見出し画像

フェミニズムとわたし

私はおそらくフェミニストだ。
おそらくという言葉を使ったのは、私はまだフェミニズムの概念を学んでいるところだからだ。

フェミニズムにはあまり良いイメージがなかった時間が長かったのだが、あるきっかけでどうやら私の、「全ての性の人が、その性によって何かを規定されたり、差別を受けるべきではない」という思想が、フェミニズムに包括されるらしいということを知った。

そんなわけでもっと勉強したくなって、最近、『フェミニズムはみんなのもの 情熱の政治学』という本を読み始めた。新しい知識を学び、自分の思っていたことが人の言葉になっていくのを見ているのはとても面白い。

ベル・フックスは本の中で、フェミニズムについて、以下のように定義している。

フェミニズムとは性差別をなくし、性差別的な抑圧をなくす運動
フェミニズムはみんなのもの 情熱の政治学

私が性差別について、はっきりと意識したのは、両親が離婚したときだった。専業主婦だった母の自立はとても大変で、おそらく今も苦労しているのだが、それよりもショックを受けたのは、離婚直後の父に告げられたひとことだった。

曰く、お前には祖母(父の母親)のようになってほしい。祖母は、子供ふたりを育て上げ、祖父の母が認知症になった時も、文句一つ言わずに介護をした素晴らしい人なのだ、と。

父にとってはおそらく離婚直後のショックからの発言でそれほど大きな意味などなかったのかもしれない。だけど、私には、両親の離婚以上にショッキングな出来事だった。

その時私は大学生で、ああ、私は私の生き方を自分で決めていかなくてはと決意を新たにしたのだった。
もちろん祖母の生き方を否定するつもりはない。それはその時代において素晴らしい生き方だったろう。でも、21世紀に生きる私が生きていきたい生き方ではなかった。

思えば、子供がいないまま、結婚もせずに、この歳を迎えているのも、こうした思想のせいかもしれなかった。でも、と思う。もし、もう一度人生をやり直せたとしても、私は、ただその性によって誰かが差別される社会はあってはいけないと思うし、この思想を変えることはないだろう。
そんなことを本を読みながら考えるカレッジの夏休みである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?