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現実逃避のために、別の人生を創っていたときの話

私には、ちょっとだめになっていた数か月間がある。

ちょうど1年前。2021年夏。私は新卒で入社した会社を退職することに決めた。退職までにはいろいろなことがあって、コップに注がれた水があふれるようでもあったし、張りつめた糸がぷつんと切れるようでもあった。

ただ、1つだけわかっていたのは、一度ちぎってしまった紙は元には戻らないということ。同僚と集まって「辞めたい」と言い合うのと、上司に「辞めます」と告げるのでは大きな違いがあることを思い知った。

退職してからの数か月間が、私にとってちょっとだめになっていた期間。

その期間、現実逃避の方法として、小さな小さな物語を毎日のように書いた。そして、書いた物語を正方形の画像に加工、インスタグラムに投稿していた。それがこちら。

おびただしい文字の量……ありがちなハッシュタグを検索したら見つかりそう

毎日毎日一単語をテーマに、自分じゃない誰かの物語の中を生きていた。こうして物語を書くことは、ちょっとだめになってしまった自分とバランスをとるためだったように思う。

主人公たちに名前はなくて、私が経験した出来事のときもあれば、まったくの架空のときもあった。私自身をちぎって別の自分を生み出し、そして動いてもらう。ときには私のように、ときには私が生きたかったように。


そして先日、気づけばまったく動かさなくなっていたアカウントに久しぶりにログインしてみた。

「そういえばこんなの書いていた」そう、懐かしくなった。懐かしめた。思わず、そんなふうに作っていた小さな物語をnoteで公開した。

テーマは「畳」。私に近いのか。私から遠いのか。私なのか。私じゃないのか。

想像にお任せします。

”終わりよければすべてよし” になれましたか?もし、そうだったら嬉しいなあ。あなたの1日を彩れたサポートは、私の1日を鮮やかにできるよう、大好きな本に使わせていただければと思います。