ある意味では「生きづらさ」が自分の生き方の指針になっているのかも知れない
先日仲間と話していてふと感じた話です。
何の話だったか忘れたんですが、たまたま自分の生い立ちを話すことがあったんです。
僕は幼い頃からいわゆる母子家庭というやつで育ち、決して経済的にも恵まれてはいませんでした。
幼少期はほとんど祖母が僕の母代わりで育ちました。
大学に行ったはいいんですが、ある時急に大学から除籍通知が届いたおかげで僕は大学中退という扱いになります。
除籍の原因は学費の未納です。
奨学金を借りて大学に通っていたんですが、その奨学金を使い込まれたんですね、親に。
当時自営業をしていた親は店が回らなくてその資金繰りに僕の奨学金を使ったそうです。
ちょうど時代はバブルが弾けて「就職氷河期」という名前が初めて叫ばれるようになっていた時代。
ぼんやりと何がしたいでもなく生きていた僕は、ある時急に人生のレールから振り落とされて急に自分で生き方を考えなきゃいけなくなりました。
奨学金を使い込んだ親は悪びれもせず「あんたがそんなに大学行きたいんなら何とかしてあげるけど」と。
確かに僕の意思で大学に進学した面もあるけれど、まだ幼いなりには少しは親を安心させるために大学に行って就職しよう、なんて考えていた気持ちもあったので、一体何を言われているのかさっぱり分かりませんでした。
「いや、もういい」というのが精一杯でした。
それから自分の人生を考える間もなく祖母が末期の癌によって他界したため、慌ただしく生活が変わりました。
それでも新生活を切り替えて自分の今後を考えようとしていると、再び親から「家にお金を入れろ」と。バイトで稼いだお金の3分の2を家に入れろと要求され、不満に思っていたところ、友人からその親が家庭のやりくりでもなくお店の資金繰りでもなく、お店の周りにいた野良猫に餌をやっていてその餌代が月に7万円かけているということを聞きました。
僕は野良猫以下の価値だったんだなぁ、と思い衝動的に家を飛び出しました。
その後はいろんな人に僕自身も迷惑をかけながら、いまだに顔向けもできない人もいるんですが、それでもどうやって生きていけばいいのか分からなくてどうにかこうにか生きていました。
訳もわかっていなかった高校生の頃、自分の名前を貸してしまって消費者金融からお金を親が借りていたらしく、その取り立てが家に押しかけてきたり、自分も無理な生活が祟って何度か入院したりして、ずーっと真っ暗闇の中を生きていたような20代でした。
それでも何とか福祉の仕事をするようになって、30代の中頃で家庭を持ったときに親に突きつけられたのがその件の奨学金の返済でした。
「もう返済した」と聞いていたはずなのに、家庭を持った途端に数百万の返済。
あ、もちろん奨学金は本来であれば僕が学校に通うために借りているものなので僕が返すのが本来の義務です。
ただ経緯が経緯なので、親が返すという事を言っていたんですね。でもそれは嘘だったんです。
・・・まぁ要約するとそんな生い立ちの話をしていて、だから今自分が支援の仕事をしていく中でもこんな身の上話も役に立つよね、というような事を話していたんです。
すると「なるほど、だからか」と仲間が言うんです。
「なぜ君がそんなに情熱的にあれこれ活動しているのかが分かった」と。
その方に言わせると、僕がこうして体験してきた人生の背景が、偶然か必然か分かりませんが今の仕事の中で、就労だけじゃなくいろんな支援を生み出していこうというエネルギーの源泉になっているんだということが分かったんだそうです。
僕はあまり自覚をしていたわけではなかったんですが、当時はそりゃもういろんなものを恨みました。親も、救ってくれない社会も、時には分かってくれない周囲の人さえも。
でも、今にしてみるとあの時代があったからこうして今誰かの支えをしていく仕事の中で、自分ができる事を見出すことができているのは事実で、当時迷いに迷ってフラフラとしてはいましたが、結果そこで拾ってもらった福祉の世界で今も仕事をさせてもらっています。
つまりあの頃がなければ僕はもっとぼんやりと生きていたかも知れませんし、少なくとも今の仲間や今の活動なんてしてなかったんです。
色々とあったけれどそれ自体は結果的に今僕の糧になっていて、その頃があったから、と強く意識をしているつもりはないんですが、少なくとも僕も多少なり生きづらさをずっと感じながら生きてきたからこそ、利用者さんの支援に際しても伝えられることがあるのは確かです。
生きづらさを少しでも和らげたり軽くしたりするための活動や仕事をしていてこんな事を考えるのも少し矛盾しているのかも知れませんが、少なくとも僕の人生って今のところ若い頃の生きづらさ、というかちょっと苦労したその背景があったから生きてこれた、という側面があるのは確かで、もちろんそんな経験しなくても生きてはいたんでしょうけれど、今みたいに自分の意思とか価値観とかを強く意識しながら生きていたかどうかは分かりません。
いいとか悪いとかじゃないし、タラレバの話をしても仕方ないんですが、僕の人生の指針みたいなものは確かに若い頃の自分の生きづらさの影響を色濃く受けているのは確かです。
当時の自分的にはめちゃくちゃ自分は不幸だと思っていたのですが、それでも生きていかなきゃいけなかったから手探りで、先のことなんかどうなるかも分からず必死で這いずり回っていたら少しずつ自分なりの生き方が考えられるところに来ることができた、くらいの本当に「結果論」でしかないような人生なんですけどね。
もちろん必要のない生きづらさなんてない方がいいに決まっていると思うのは今も変わりません。
ただ、そんな理不尽に見える生きづらさも、もしかしたらそれがその人の生きる指針になるようなこともあるんだよな、とも思いました。
結構福祉の仕事をされている方にもいわゆる「当事者性」を持たれてこの仕事に情熱をかけていらっしゃる方も多くおられるので、少しだけ僕にも当事者性があるのかも知れません。
生きづらさを肯定するつもりはサラサラないんですが、それでもやっぱり誰でも生きていれば何かしらの生きづらさを抱えることがあり得ます。
でもそれは、必ずしも不幸の象徴ではなく、そこからどう生きていくかで大きく意味が変わるんだろうな、と思います。
何万回も擦られた言葉ですが、生きている中で経験することは何ひとつ無駄はないんだと思います。大事なのはそれを生かすか殺すかです。
生きづらさというものが結果自分の生きる上での指針になることもどうやらなくはないようです。
あまり自分で深く考えたことがなかったんですが、確かに僕のルーツってそこだったのかも知れないなぁ、という事を感じた話でした。
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