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【人との境界線の取り方・大切さ】

「人は皆それぞれの人生がある。」

この大前提を、皆が忘れがちです。

家族、友人、パートナーなど、
自らと親しい人たちとの距離感が近ければ近いほど
忘れてしまいがち。

自分の大切な人達には
『同じ想いでいて欲しい』という気持ちが強くなり
同時に『同じ想いでいたい』と
同じであることに安心感を持ちたいがために
同調を強くしていく。

同じであって欲しい・同じでいたいという想いから
相手の想いと自分想いの境界線がわからなくなる人も多い。

特に親子はそういった境界線があいまいになりがち。
母が子に対しては特にだ。

お腹を痛めて産んだ子だからこそ、
無意識に所有物的な感覚を持つ親は多い。
母の期待を全面に子に向ける。
母の価値観・常識を、植え付ける。
子供には子供の人生があり、様々な経験をする権利がある。
が、母は自分が失敗したことや苦い思い出を
愛情から子には経験して欲しくないと思い、
様々な制限を付けてしまい経験する権利を奪ってしまう。
ここの境界線が曖昧ゆえに、
ここの課題の分離ができていないから陥るのがこういう状況。

子には子の人生があり、
親には親の人生があり、
魂が何を求め何を体験しに来たかは
それぞれなのだから、同じにはならないのだ。
時代も、環境も経験も何もかも 親と子は違うという境界線を
認識する必要がある。

ゆえに子である自分は、
親に植えられた常識に疑問を持ち、
自らの想いに正直に生きることを選択することが大切で、
あなたが親であるのなら、
自分の子供を信頼し、
失敗と思えることを乗り越える力があると
信じて見守ることが大切である。

子供が乗り越える必要があることを
親が代わりに引き受けて、
転ばないように障害物をどけてばかりいては
子供は何もできない人間に育つだけなのである。

恋人や 夫婦間など パートナーに対しては
『《同じ感覚での好き》で 思い合うのが当たり前 』
『《同じ感覚で物事を捉える》のか当たり前』
というように まるで同じ人間であるかのように
無意識に求めてしまってはいないだろうか?

「愛した人であるからこそ 同じで居て欲しい」
という気持ちは
私HIROにも 充分すぎるくらいにわかって辛いwww

けれども やはり 他人(自分ではない人)である。
育ってきた環境も違えば
経験してきたものが違うのだから、
全く同じになることは どう考えても難しい話。

どれだけ愛し合っている事を
お互いに感じていたとしても
好きな物、好きなこと、心地よく感じるものなど
感覚が似ていることはあっても
全く同じには なれない。

重なる部分が大きくても
完全に一致は どうしても無いの。
寂しく 辛く感じてしまう人も
いるかもしれないけどね。

無意識で同じであると思い込むから 
勝手な思い込みによる
「当たり前」が邪魔をしてすれ違いが起こる。
境界線もわならなくなって 苦しさを生み出すんだ。


「人は皆それぞれの人生がある。」

だからこそ パートナーでも 親子でも なんであっても
それぞれの想いがある事を 忘れてはいけないし
心地よい境界線を引きながら 
互いを感じ 思いやり 
コミニュケーションを取る事が大事だよ!(*´罒`*)ニヒヒ♡


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