代の福祉は法整備もされていて、そして職業としての支援者というものも確立されてきて、学術的な体系化もなされてはきていますが、じゃあそこに従事する人が全て個人としての自分に余力があるか、というとそれはまた別で、ちょっと語弊があるけれども僕ら支援者自身だっていつ「生きづらさの当事者」になるかは分からない、それくらい曖昧な境界線の中で対人支援という領域が担保されている、というのも確かです。
 
 
そういう時代の中で、支援者が倒れてしまい離れていくような福祉になってしまうと、それこそ僕らが支える対象の方の生きづらさは増すばかりになります。
そんなところで共倒れしてしまってたら福祉もクソもありません。
 
 
改めて、支援者の支援というものを少しずつでもいい、この地域の中で体系化したり、支援者を支援するような場というか機会がちょっとずつ生まれて来るようなアクションもきっとこれから起こしていかないといけないんだなぁ、というのを痛感します。
 
 
そんなことを感じた昨日でした。




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