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そして今日。私はバトンズの学校を完走した。

大学生のころ、何者かになりたくて夏休みにインドネシアでボランティアをするプログラムに行くことを決めた。それまで海外に行ったこともなかったし、その決断に至るまで、何度も何度も葛藤があった。

ほんとうに行きたいと思ってる? 私はインドネシアに行ける? お金は大丈夫? ねえ、ほんとうに平気?

何もわからない。怖い。どうなってしまうんだろう。ぐじゃぐじゃと考え続ける。でも。

でも。だからこそ巻き込まれてみたい。わからなくていい。というか、わからなくて当たり前じゃん。だってまだ、行ってもないし、始まってもない。私、スタート地点にも立ってないよ。

よし行こう、と決めたその日は眠れなったのを今でも覚えている。自分で下す決断に心臓がばこばこと鳴る。怖い。うまくいかないかもしれない。どうなるかわからない。でも、やってみたい。やるしかない。


私にとって、バトンズ・ライティング・カレッジはそのときの決断とよく似ていた。

ライターじゃない私が参加して大丈夫?  ほんとうにできる? 毎月課題があるんだよ? インタビューなんてやったこともないのに平気?

私が私に何度も何度も確認する。

誰かに「やってみなよ」と言われて決めるわけでもなく、消去法で「まあ、しょうがないからこっちかな」で選ぶわけでもない。

これがいい。やったことないけど、やってみたい。怖いけど、やってみたい。やれるかわかんないけど、やってみたい。

心が、そう叫ぶ。ただただそう叫ぶ。

意を決して、入学課題を提出したのが1年前。あるテーマで3000文字の課題。ぽちっと送ったメールに重さがあったら、重量級のメールになっていたと思う。

怖かった。

ライターでもない私の文章が選ばれるかはわからない。だけど、提出しなきゃ選ばれる可能性はゼロのまま。だったら。もちろん受かるつもりで文章は書くけれど、提出だけでも。


そして今日。私はバトンズの学校を完走した。

「田邉さんをバトンズ・ライティング・カレッジの受講生として迎えることを決定いたしました」のメールからスタートしたこのマラソン。

1年前からは想像できない場所に今、立っている。

受講中のことを思い返すと、何度心が折れそうになったかわからない。自分と、自分が書く文章と、言葉と、ただひたすらに向き合った1年間。それは時に痛みを伴ったし、できない自分を認めなきゃならないこともあった。朱入れされた自分の原稿を直視できない日もあった。

だけど。

講師である古賀さんがくれるひとつひとつ、講義中の言葉やフィードバックにはいつも、古賀さんの温かな血がそこかしこに流れていた。受け取る私からしたらずっしりと重く、「もう無理……」と思うこともあったし、受け取りたくない、と思ったことすらあったかもしれない。でも古賀さんがくれるものは、一貫して古賀さんの分身であり続けた。乱暴に投げつけられることもなかったし、愛想を尽かされることもなかった。当たり前かもしれないけど、受講生32人全員に対して、古賀さんはずっと古賀さんであり続けた。

構想に3年かかったというこの場。学校を用意したい、でもそのためには教科書が必要。じゃあ、教科書から、と考えた古賀さんは「取材・執筆・推敲」を書き上げた。そしてようやくバトンズの学校が開校。

静かで、でも触れたら火傷じゃ済まされないようなメラメラとした情熱。バトンズの学校のカラーでもある青。青い炎がずっと燃えていた。赤より、青い火の方が温度が高いと聞いたことがある。

ひとつ、私が思っていたのは、古賀さんは副担任の先生のようだったなあ、ということ。

バトンズの学校、というくらいだから古賀さんは講師であり、先生ではあるんだけど、どちらかというと副担任の先生のよう。担任の先生ほどがっちがちに固まっていなくて、教室の後ろから生徒をじいっと見守ってくれるような存在。担任の先生より生徒との距離が近くて、相談にものってくれるし、わからないところ、躓いているところの質問には当たり前に答えてくれる。他にもうんうん、なるほど、と話を聞いて、「うん、わかった。僕から担任の先生に言っておくね」という役回りを引き受けて、さらっとサポートもしてくれる。そんな感じ。優しい、というのは簡単だし、安直なんだけど、懐の深い優しさがバトンズの学校にはBGMのようにずっと流れていた。


「あのときの私を褒めてあげたい」というテーマでインタビューをした課題があったけれど、今の私だったら間違いなく、「課題を提出しようと決めたあの日の自分を褒めたいです」って答える。きっと、これからもそう答えると思う。


今日までの1年間は、私の人生にとって確実に必要な時間だった。そういう経験だったし、そういう出会いが、ここにはあった。

第1回目の講義、ダイヤモンド社のカンファレンスルームに集まったとき、私は泣きそうだった。それは、自分がなりたかった姿をした人たちを目の当たりにしたから。ライターとして、編集者として働いている受講生たち。もちろん全員ではなかったけれど、その姿が私には眩しかった。この人たちは、文章を書くことでお金をもらっているのか。

羨ましい。どうして私はそうじゃないんだろう。

ちょっと汚くて、どろっとした気持ちがお腹に溜まる。

これまでであればSNSやコンテンツでしか知ることのできなかった存在が、私のすぐ隣にいる。いつかそうなれたらいいなあ、と思っていた憧れ。だけどその気持ちが羨望に変わった瞬間だった。

もしかしたら、私の心を一番刺したのは他の受講生の存在だったように思う。

その後、私はけっきょく会社を辞めた。ライター、編集者になれる道を模索し始めたからだ。そうして私は4月から編集者として働けている。

バトンズの学校に参加して、私の周りは急速に変わっていったのだ。


人生には、気合をいれてしなきゃいけない決断がある。

よし、やろう。そう思って緊張して、そのことで頭がいっぱいになって、決めた瞬間から不安になるような決断は、それだけで成功だと私は思う。

やってみたこともない、どうなるかわからない。怖い。命綱のないバンジージャンプ。清水の舞台から飛び降りるなんて諺があるくらい、もちろん怖い。

でも、怖くていい。怖いほうが正常だと今なら思う。だってやったことないんだもん。そりゃあ怖くて当たり前。

だけど、その先にいる自分はきっと後悔しないと思う。その決断をした自分を褒めたいとは思うけど、怒りたいとは思わない気がしている。

インドネシアにいったことも、バトンズの学校に応募したことも、私はその決断をできた自分をまるっと褒めてあげたい。

あの決断をした自分がいるから、バトンズの学校の受講生だったこの1年間があったから、今の私がいる。

そんな私が、これからの私を作っていく。

古賀さん、バトンズのみなさん、今日まで、ありがとうございました。またどこかで、必ず。

”終わりよければすべてよし” になれましたか?もし、そうだったら嬉しいなあ。あなたの1日を彩れたサポートは、私の1日を鮮やかにできるよう、大好きな本に使わせていただければと思います。