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枠組みやルールさえ守ればいいってもんじゃない

社会の中には様々なルールとか枠組みとか、手続きとかそういう何というか「決まりごと」みたいなものがたくさんあります。
 
 
明文化されているものもあれば暗黙のものもありますが。
 
 
そこには形式だったり決まった手順、所作みたいなものが形としてあるわけなんですが、これは僕のただのこだわりなのかもしれないんですが、「ルールだから」「そういうものだから」それをやる、という感覚はちょっと違うなぁ、と思っています。
 
 
特に人の支援をしている中で懸念するのは、「形としての」ルールさえ守っていればいい、枠組みにさえはまっていればいい、手続きさえ守っていればいい、という思考のベクトルを生み出してしまうんじゃないか、ということです。
 
 
いちビジネスパーソンとしても、そして就労支援の支援者という立場であっても「仕事さえしてればいい」「結果さえ出せばいい」みたいなことを第一義に考えることは絶対にありません。
 
 
何というか大事なのはそこに込められている意味だと思っていて、特に社会の中にあるルールとか枠組みなどの決まりごとって、ただ形として存在しているわけじゃなくて本来そこには意味があるわけです。
 
 
で、多分それっておそらくビジネスマナーなどと同じように、ある種それらは社会人としての自分の「信用」を担保するものなんじゃないかと思うんです。
 
 
つまり逆を言うと、本来の意味をきちんととらえた上であればその形が少し違っていてもアリなのかもしれないけれど、本来の意味を理解していないまま形さえ守っていればいい、と思っているとそれはあっという間に形骸化して意味のないものになって、そっくりそのまま形だけ守っている人の信用すらも下げてしまうことになる、と言うことなんじゃないかな、と。
 
 
これは特に支援をしていく上で僕は大事だな、と思うんですね。
 
 
例えばビジネスマナーって、挨拶を「すればいい」じゃないじゃないですか。お辞儀の角度を守りさえすればいいものなわけじゃないじゃないですか。
尊敬語を使いさえすればいいのでもないし、報連相をしさえすればいいものでもない。
 
 
これが正しいのかどうかは分かりませんが、「お互いよく知らないもの同士が仕事をしたり関わり合う社会の中で、互いが不快になったり不信にならないよう良好な信頼関係を作るための所作の表し方」として、本来ビジネスマナーみたいなものってあるんだと思うんです。
 
 
そして大事なのはそっちなような気がするんです。所作ではなく。
 
 
そこが抜け落ちたままで型だけやっていればいいんだ、みたいな伝え方を支援の中でしているとしたらそれってすごく危険な気がするんです。
 
 
雑なのかもしれないんですが、多分大事なのって障害の有無も関係なく、社会ってやっぱり「信用」が大事で、その信用をどうやって担保するか、ということを意味として伝えていかないといけないはず。
 
 
しかもそれって人に伝えるばかりじゃなく、もしかしたら同じ課題を僕ら自身が持ち合わせているかもしれないんですよね。
 
 
だからこそ、ルールとか型さえ守っていればいい、ということじゃなく、人として信用される、ということに目を向けないといけないよな、と思うんです。
 
 
そんな話です。




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