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【短編】差出人のない手紙 2

前回のお話



 信号もなく、視界良好すぎる直線の田んぼ道。時折こちらをサイドミラーで見ている白バイがまだ見える。俺は急いでスマホをポケットにしまい込むと、再び自転車のペダルを踏みこんだ。
 いつの間にか高い位置に昇った太陽が厚い雲の隙間から顔を出し、目的地の山々を明るく照らしていた。

 警官の言う通り、しばらく進めば踏切に辿り着き、車の往来がそこそこある車道に繋がった。周囲は変わらず人気がなく、山と田んぼしか見当たらない。道なりには時折趣のある古い住宅が出てくる。正直どれもボロくて、カフェの看板なんかはサビだらけだ。
 営業してるのかと思ってのぞき見するも、真っ暗なガラスの向こうは何も見えない。外には壊れた家財道具が捨てられていたり、壁には蔦が巻ついていたり。じろじろ見ながら走っていたら、窓の向こうで人影らしきものが動いた気がして、俺は超ダッシュで立ち去った。
 まるで廃墟のような外観の家もある。こんなところに人が住んでいるとは思えないが、二階には真新しいタオルが干されていた。そんな不気味な景色の先にはとんでもなく急勾配な上り坂と山道カーブ。道路も一気に狭くなる。

「うわ……キッツ」

 立ち漕ぎでも厳しい坂道に耐え切れず、俺は何度も自転車を降りた。その途端、パパーッと激しいクラクションが鳴る。ちゃんと路側帯の中にいるのに、俺を忌々しそうに抜かしていく車のスピードはとんでもなく早い。

「どけって言ったって、これ以上左に寄ったら側溝に落ちるわ! 山の斜面走れってか!」

 腹が立って思わず叫び声をあげたが、ハードシャシーに包まれた奴らに届くわけもなく。

「車の方が危ないしスピード飛ばしすぎやろ! こンのチート野郎、どうせなら乗せてけっつーの」

 車は全然自転車に優しくない。ノーブレーキで何度も追い越され、風圧でひっくり返りそうになった。危ないと注意してきた警官の話も頷けるが、正直こんな状況ではスマホを見ようという気になれるわけがない。登山の後は、さらに強烈な下り坂が待ち構える険しい連続カーブ。自転車の姿を捉えて慌ててハンドルをきったり、急ブレーキを踏む車が多い。命の危険すら感じる。早く歩道のある広い道にならないかな……と思いながら、慎重に自転車を押した。
 真冬なのに、リュックを背負った背中は汗でべとべとになっていた。


 狭い山道をようやく抜けた頃、広めの歩道に辿り着いて思わず自転車を停めた。残り少ないペットボトルのお茶を浴びるように飲み干す。

「うあああーっ、生き返る……!」

 出発当時は寒いし大して飲まないだろうと思っていたお茶だったが、ここで空っぽになってしまった。地図を確認するも、目的地までの道のりはちょうど中間程度。それでも家からは随分進んだし、頭上には花柄がついた「佐山市」の看板が立っている。ようやくここまで来ることができた。

「どっかで水分買うか……自販機あるかなー」

 ここに来る途中、稼働してるのか疑いたくなるレベルのズタボロ自販機は見かけたが、この先あるかどうかは不透明だ。

「それにしても、コンビニくらいあったってええのに。マジでなんもないな」

 コンビニも自動販売機も、現代文明の便利アイテムであって、昔ながらの町並みには不要なものなのだろうか。少し歩けば当たり前のようにコンビニがある市街地に住んでいる俺にしてみれば、あり得ないぐらい不便な田舎道だった。でもこれが市のメインストリートで、最も大きい道路らしい。だからみんな車にばかり乗って、我が物顔で公道を走っているのだろう。
 再び前に進み始めると、気持ちいい風が吹いてきた。鼻が痛くなるほど冷たい、だが懐かしい土の香りがする空気。その中にひらりと小さな白い粉が。

「あっ、雪か?」

 唇についたそれを思わずぺろんと舐めてみた。味はないが、水分代わりにはなった気がする。雪は時々ひらひらと落ちてきては、俺の身体に触れて溶けていく。
 小学校の学校帰り、落ちる雪を集めたがっては溶けて消えると嘆いた挙句、冬の自由研究で結晶作りをしてた奴がいたことを思い出す。なんだか懐かしい。
 時折手袋につく雪をちらちら見ながら、俺は休まず前に進み続けた。
 後ろから勢いよくヒュンッと追い抜いていく車が、あっという間に見えなくなる。一瞬でもあれに乗って気楽に移動したいと思ったさっきまでの自分が、少し格好悪い気がした。


 もう少し先に進むと、壊れかけの店よりもっと時代背景が古そうな瓦葺の家並みがいくつも見えてきた。表で談笑していたおばさんが二人、横断歩道で一時停止した俺を呼び止める。

「自転車旅かい?」
「お茶飲んでいかんか」

 底尽きた水筒に困っていた俺は思わずその申し出を受けた。おばさんたちは俺の親より年上に見えた。「寒かったやろうに」と湯呑で出してくれたお茶は暖かく、湯気を浴びるだけで歯に沁みた。

「どこまで行くん」
「杉っていうとこ」

 このおばさんたちになら聞いてもいいかもしれない。多少は近づいてきたはずだ。詳細な住所を確認すべく郵便物を一度カバンから取り出した。

「そんなとこまで自転車で。えらいねえ」
「手紙を届けるん? ほなあと三キロくらい走ったところに交番があってな。そこにポストがあるよ」
「いや、ポストじゃなくて、自分で届けたいねん」
「なんでまた。変わってんね」
「……なんでって言うか……」

 言い淀んでいると、もう一人のおばさんが「無粋なこと訊きなさんな」と嗜めた。

「子どものうちは冒険するもんさ」
「なるほど、冒険な」

 それから宛先の住所を見て、おばさんたちはああでもないこうでもない、と語り出した。どうやらこの住所の地区は、昔からある古い集落らしい。道が悪いから気を付けなければとか、雪に埋もれてしまうかもとか、電車もバスも中途半端で不便なところだとか。
 どうしてそんな住所の郵便物が、俺の家の前に落ちてたんだろう。道中何度も不思議に思った。けれどきっとこの手紙の差出人は、宛先の主に届けたかったに違いない。俺は結局、名も姿も知らぬ間抜けな持ち主のためだけに、こんなへんぴなところまで来たんだ。これをただの好奇心と冒険心以外の何で表せばいいのか、俺は知らない。

「どうせなら、配達運賃貰おうかな」
「ああ、ああ、それがええ」
「お昼なんか食べたんかい? 黒豆大福食べるか、出したるで」
「……っい、いや大丈夫」

 全く知らない赤の他人にこれ以上施しを受けるわけにはいかない。俺は慌てて立ち上がり、すっかり冷えたお茶を一気に飲み干すと、湯呑を返して礼を述べた。

「この車道伝っていけば迷わんやろうけど、まだあと五キロくらい先やさかい、気をつけてな。側道に入ったら坂になってて、集落は道の下にある」
「彼女によろしくねえ」
「かっ⁉」
「あれ、違うかった?」

 けたけた笑うおばさんはいらないと言っても無理やり俺の上着のポケットに飴とチョコを詰め込んできた。無粋な事聞くなとかって言ってたくせに、勝手に変な勘違いをしたおばさんは「帰りの報告待ってるで」と肩を何度も叩いてくる。逃げるように出発した俺の口から出た息は、さっきまでより白くて暖かかった。

 大福なんて言われてから、リュックにおにぎりが入ってることを思い出した。

(うーん、腹減ったな)

 どこかで食べたいけれど、また休憩なんてできる場所のない、狭い山道が続く。さっきは山の斜面があるだけマシだった。次の山越えは左端側がガードレールしかないガチの崖っぷち。ハンドル操作ひとつミスっただけで崖下に落ちそうな道だ。道路もあちこちひび割れていてすぐタイヤが引っかかるし、おまけに降雪が酷くなってきた。目をきちんと開けて走れない。おのずと伏せがちになってしまうので、足元ばかり見えて寿命が縮みそうになる。
車やトラックは相変わらずずガンガン追い抜いていくから冷たい風圧がすごい。ちょっとは遠慮してほしい。こっちは生身の人間様なんだぞ。ガス欠になる前に、おにぎりを食べて、それからなんとかして自販機を見つけたい。  お茶のおかわりがほしい。

 そんなことを思いながら坂を上り続けていると、道路の反対側に小さな自動販売機と赤いポストが見えてきた。さっきおばさんが言っていた交番だ。

「うそやろ……これ、渡れってか!」

 なんで左側にないんだよ、と愚痴りながら何度も車道を確認するが、行き交う車が絶えないせいで、ちっとも渡れそうにない。横断歩道もない。
左は断崖絶壁。右は車。どちらも強敵すぎて、パワーアップアイテムにも休憩回復スポットにも辿り着けない。ましてや、ポストを選択してゲームオーバーにすることも難しい。
 さあ俺、どうする?
 ――ビュンと風を切って、バカでかいトラックが俺の前を横切った。その風圧と雪で歯ががちがちになる。

「……もうちょっと進めば自販機あるかも」

 諦めて俺は再び前に進み始めた。


 寒い。一度汗をかいたせいか、濡れた背中や脇がキンキンに冷えて震えが止まらない。
 距離的に半日で往復できるだろうと思っていたから、色々見積もりが甘かったかもしれない。地図上ではこんなに走りにくい道かどうかなんてわからなかったわけだし。
 すると目の前に、もう一度赤いポストが見えてきた。自販機よりポストの方が遭遇率高いってどんな厭味だ。
 だがあれにこの封筒を突っ込んでしまえば、俺の旅は終わる。背中を向けてここまで来た道を引き返すだけだ。ここまででも十分冒険旅として認められる気もするし、どうしようか。
 急に下がった気温と体温に、思考が回らなくなってきたのかもしれない。求めていたものとは違うそれに近づき、封筒をカバンから取り出して宛名を眺める。出発する前、暗記するほど見つめていた手書きの文字。

佐山市杉5554
梶浦 優希 様

「……優希」

 名前を指でなぞったら、雪が文字について滲んでしまった。慌てて上着でふき取るも、余計濡れて表書きは無惨な擦り跡が残る。

「うわーっ、やっちまった」

 読みにくくなった宛名をもう一度見返し、俺はそれをカバンの外ポケットにしまい込んだ。これはやっぱり、ここまで来たからには自分で行けという神様からの暗示に違いない。
 意を決してペダルを踏み込んだその時、どこかで聞き覚えのある声が聴こえてきた。

「にゃーん」

 黒い影がさっと視界に入る。黒猫?
 まさか、こんな山奥までついてきたというのか。

「っつうかあぶねええっ!」

 慌ててハンドルを切ったその時、身体がぶわっと宙に浮いた。俺は手にハンドルを持ったまま、一気に落下した――。

つづく


2021年「差出人のない手紙」さくら怜音 著

合同誌「差出人のない贈り物」寄稿作
ライト文芸/青春/ブロマンス

7/28 文学フリマ香川1で頒布する新刊に収録予定です

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