見出し画像

【短編】差出人のない手紙 3(完)

前回の話

 


 ――いや、これは絶対死んだわ。
 雪のせいであんなにタイヤが滑るとは思いもよらなかった。そもそもなんでガードレールがちゃんとついてないんだ。あれ、こういう時に落っこちないようにするための安全装置なんじゃないの。危ないって分かってるんなら、ちゃんとしておいてくれよ。アスファルトもガッタガタで、まともに走れたもんじゃない。

 ……なんて、公共の道路に文句言ったところでどうしようもない。またよそ見していたし、前方不注意だの言われて警察に怒られて、終わり。――あ、死んだらもう逮捕されるとかはない、か。
 馬鹿だよなあ。本当のことを誤魔化して、誰のものかわかりもしない郵便物をダシに使って、忠告も聞かず走り続けたことに天罰が下ったのかもしれない。
『梶浦優希』に会える保障なんて、どこにもなかったのに。


気づけば俺は誰かに必死で呼びかけられていた。

「省吾、しょうごっ、大丈夫か」

 あ、どこかで聞き覚えのある声だ。そうだ俺は、この声をもう一度聞きたくて必死に自転車のペダルを踏み続けてきたんだけど……その前に命を落とすとか、本当に馬鹿だよな。

「あーあ、もうちょっと生きたかった……」
「生きてるやないか」
「……え?」

 ふと目を開けると、雪がいきなり顔に降りかかってきた。冷たいという感触が俺を現実へと覚醒させていく。ちょっと腰と足が痛いけれど、頭は問題なさそうだ。いやあ、あり得ない奇跡。
 起き上がった先に居た少年は、少し泣きそうな顔をしながら笑った。

「よかった、やっぱり省吾や。なんで空から落っこちてきたん。怪我はしてないか」
「……優希」
「家でゲームしてたらすっごい音してさ。何が落ちてきたんかと思って屋根上見に来たら、省吾がおるから。びっくりした」

 興奮気味に話す少年・優希の姿をしばし茫然と見つめながら、俺は目的を思い出して背中に手を回した。大きいリュックサックのサイドポケットには、ちゃんとまだあの茶封筒がいる。

「これ、お前のやろ」
「……手紙……?」
「俺んちの前で拾ってんけど、お前困ってると思って」
「……だから届けに来てくれたんか? 自転車で? 遠いのに」

 鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして、優希は何度も手紙と俺を見比べる。

「遠くないって思ったから」

 俺と同い年で、俺の幼なじみで、今はもう転校してしまった友人。郵便物の受取人・梶原優希は俺の知る男で間違いなかったようだ。最初に宛名を見た時、なんでこいつのが俺の家にあるんだよって驚いたんだよな。住所は知らないところだったけれど、フルネームの漢字四文字は小学校のクラス名簿で何度も見かけたから覚えているし、忘れていなかった。

「めっちゃ久しぶりやな、優希」
「うん、久しぶり。一年半くらい? 中学にあがる時に引っ越したからな」

 そうだ、小学校卒業式の日。いきなり別れは訪れた。
 受験して進学先が私立になった連中は知っていたけれど、同じ公立中にあがると思い込んでいた優希もなぜか「お別れ組」の中にいた。その時はさらっと「じゃあまたね省吾」なんて言うもんだから、春休みが終わったら中学で会えると思い込んでいて、その後市外に引っ越しただなんて知らなかったんだ。
中学生になってからそのことを知って、共通の友人とつるみながら思い出に浸るたび、ほんの少し寂しかった。手紙を見つけた時、俺は誰にも言わなかった本心を知られたのかと心底驚いたんだ。

「省吾ってほんま、昔っから思い立ったら即行動、やな。びっくりした」

 でも無事でよかった。優希はそう言いながら長めの前髪をかき上げ、嬉しそうに笑う。
 頑丈な瓦葺の屋根の上で、俺は照れ隠しの笑みを浮かべた。久しぶりに会えた優希は最後に見た時より、すらりと顔つきが細くなって大人びていた。

「あの崖から落っこちた」
「どうりで。あそこ危ないよ。たまに動物が落ちてくるねん。どんくさい猫とか」

 どんくさい猫って、それは俺の前を横切ったあの黒猫のことだろうか。それとも。

「俺は猫じゃねえし」
「でもそのうち事故った車が落ちてくるんじゃないかって家族みんなヒヤヒヤしててさ。じいさんが市に掛け合ってるらしいねん。省吾のこと聞いたら、大人も動いてくれるかも」
「……ふうん、まあ……俺が犠牲になって世の中がよくなるんなら、まあええか。打ち所が悪くて死んでも後悔はない」
「ちょ、死ぬって。やめてや。頭打ってる?」
「ええねん、俺さぁ」

 手を伸ばした先にある俺より細い腕を引っ張って、でこぼこした瓦の上に寝ころがった。勢い余って一緒に転がる奴の手は繋いだまま、空を見上げる。

「優希にもっかい、会いたかっただけやから」

 この差出人のない手紙は、宛名の人物に「会いに行くきっかけ」をくれたんだ。失くして初めて気づいた、大切な友人を追いかけるひとかけらの勇気も。もう一度手を握れる幸せも。

「雪、消えちゃったなあ。今度また作ろうぜ、結晶」

 曇り空は観音開きの扉のように左右へと流れ、ゆっくりと青白い空を覗かせていく。隣で優希がそれをどんな顔で見ていたか、俺は知らない。

 事故で終わった大冒険の犠牲は、ズタボロになった通学リュックとおにぎり。あと自転車。
 俺も結局病院や警察に連れて行かれた。悪いことはしていないから怒られることもなく、カツ丼も出なかったけれど、やたら質問責めにあって疲れた。ながら運転を注意してきた警官が「怪我がこの程度で済んでよかった」と駆けつけてきて、俺にジュースを奢ってくれた。なんだかんだであの人は世話焼きなんだろう。
 あれ以来、黒猫を見るとビビるようになってしまったのは一種のトラウマか。


 それから三か月経った春休み。
 今度は親に隠さず、ちゃんと優希の家に行くと言った。
 もう一度同じ道を通ったけれど、ショートカットした断崖絶壁には真新しいガードレールが設置されていた。あとで聞いた話、優希のおじいさんは土木関係の仕事をしている人らしい。俺の事故による人柱計画はまあ役立ったってことだろう。

「夏休みは僕が省吾の家に遊びに行くわ。三年になったら塾、そっちの方に通うことにしたし」
「マジで」

 そうは言うけど夜にあの道を通るのは危なくないか。気になってどう通うのか聞いたら「電車」と言われて俺は初めてその交通手段があったことに気が付いた。

「向こうの田んぼ近くに駅があるねん。すごい古い無人駅。見に行く? お前のいる街の駅と違って、趣あるぞ。快速は止まらんし、未だに自動改札機もないし。イコカ使えへんで」
「うそやろ、電車って手段があるんなら、先に言うといてくれって!」
「えー。またお前が自転車で来るなんて思わんかったし。ネットで検索して来たんかと」
「うち、スマホの利用制限厳しいから、ネットとかせえへんもん。だいたい俺の通ってきた道はマジで険しいねんで! お前もいっぺん味わいやがれ、この金持ちめ」
「いやや、親の車で何べんも通ったことあるし。あんな山道、自転車で通る道とちゃうやろ」

 華奢でひ弱そうな体つきのくせ、毒舌極まりない優希の一言で俺の大冒険は一蹴されてしまった。

「どうせ高校生になったらこのへんみんな電車通学や。僕、高校は前の家の近くで受けるつもり」
「ああそっか。俺もそうなるんかな……なら俺も、駅見に行く!」

 べこべこになってもまだ走れる自転車を手押ししながら、俺は優希について歩き出した。
 古びた住宅街を抜けたとたん、田んぼの向こう側、遠く離れた場所にぽつんと見える駅舎とホームが見える。そこまでの一本道ではほんのり色づいた桜の蕾が俺たちを出迎えてくれた。

「そういやさあ。俺が持ってきた手紙、誰からのかわかった?」
「……ああ、うん。わかったよ」
「マジで? 俺の知ってる奴か? アホやんなぁ、そいつ。自分の名前も書かんと、あんなとこに落としよって。手紙どうやって受け取ったか教えてやったんか」
「あははは、うん、お前知ってるで。お前が持ってきたんも知ってる」

 優希はくつくつと笑いながら俺の顔を何度も見つめてくる。何その俺だけ仲間外れ感。いや、俺があの手紙持って行ったこと知ってるのって、優希以外に誰がおるねんって話。

「誰や、教えろや。配達したったんやし」
「秘密やって。プライバシーの侵害」
「はあ? 何言うてんねん、俺とお前の関係に秘密とかもう許さんからな! お前んちが黙って引っ越ししたん、結構ショックやってんからな。あん時まだスマホ買ってもらえなくて連絡先も知らんかったし。根に持ってんねんで」
「スマホは俺かて中学生になってからやし」

 何度食ってかかっても飄々とはぐらかす優希が腹立たしい。でもこいつは昔からそういう奴だと知っている俺は、これ以上聞いても無駄かと盛大な溜息をついた。プライバシーとか言われて壁を作られたらどうしようもない。

「いつか絶対教えろよぉ」
「うん、せやな」

 優希は素直にそう言うと、あの猫みたいな綺麗な黒髪を揺らして悪戯っぽく笑った。

「僕と一緒の高校合格したら、手紙見せたるよ」
「何それ。手紙の中には差出人の名前、書いてあるんか?」
「ああ……せやなあ、お前きっとびっくりする」

 なんだそれ。中身が気になってしょうがないから、高校受験頑張るしかないじゃないか。

「……くそっ。どうせなら同じ高校行きたいしな」

 捨て台詞のように吐いた途端、優希が今日一番の可愛い笑顔を見せた。まるでこのへんの桜が一斉に咲いたみたいだ。なんだよ、引っ越して寂しい思いをしてたのは、俺だけじゃなかったのか。顔にそう書いてあるぞ。

「ところで省吾。俺の志望校、偏差値六〇あるけど成績大丈夫?」
「……………………大丈夫やない、志望校変えろ」
「横暴な。お前も勉強しろよ」

 そんなわけで、俺が懸命に届けた差出人のない手紙は今、優希の引き出しの中で宝物のように閉じ込められている。いつか桜が咲いて、中身を開くその日が来るまで。



2021年に発行した合同誌では、あとがきに手紙の中身を一部公開してました。果たしてこの手紙は誰が「作った」ものなのか。考えてみていただけると嬉しいです。ここまで読んでくださってありがとうございます。

2021年「差出人のない手紙」さくら怜音 著
合同誌「差出人のない贈り物」寄稿作

※7/28 文学フリマ香川1で頒布する新刊に収録予定です。


この記事が参加している募集

文学フリマ

WINGSWEBの同人活動軍資金になります。よろしければご支援いただけると嬉しいです