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【毎日note1年記念日】毎日書いても、文章はうまくならないし、ネタにも困る日々

いつも読んでくださる方も、今日初めて読んでくれた方もありがとうございます。ライターをしてます、たなべです。


今日は記念すべき1日。そう、毎日noteを続けて365日目。1年が経った日です。

なんだけど、なあんか思ったよりあっさり今日がきた。正直、「え、こんなもん?」が一番しっくりくる感想だったりする。

そういえば私は、中学校に入学した次の日も、高校に入学した次の日も、大学に入学した次の日も、会社に入社した次の日も、同じことを思っていた。

「え、こんなもん?」と。

毎日って全然、劇的じゃない。ときどき人生のターニングポイントになるような日がやってくるけど、でも360日ぐらいは、ただの毎日。日々の当たり前さと、日常の強さを私はいつも痛感する。

そういうとき、大学生のときに行った海外支援プログラムで出会ったアテンダーの言葉を思いだす。

「今は海外にいて、こういう環境で1週間過ごして、きっといろんなことを感じたと思う。でも、明日からみんなは日常に帰ります。学校に行って、友達に会って、アルバイトをしたりする。そういう、これまであなたの隣にあった日常に、もう一度戻っていくのです」

ああ、その通りだ。毎日って、どこまでも毎日だよなあ。


でもでも、毎日noteを始めたときは、「1年なんてほんとに書けるのかなあ~!! ワックワク! 頑張れ私!」みたいな気持ちだったんだよ。

1年も経つとこんなに変化するもんかね。


1年は来たし、1年は書けた。


……。

…………。


いや、ちょっと待って。

これってめちゃめちゃすごいことだね!? 冷静にならなくても、すごいことだよね!?

毎日、毎日、ひらすら書き続けられたのって、ほんとうにすごいよね!! お疲れ様だよ!! お疲れ様だよ私!!

と、自分を鼓舞して、ここからは1年書いて思ったいろいろを振り返ってみたいと思います。


侮ることなかれ、毎日note全然しんどい

正直、「書きたい!」「書くことが好き!」だけでスタートしたら、毎日noteは相当しんどい習慣だなと思った。ちなみに私は、「書きたい!」「書くことが好き!」だけでスタートしたよ。てへ。

だって、冷静に考えてみて。

毎日だよ??? 雨ニモマケズ、風ニモマケズ、雪ニモ夏ノ暑サニモマケズだよ??

飲み会で疲れて帰った日も、友達が泊まりに来た日も、旅行に行ったホテルのベッドの上でも、毎日毎日書くんだよ?? それはもはや縛りのように、書かなければならないんだよ??


ほら、見てよ。

「書かなければならない」とか言っちゃってるし。好きで始めたことが、義務になる決定的瞬間ですよ。とほほ。

でも、1年、毎日noteを続けてわかったこともあって、それは結局、「書くことが好き!」に戻ってくるということ。

好きでスタートしたこと、好きで書き始めたこと。ぐるぐる回って義務になって、とほほになって結局「好き」だから、書き続けていたんだよね。

「書くのが好きだから!」と思って始めたことが1年経って、なんやかんや山超え谷を越え、自分の中の ”真実” に近づいたような気もするよ。

それは、当たり前に心臓があることに似ている。

「書くこと」が自分の無意識下で動いて、私が生きていることそのものに近くなっている、とっても不思議な感覚だったりする。


思い出を、思い出しきってからが本番だ

毎日noteは、思い出だけで書けなくなってからが本番だと思う。

エッセイを書きたいと思って、印象的な思い出を引っ張って書くと、悲しいかな、すぐにネタは尽きてしまう。

悲しいかな、自分が覚えている思い出の少なさを思い知る。覚えている思い出の少なさに胸が締め付けられるよ。これ、いい感覚だよ。

「思い出せね~~~~!」とお風呂場で騒ぎ立てて、「恋して、何か湧き起れ~~~~!」と騒ぎながらスキンケアをして、「もはや、年をとってしまいたい」と布団の中でモダモダする。情緒不安定になり、錯綜する。


だからね、思い出話をメインにしなくていいなと途中から気づきました。

日常で気づいたこと、見た景色、話した会話をメインに、味付けとして自分の思い出話を入れると、印象深い大きな思い出はもちろん、小さな思い出が自分にはいっぱいあることに気づけたりした。

例えば小さな子供を見て、「自分もこんなだったな」と思うと、小さい頃の思い出が2~3個ぐらい思い出される。

逆に「自分はこうじゃなかったかも」と思っても、なんでそう思ったのかを表す出来事が2~3個思い出される。

友達とイタリアンを食べた日には、前にこの友達と会ったときのことや、そのときの会話を思い出してみる。別の友達とイタリアンを食べたときのことも記憶から引っ張りだす。あとはリアルに、アプリのカレンダーを遡ったりもしてるよ。

そうやって、日常をちゃんと思い出にしていく。今日あったこと。この前の出来事。した会話。撮った写真。ちゃんと全部、私の思い出BOXにいれる。


たぶん、思い出ってそういうものなんだろうなと思う。noteのメインネタにできる思い出よりも、日常の出来事と紐づいて思い出される思い出のほうがきっと多い。


何も書かれてない ”白” が怖くなってからが本番

毎日noteは、何も書かれていない白紙が怖くなってからが本番だと思う。

白紙とは、noteを書く前のこの画面のこと。


こわこわこわ~~~~!!! 何も書かれてない!! 怖!

自由という名の不自由すぎるよ~~~~!!


ちなみに私は4か月ぐらい経って、「もうこの画面を見たくない」と心底思いました。

「なんでこんなに真っ白なんだ」と思ったし、「もう誰か書いてくれ……」と本気で思ったよ。白紙が嫌になった。怖くなった。画家が真っ白なキャンパスを見て、途方にくれる気持ちがよ~~~~くわかった。

何も書いてない・何でも書いていいという自由は、何を書けばいいかわからないという不自由に直結している。

ところがドッコイ。

不思議なもので、いつか乗り越えられる日がやってくる。もう、しょうがないかと思えるのだ。ある意味では、見慣れてくると言ってもいい。

もういいよ白くて。もういいよ自由で。もういいよ何も書かれてなくて。ありがとう、何も書かれてなくて。

……。

こうなってからが本番だよ(白目)。


「読み書き」という言葉の神髄を見る

ただ、書けなくなるときはきっとくる。それは、ネタがないということもそうだけど、言葉が出てこないという場合もある。

どんなふうに書いたらいいかわからない。どんなふうにこの出来事を整理したらいいかわからない。

あれは書けない、下書き保存。これも書けない、下書き保存。待って、あっちも書けない、下書き保存。下書き保存、下書き保存……想像もしたくない地獄のループ。

こうやって下書き保存は途中のままで量産されるのかもしれない。


1年続けてわかったこと。

そういうときは、書かないで読んだほうがいい。

ちなみにこれは、私が「書く」を学んだバトンズの学校で教えてもらったことで、「書くことと同じくらい読むことを大切にしよう」の言葉が、毎日noteを書く中でぶっ刺さってきた。


「読み書き」と言われるのは、その順番にもきっと意味があるんだと思う。

書く前に、まず読む。まず取り入れる。言葉を読んでみる。食べてみる。

動いたらエネルギーを消費するように、もしかしたら書いたら言葉も少なくなっていくのかもしれない。

自分の癖なのか同じような言葉並び、どこかでとってきたような月並みな表現。自分が使いやすい接続語、語尾。

そういうので、自分の文章は凝り固まっていくのだろう。自分から出た言葉が、自分から出た吐しゃ物になるのは、とても悲しい。


だから、文章の作り方、書き方、言葉も読んだほうがいいなと私は思う。ただ、ここで言いたいのは文章術の本を読もう! ということではなくてね。

もちろんそれらを読むのはとても重要なことだけど、毎日noteを書くならそんな小難しいことは一旦置いといていいと私は思う。

それよりも、日常のことや自分が感動したこと、心がキュンと動いたことを書けるような本を読んだほうがいい。

そこで私はエッセイを読むことをおすすめしたい。

ちゃんと本になっているエッセイというのは、日常の気づき方や「あ~わかる」の抽出と、言葉を駆使してそれを表してくれるところがとてもとても勉強になるのだ。

ちなみに、私おすすめのエッセイはこちらたち。

私も読むけれど、書けなくなったら読もう。気づき方を、気づける人たちに教えてもらおう。

できれば、みんなのおすすめのエッセイも教えてほしいな。


人生に浮き沈みがあるように……毎日noteだって乱気流

人生がそうであるように、毎日noteだって調子がいいときと、調子が悪いときがくる。マラソンのように出だしは好調で、だんだんと息があがってくる。

でも、ある一定を乗り越えると「まあ、いいや」と自分の生活に馴染んでくるのも、また確か。

お腹が空いたらご飯を食べる。尿意を催したらトイレに行く。シャンプーがなくなったら買い替える。夜になったらnoteを書く。そんな具合になる。

まじで? なるの? と思っているあなた。

なります。ほんとに。

当たり前が変革する瞬間ってこういうことなんだなって思うよ。自分の性格を変えるのは、今と同じ月日が必要だと言うけれど、それもほんとうだなあと思う。時間の積み重ねを痛く実感します。

月別が気持ち~~~~!!!


毎日noteを続けたとて、文章はうまくらないし、仕事もこない


とはいえね、まじでこれに集約されます。

別にね、うまくならんです。ならんのですよ。仕事依頼、プロフィールのタブを設定するけど、別に仕事がくることもないですね。はい。

お仕事待ってます。切実

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そういえば私、毎日noteを始めてから3ヶ月ぐらいは毎日note書いてること言えなかったんだよね。それは、「ほんとに続けられるかな?」って疑いが自分に対してあったから。

でも半年ぐらいを過ぎてから「毎日note書いてるんです」と言えるようになって、それでそう言うともらう反応が大体「え! 毎日書いてるの!? 書くこと困らない?」で。

そのたびに思ってました。


困るよ! ほとんど毎日困ってるよ!
「書くことこm」ぐらいで、「困るよ!!!」と瞬時に思う。

「よくそんなに書けるね」と言われると、

必死だよ!? 毎日全然必死だよ!?

「言いたいことが溜まってるんだね」と言われると、

ないよ!!!!!! ぜんっっっぜんないよ!!! と思う。

考えの整理という名目は3ヶ月ぐらいで終わるし、日々の私を残しておきたいという想いも同じく3ヶ月で消える。

なぜなら、思ったよりも自分の思考が浅いことに気づくし、毎日が劇的でないことを思い知らされるからだ。

そう。さっきも書いたけど、毎日ってね全然劇的じゃないのよ。会社に行っていたときは、道端に落ちてる小石程度の話題を広げたこともあったけれど、フルリモートの今は、トイレと仕事机、お風呂の往復で1日が終わる。

見慣れた部屋の中、見慣れたカップで茶を飲み、見慣れたパソコンに向かい合う。

全然劇的じゃない。



だけども、毎日書く。それでも、毎日書く。

ほとんど気力と、気合いだ。「毎日noteを書くぞ」という気合。

未完成でも、中途半端でも、この1年はとにかく「書き続ける」に比重をおいていた。だから書き続けられるためのルールとして私は、日付変更線を超えてもいい、800字ぐらい書けばいい、書けないときは「書けない」と書いていい、を設けていた。ときどき、過去の掌小説に縋ることもあった。

それぐらい、結構難しいんですよ、毎日noteって。

雨ニモマケズ風ニモマケズ、雪ニモ夏ノ暑サニモ。飲み会にも、急なお出かけにも、旅行にも、夜遅くまでのイベントにも負けないで書き続ける。

「ウッ……毎日noteさえなければこのまま眠れるのに……」と思った夜を凝縮したら5か月ぐらいになるんじゃないでしょうか。3日に1回ぐらいは思ってますよ。しょうがないじゃん。だって大変なんだもん。



ただ、それでも書くしかない。

文章はうまくならないし、仕事はこないし、ネタには困る。


でも、それでも書く。

「なんで書くの?」って疑問に、「なんで書かないの?」と疑問を返して書き続ける。

それは、そうすることでしか見えない景色と、気がつけなかったことと、たどり着けなかった境地に行くためだったと今なら思う。

私は、毎日書き続けられるんだという自信・自負。中途半端でも出せてしまうんだという浅い希望。こんなこと思っていたんだと自分が自分に気づく瞬間。それから、50回に1回、めちゃめちゃいいnoteが書けてたくさんの反応がもらえたとき。

そういうときに、地べたに這いつくばるように「ああ、書いていてよかった」と思うんですよ。

反応や、スキをもらえないと知ることも毎日noteの醍醐味かもしれないし、ほとんど自分の自尊心との戦いでもあると思う。全然バズらないし、「書き上げた!」と思ってるのは自分だけで、自分よりも上手に文章を書く人に、何度も嫉妬の温度を突き付けられる。

ただ、誤解しないでほしいのは、反応がもらえないことに慣れる、のと、反応をもらえるように頑張ることは別ものだということ。

反応をもらえるように頑張れば、もしかしたら今と違うタイトルの付け方をするかもしれないし、自分が使わない言葉の使い方をする必要があるかもしれない。サムネイルにこだわってみる、とかもね。


たった1年。されど1年。よく続いたよ。

「バトンズの学校」の先生古賀さんも、何十年も毎日言葉を書き続けていた糸井重里さんに会いたくて、毎日noteを始めたと言っていた。

先人がそう言っているんだ。きっと、またこれからも続けていけば、新しい人に出会えるかもしれないし、仕事になる日もくるかもしれない。


だから、また書こう。せっかくここまで続いたんだし、ね。


それに私は、私が書くnoteがけっこう好きだよ。たまに月別のところを適当にクリックして、過去に書いたnoteを見返して笑ったりしてる。「いいこと書くやん私」とかひとり呟いてクスクスしてる。

だからまた、クスクスできる日のために、クスクスできるnoteを書いていこうと思います。

引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。


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