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知らない、が生む生きづらさ

支援に携わらせてもらっていると、「知らない」事から生まれている生きづらさって結構少なくないな、と感じることがあります。
 
 
インターネットがこんなにも普及して、いくらでも情報を仕入れることができるようになった時代に「知らない」ってどういう事なのか、と思われるかもしれません。
 
 
確かに情報を手に入れるには今の時代随分容易になったと思うんです。
 
 
じゃあ一体僕らは何を「知らない」ことによって生きづらくなるんでしょうか。
 
 
 
ちょっと主観的な部分もあるかと思うんですが、今僕らが「知っている」と思っているものって、小学校の時にやっていた計算ドリルの後ろとか別冊で付いていた「解答集」のようなものじゃないか、と思うんです。
 
 
変なたとえかもしれませんが、「1足す1は2である」という「結果」とか「解答」は知っているんですが、そもそもなぜ1足す1が2になるのか、という根本的な構造とか仕組み、理論とか意味みたいなものは実は分かっていないんだけど、ただ結果の情報としての解答は知っている、みたいな。そんな感じがするんです。
 
 
つまり「1足す1は2」は分かっても、それが「5足す6がなんなのか」になると分からなくなる。そしてまた解答としての情報を得にいってそれが分かったらまた知ったつもりになってしまう、という感覚です。
 
 
いくら解答集を見ながら計算ドリルを解いてみてもそれはただ答えを知っただけのものであって足し算の構造や仕組み自体は理解できていないもんで、自分のスキルとしては全く使えるものとして身についていない、ということになりますよね。
 
 
「知らない」というものの正体はここなんじゃないかと思うんです。
 
 
僕らが知る、ということをしなきゃいけないのは多分、情報としての知識ではなく、本当は物事の構造とか仕組みの方だったり、理論や意味合いの方じゃないかと思うんです。
もう少し言えばそれを知った上でどういう使い方ができるか、ということを知らないといけないんだけど、そこが食い違ってしまっているんじゃないかと思うんですね。
 
 
大事なのは計算ドリルにいかに正しい解答を書けるか、じゃなくて構造や仕組み、理論や意味をいかに駆使できるようになるか、という、こっちの方が大事なはずなんだけどそこが置いてけぼりになってしまうことで、結果としての知識は豊富になるけれど僕らは実は知らないことだらけになってしまっている、ということです。
 
 
そして知っている「つもり」でいるものだから、自分が「知らない、ということを知らない」みたいなことになってしまって、意味がわからない生きづらさにぶち当たってしまうんじゃないかと思うんです。
 
 
そんな話です。




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