結局、当たり前のことが大切

欲しいものがあっても手に入らない。これを仏教では求不得苦(ぐふとっく)という。
俺は今より大きなテレビが欲しい。でもお金が無いので買えない。辛い。

しかし欲しいものを手に入れても嬉しいのは初めだけで、しばらくするとそれが当たり前になり、物足りなくなる。
俺は大きなテレビを買うために節約してお金を貯めた。そしてついに大きなテレビを手に入れた!しかししばらくするとそれはもう当たり前になり、もっとキレイでもっと大きなテレビが欲しくなった。そのきっかけは大きなテレビを手に入れたことである。
欲しいものを手に入れるからこそ、欲は膨れ上がっていく。もっと、もっと…欲が満たされることはない。辛い。

欲が満たされることがないのであれば、欲をガマンするとどうなるのか?

俺は欲しいものをガマンして、とにかく節約して貯金をした。何となく貯金がある程度ないと、不安でしかたなかった。しかしそれが大きなストレスになり、欠落感を覚えるようになった。
ある日バイトなどですごく嫌なことがあり、帰ってお酒を飲んでベロベロになり、深夜いつか買おうと思ってAmazonのカートに入れていたものを片っ端から「レジに進む」をしてしまう。ということを何度もやらかした。
俺はそれをAmazon暴発と呼んでいた。
またかよ…クレジットカードの請求で、せっかくした貯金が吹き飛ぶ。貯金が無くなった今、一体俺は何のためにガマンをしていたのかわからなくなり辛い。
欠落感は、過剰な行動を生む。
また、過剰な行動の原因は、欠落感である。

欲を完全に満たそうとするのはよくない。不可能だから辛くなる。
かといって欲をガマンしすぎるのもよくない。それが大きなストレスになり、何かやらかして辛い。
何事も、腹八分目がちょうどいい。やりすぎでも、やらなすぎでもなく。仏教ではそれを中道という。

当たり前やん!うーん、当たり前のことって、改めて言われるとホント大したことを言ってないように聞こえる。
しかし、それが大切なことやから当たり前なんやと思う。


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