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支援が分断されているのはなぜ?

一応障害福祉サービス事業所の所長をしている僕ですが、今日は一日同じ県にあるフリースクールの見学に行かせていただいていました。
 
 
なんでフリースクールの見学?と言われるかもしれませんが、これには理由があります。
 
 
もったいぶることもないんですが、「成人期のひきこもりの方向け」のフリースクール的な支援を始めようと思っているからです。
6月から運営している生活訓練の事業に併設するかたちであくまで少人数の受け入れにはなるんですが、福祉サービスの支給要件に該当していない方の「支援の入り口」としての受け皿として考えています。
 
  
 
ただ、当然運営の形態も違えば対象者も少し世代などが違うので直接的な参考になるわけではないんですが、僕が見学に行きたかった理由はそれだけではありません。
 
 
ひとつは児童期からのフリースクールという選択肢から卒業した後のご本人の進み方について、次にサービスとしてのフリースクールではなく「居場所」としてのフリースクールを体感したかった、ということ。そして最後に、分野をまたいだ繋がりについて、もう少し掘り下げていかなきゃいけない気がしているからです。
 
 
 
前にも僕のコミュニティメンバーで、フリースクールを運営してる仲間にも聞いた事があるんですが、だいたい一般的にはフリースクールの多くが18歳程度を期限としているそうです。
もちろん全てがそうではなく、僕が今日見学に行かせてもらっていたフリースクールさんはもう少し上の年齢まで対応されています。
 
 
ご存知の通りフリースクールは、不登校とか引きこもりがちになっているお子さんや、グレーゾーン呼ばれる生きづらさを持たれたお子さんが通われています。
この場所で自分なりの生き方、みたいなものを掴みながら次のステップというか社会に飛び出していければいいんですが、必ずしもそんな方ばかりじゃないらしく、また行き場を失う方も中にはいらっしゃる。
それが僕が成人期版のフリースクール的な支援の必要性を感じた最初のきっかけなんです。
 
 
フリースクールは、お子さんの多様性を承認しつつも本人のステップに合わせながら、いわゆる指導要領に沿ったものではなく、様々な実体験を通じて、その時に生まれた好奇心や関心をフックにして、あるいは子ども達同士のコミュニケーションによって生まれるものを大事にしながら、「経験」を軸に置いた学びの場なんだろうな、と僕は認識しています。
枠にはめることや強いることとは全く反対の目線から、子育てとか教育というものを眺めている場所なんだと思っているんですが、ここはそういう学びを自然に得られる場所でありながら、彼らの心理的な安全を守っていく居場所でもあります。
 
 
そこに通う彼らが次のステージを考えるときに一体幾つの選択肢が、今この地域にあるんだろう、と思うんです。
児童期と成人期の支援の繋がりや生きづらさを抱えている人が社会に出ていくまでの支援の連なりにはまだまだスキマがあります。
一見すると障害福祉サービスとフリースクールってちょっと畑違いな感がありますが、実は僕らが支えようとしている方ってそんなにも畑違いじゃありません。
 
 
支援の文脈上違うカテゴリとして存在していますが、支える対象から見てみると、多分その円は少し重なっています。
つまり、ここも随分グラデーションがあって簡単にカテゴリの違いで分けられるものばかりではないんですが、今までは何となく違う分野、として捉えていました。
 
 
だけど、児童期と成人期だって時間軸を辿っていけば繋がっていて、生きづらさの支援、と捉えたときに僕らがしている支援は必ずしも別物ではなくて、いつか送り出すであろう社会も同じ場所で、居場所や拠り所が必要なことも、就労や社会参加に向けた支援が必要なことも同じです。
 
 
そうしたときに、僕らは自分の所属している分野だけを見ていていいんだろうか、と思います。
 
 
最近「就労支援」という共通項で、障害福祉分野、とは少し違う生きづらさの支援に関わらせてもらうことがありました。
昨日フリースクールの見学の際にもやっぱり「就労支援」という共通課題の話になりました。
社会に送り出した後のフォローの支援のインフラが整っていなくて困られている分野の方ともお話しさせてもらうことがあります。
 
 
こんなこと言い出すとキリはないのかもしれませんが、僕らは地域の中で目の前の利用者さんだけを支援しているわけじゃありません。
分野や対象者のカテゴリで割っていく事に少々疑問を感じることが増えてきました。
 
 
時と場合によるのかもしれませんが、「必要な支援」という意味では分野もカテゴリもどうやらあまり関係なさそうです。
結構どこに行っても「居場所」や「学習支援的なもの」や「就労支援」や「社会生活のアフターフォロー」みたいなキーワードで見ていくとその支援は必要だったりします。
 
 
改めて僕らは人の人生を年代や生きづらさで支援をカテゴライズして分野ごとに分断するよりも、やんわりと繋がりながらもう少しグラデーションの部分に柔軟に支援が届けられるようなカタチづくりや繋がりづくりをしていかなきゃいけないんじゃないか、ということを考えさせられました。
 
 
ちょっとうまくまとまっていないかもしれませんが、そんな1日でした。

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