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ワークライフバランス:キャリアと家庭の両立について(3)

こんにちは。前回は出産前後で働き方や考え方が大きく変わった、という話をしました。自分のキャリアというものを真剣に考えるようになったのです。

管理職への昇格

転職して10年、複数のプロジェクトチームで仕事をする中で、専門職としてそれなりの成果を出してきたという自負はありました。
国内外の同僚たちとも互いに刺激しあう良好な関係を築いており、仕事が純粋に楽しかったです。

部署で最初の育休からの復職でしたが、特に配慮されることもなく(USへ3か月長期出張するぐらいですから)出産前後で仕事の責任範囲が変わることはありませんでした。

そこで気づいたのが、自分一人でできる仕事にはどうしても限りがあるので、人を巻き込む力が必要なこと。
素晴らしいチームメンバーに刺激されると、自分自身の能力の限界まで振り切れるし、引き出しも増えていくこと。
そうしたチームでは個々を超えた力が発揮され、1+1が2以上の成果につながり、またそれが新たな刺激となって次の成果を生み出していくこと。

どうしたらそのようなポジティブなループが作れるのか、個性あふれる専門家集団の中で、どのようにチームを作っていくのか。

チームや組織のあり方に興味が出てきたタイミングで管理職への昇格が決まりました。当時はUS出張中だったので、帰りはビジネスクラスで帰れるのかなあ、とまず思ったことを思い出します(実際はエコノミーでしたが)

管理職とはいえ、ラインのマネージャーではないので特に変わりはないのですが、今考えると当時の上司は採用面接に同席させてくれたり、仕事を振ってくれたり。

当時は「何をやるか考えることから仕事です」と言われて部門横断的なタスクフォースのリーダーを拝命し面喰い、「丸投げだ」とぶつぶつ言っていましたが、今考えると私を育ててくれていたんだな、と思います。

問題をきちんと把握して解決のためのアクションにつなげる力は私の強みとして、後からとても役に立ちました。

子どもも保育園に慣れ、仕事も充実し、小学校に入学する前のこの時が一番、ワークライフバランスという意味ではバランスが取れていたかもしれません。
そろそろ二人目も欲しいな、なんて妊活していました。

突然部長職を拝命

子どもが一年生になったタイミングで大きな転機がやってきました。上司が退職することになり、その後任を命じられたのです。

いずれはラインの管理職、とはぼんやり考えていましたが、こんなに早いタイミングで来るとは思わず。告げられたのがGW直前だったので、GWはずっと悶々と過ごしたことを覚えています。しかも部長職。

ラインの管理職、つまり直属の部下をもつことはこれが初めてです。それだけでも大変なのに、部長職は相当のプレッシャーでした。

シニアマネジメントの会議への参加、圧倒的な情報量と自分で決定しなくてはならない事項の多さ、また自分より相当年上の方も含め、今まで同僚だった方の上司になることの違和感。
果てはリソースや予算の管理まで、今までとは全く異なる業務にてんてこまいでした。

請求書処理の勝手がわからず自分で調べてやろうとしていたら、隣の部の部長が見かねて、ご自身のアシスタントにお願いしてくれたことを覚えています。
(当時、部にアシスタントはいなかったのです)

おまけに、自分自身の担当プロジェクトも持っていたので、完全にキャパオーバー。

そしてこの時、私は二人目の子どもを持つことをすっぱり諦めました。もちろんこれだけが理由ではないのですが。

グローバルの仕事を日本でする

結局、部長職は他部署との合併により、一年で終了になります。部下の数は変わらないのですが、シニアマネジメントの会議等に出る必要はなくなりましたし、情報量や決定権も大きく下がります。

それでは私のモチベーションも下がってしまうと(海外の本社は、このままでは辞めてしまうと思ったんでしょう)、海外のプロジェクトのメンバーに抜擢してくれました。

新しい上司は、ライン管理職との兼任は絶対に無理だと最後まで首を縦に振りませんでしたが、海外本社の説得により渋々OKしてくれました。

日本のローカルの仕事ではなく、グローバルの仕事をしたい、とずっと思っていた私は小躍りしますが、1か月後にはこれをずっと続けることは無理と悟ります。

海外チームのメンバーとなるということは、時差を受け入れて働くということ。世界各国からのメンバーとの会議は、どうしても日本時間の深夜にならざるを得ません。

これがシングルであれば、朝を遅くしてずらして働くことは可能かもしれませんが、毎日学校に送り出す必要があるのでそれは不可能です。

ライン管理職も兼任していましたが、部下の育成に充てる時間などはなく、自転車操業のように回していました。またどれだけ海外チームで働いても、それは日本の上司からは見えないのでほとんど評価されず、逆にローカルの仕事ができていないと言われてしまいます。

実際、部下からも多忙すぎて声がかけられない、との声が上がりはじめました(両立は無理、との上司の意見は正しかったわけです)。

この時のワークライフバランスは最低で、ライフが相当に犠牲になっておりました。
毎日夜に会議が入っているので家族と食事をする時間も、大好きなワインを飲む時間も、友人と会う時間も全くなく、睡眠時間も削り日本の休日(海外は休みでないので)にも働くような生活です。

結局、プロジェクトは後任が育つのを待ち2年で去りましたが、この時の経験は非常に貴重でしたし、英語力も飛躍的に伸びました。

この機会を逃せば二度とチャンスは巡ってこなかったと思いますし、プロジェクトに対してやり切った感があり、次のステージに進むためには必要な期間だったと思います。

この間、夫と息子には多大な負担をかけてしまいましたが、夫とはお互いのキャリアをサポートする同志のような関係でいられることに感謝しています。

つづく。

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