【第四回】新田軍vs足利軍「箱根竹之下の戦い」 [歴史発想源/武心の大道・建武争乱篇]
現在『ビジネス発想源 Special』の「歴史発想源」では、室町幕府初期を舞台とする「信義の経国・室町幕政篇」を連載中です。
そこで、この「トップリーダーズ」では、その前日譚となる「武心の大道・建武争乱篇 〜新田義貞の章〜」の前半部分を期間限定で掲載いたします。
「室町幕政篇」を理解する上で、「建武争乱篇」を一緒に読めば、複雑に入り組んだ南北朝時代がより分かりやすくなるでしょう。
後醍醐天皇に呼応して鎌倉幕府を攻め落とし、建武の新政から離反し室町幕府を作る足利尊氏と激闘を繰り広げた、新田義貞が主人公の「建武争乱篇」。
現代の会社経営やマーケティング戦略のヒントが一つでも見つかると嬉しいです。それでは「建武争乱篇」、第4回をどうぞ!
【第四回】新田軍vs足利軍「箱根竹之下の戦い」
■鎌倉駐留中の足利尊氏を討伐せよ
中先代の乱で旧鎌倉幕府の執権・北条氏の反乱を抑えるために鎌倉に入った足利尊氏は、朝敵の汚名から逃れるために、同族の新田義貞を逆賊として名指しします。
今から京都へと軍を連れて引き返すのは、朝敵として天皇に弓を引くためではなくて、天皇に寄生する逆賊・新田義貞を討つためなのだ、という大義名分を堂々とでっちあげたのです。
そこで足利尊氏が表明した、新田義貞の弾劾はこのようなものでした。
いきなり同族に犯人扱いされた新田義貞。
しかし新田義貞は、この足利尊氏の言いがかりに対して、すぐにその反論を朝廷に提出します。
後醍醐天皇や朝廷の面々は、足利尊氏と新田義貞、二人の言い分を比べますが、どう考えても足利尊氏の主張は言いがかりでしかなく、新田義貞の反論は論理的にも整合性があります。
六波羅探題の制圧と鎌倉幕府の攻略、どちらが上かを論じるといろんな意見がありますが、足利氏が護良親王を殺害しているというのは、もう明らかに弁解の余地がないと言えます。
結局その詮議によって、足利尊氏の朝廷への反逆は決定的となり、後醍醐天皇は朝敵として足利尊氏を討伐することを、新田義貞に命じました。
つまり新田義貞は、裏切った足利尊氏に対抗するライバル武将として、大いに引き立てられたことになります。
田舎武者の一人に過ぎなかった新田義貞が、この時の武士の最大勢力とも言える足利尊氏の唯一の対抗馬としてメインステージに上げられた、ということです。
朝廷に深く忠誠を誓う新田義貞は、同族の巨人を討つというこの大役を引き受けることになり、錦の御旗を掲げて進軍することになりました。
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