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ごみから見る歴史背景


昨日は、親子ゴミ探検教室に参加して、分別のことやごみの行方を学んできました。

やっぱりそこで疑問が出てきたのは、今までどうしてたの?ってこと。
頂いた資料には「戦後からごみを集めるようになった」と記載。
そこで娘は問います
「なんで、戦後からなの?」

そう!ここでは歴史をさらっとかいてあるので、何が理由でごみを集めるようになったのか、ごみの種類が変わったことは書いていないのです。
娘にとっては、生まれた時からあるプラスチック製品、当たり前だろうという感覚なのです。


戦前の日本のごみ


戦前の日本のごみは野菜くずなど。
多くの人が農家だった尾張の地域は野菜くずは畑に捨てることで肥料になったのかなと思いました。
ほかの地域など人々が適当に川など捨てるため伝染病などはやるためしばしばお触れが出たり、行政がまとめるようになったところも

缶や瓶などはどうしてたのかな?と調べたのですが、戦前に関しては情報があまりでず。。。
昔の人は家具など代々引き継いで使っていたため粗大ごみなどはあまり出なかったそうです。

戦後の急成長


戦後のから多く出始めたのがプラスチック製品
割れない、電気を通さない、安価でできるということでどんどんいろんな種類が出てきます。
人々も人口増加。
消費傾向に動くためごみがおおくなったと言います。
そこからごみを集めるようになったそうですが、結局は「焼却」か「埋め立て」になっていき、自然分解されないプラスチック製品はその後問題視になっていくのです。
*うちの地方ではリンゴ箱1つに付き10円でごみを集めていたのですが、全部埋めていたうえ、どんどんごみが増えていき、80円まで値上がりしたそう。

環境問題


物の種類が増え、種類が増えるということは様々な製法が工場で出来上がるということ。
排気ガス、ダイオキシン、など様々な問題が出てきました。
埋め立てによる限界を感じるも、世の中は大量生産・大量消費・大量廃棄の経済がどんどん押し上げていき、人々が使う分と作る分のバランスが悪くなったと私は思います。

ちなみに分別は1976年静岡県沼津市が初めて行ったそうです。

現在のごみ処理


現在では埋め立てを主とするのではなく分別することでリサイクルをするように考えたり、高度な焼却システムでごみを多く燃え溶かすことができるようになったと言えます。

未来のためにできること


今の企業は「儲け」第一になっていることが多すぎる。人々のためではなく儲けのために生産・消費を作っているように感じました。
買う人一人一人が今住んでいる地球のことを考えて購入と言いう選択をすることで企業を変えていけたらと思います。
ごみを出す人が悪いのではなく、ごみじゃなく活かせるものとして考えていければと思う。
もちろん今見渡せばプラスチック製品にあふれていて、たぶん今全部なくなたら困ると思う。
けれど、ソフトクリームのスプーンがプラスチックから食べれるスプーンに変わったように(今日ミニストップのソフト食べたので(;^_^A)少しずつ変わっていければいいのかなと思いました。

また、今ごみは当たり前に出て、それを自分たちで何とかできないのにごみ処理場に関して場所を遠ざけようとするのはどうかなと思いました。
今の技術は進んでいるし、働いている人をとても尊敬できるようになったらなと思います。

うーん、きれいごとが多いのかもしれないし、まだまだ私の知らないごみについて色々あると思うけど「知れた」ということが大事じゃないかなと思う。
現に今日娘たちは自分たちが食べたものから出たごみに関してすごく関心を持っていたし、どうしたらプラスチックの袋を使わず放送できるか考えていたのがとても見ていて頼もしかったです。

おまけ
コチラのごみの歴史が分かりやすかったです。

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