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またも懲りずに論文を書き始めている

 なんでだ。
 なぜ、自分から望んだうえで、またいばらの道に足を踏み入れるのか。

 4月から卒業研究の履修が始まった。
 私が在籍している放送大学では、卒業研究(一般的には卒業論文と呼ばれるもの)のため、指導してくださる先生から直接の指導を受けられるのが、その履修登録をしている1年間(4月~翌年3月)と決まっている。
 で、その履修登録をするため、前年度の6月から履修の準備を始める必要がある。
 大まかな研究テーマを決めて、指導していただたきたい先生を決めて、その先生に質問メールを送って、指導の可否などを改めてお尋ねした上で、8月半ばの定められた期間に大学へ履修申請をして、秋から冬にかけて先生から正式に指導の可否を頂いて、年明けに履修登録と授業料を振り込む、という途方もない前準備がある。
 その一連の流れを乗り越えて、やっとこ先生から直接のご指導を頂けるようになり、論文執筆に乗り出すことができ……るんだけど。
 卒業研究の論文提出の締め切り日は、11月1日。
 最大でも、約7か月しか時間がない。
 その制約の中で、論文を書くことになる。
 まぁ、大変っちゃ大変だし、行き詰まった場合は履修を取りやめたり(これはもったいないから避けたほうがいいと思う)、履修期間をもう1年延ばすという手段もあるけれど。
 私の場合は、頑張って今年1年で論文を書きあげたいと思っている。

 とはいえども。
 どうして、また論文を書きたいと思ったのか。
 今まで、放送大学で2本の論文を書いてきている。そのうち1本は最初の卒業研究(それでまず生活と福祉コースを卒業した)、もう1本は修士論文(人文学プログラム)である。
 それでまた、新たに入りなおした同大学の学部(今度は人間と文化コース)で、論文を書くことにしているのだ。
 我ながら「なんでそんなに論文を書きたいの?」と疑問に思ってしまう。

 たぶん、達成感が欲しいんだろうな。
 あと、自分で立てた「問い」に対し、どうしても自分なりの答えを出してみたい、というのもある。
 もし出せたとしても、嬉しいのは自分一人だけかもしれないし、他の人にとっては全く興味のないものかもしれないが。
 尊敬する先生からご指導を頂き、ゼミの仲間からのご意見も伺いながら、論文を書きあげていく喜びって、何物にも代えがたいんじゃないかと。
 めっちゃしんどいんだけどね!!!

 というわけで「頑張ります」ってお話でした。


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