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噂の木10ドラマ「silent」を1話から最新の7話まで一気見した

噂の木10ドラマ、フジテレビの「silent」を見た。

もともと、毎週録画はしてたけど1話目のリアタイを見逃したせいで、録画も「いつかいつか……」とあっためていたら、あっためすぎて羽化していた。

友達とご飯に行くと必ず話題に上がり、「ええ!! まだ見てないの!?!? 早く見な!!」と、渋谷の広告トラックのように繰り返し言われたりした。

放送当日のTwitterはいいシーンだけが30秒ほどで流れるネタバレの宝庫と化していたし、なんなら「もはや録画も見なくてもいいのでは……?」とすら思い始めていた。


しかし今日。

朝、起きて見た窓の景色は、冷たそうな雨粒だった。ぽたぽたと雨が屋根を打つ音が聞こえる。

「昨日スーパーに行ったし、家の掃除も完了しているし……」

巣篭もり確定だ。

それなら、と重い腰をあげてsilentを1話目から見始めたのだった。


気がつけば、一気に見終わっていた。

1話から最新の7話まで一気に見終わっていた。



ちょっとちょっと、このドラマを企画し撮影し制作しているみなさん出てきてください?????


一気に見終わった私は、「軽い拷問かな?」と思った。

涙腺がぶち切れたかのようにダバダバダバダバと涙が出てきて、いろんな登場人物のいろんな気持ちが見え隠れして、感情で身体が捩じきれるところだった。

これを毎週毎週1話ずつ、1話終わったら1週間待ってから次の話を見る、ちゃんとした視聴者の気持ちの強さを考えて目眩がしそうだった。


ちなみに、私が思ったこのドラマの1番の見どころは、ろう者や耳が聴こえないことを題材にしているからか、「言葉数が多くないところ」だなと感じた。


いろんな説明を“間”や、”演者の何気ない視線”、”ぽそっというセリフ”、”実は繋がっていた言葉たち” だけで終わらせている。


特に最後の ”実は繋がっていた言葉たち” が秀逸だったと思う。


例えば、主人公紬の恋人だった湊斗がした「どんな人って聞かれたときの答え方」の話。

どんな人なの?って聞かれた時に好きな人ならその人の好きな所、
嫌いな人ならその人の嫌いな所、
何も思ってなかったらその人との関係性とかその人の自己紹介を言うんだって。

この話を湊斗自身は、友達の想と焼肉を食べながらしていた。


それなのに、全然別のところで紬が「どんな人なの?」と、想に聞く場面があって、見ている視聴者だけ「これあのときに聞いたやつや……!!」と気づくことができる。


他にも、記念すべき第1話目。

耳が聴こえていた想が、話し声が大きい紬に対して「うるさい」と言うセリフ。

このときは、恋人たちの胸キュン戯れセリフとして「青春やな……」と、遥か彼方に自分にもあったかもしれない青春へ視聴者を誘う。


しかし1話の終盤、最高にいいシーンで今度は意味が違う「うるさい」が出てくる。

このシーンはそのままの「うるさい」というネガティブな意味だ。

そして、視聴者にだけ「あのときと同じセリフ……!!」(このとき想は『うるさい』を手話でしていて、手話がわからない紬は何を言ってるかわからない)となる。

すぎょい。

そういう、セリフの使い回し、視聴者にだけわかる「あのときの会話のやつ」がめちゃくちゃ多い。

言葉、会話の流動性の高さがとてもいい。それを限られた言葉数の中でやってのけているのがほんとうにすごい。



それから、シーンの説明をしすぎないところも見どころだと思う。

例えば、紬と湊斗が別れてしまい、そのあと湊斗宅にあった紬のヘアピンを「どうするか?」という2人の最後の電話のあと。

そのヘアピンをめぐる2人のやりとりがぽっと出てくる。

それも電話が終わったあとの湊斗がそのまま寝てしまった姿から、いきなり回想シーンに入り、視聴者的には「ぬ?」と、一瞬だけ何を見せられているのか? の状態に陥る。


他にも、想が耳が聴こえなくなってから出会った友達、奈々が、想と2人で電話する夢を見るシーン。

生まれたときから耳が聴こえない奈々は自分の声も、想の声も想像することができない。そんなまったく音がないシーンが突然ぽっと出てきたりする。


しかし、そのシーン説明はそのときにはない。

ただ説明がそのときになくても、視聴者は「奈々の夢なんだ……」と、思わずわかってしまうのだ。


だからこそsilentは、視聴者の想像や、視聴者それぞれがもつ気持ちによって見方が変わるドラマなんじゃないかなと思う。

今、漫画やアニメでも、一人ひとりのキャラクターに厚みを持たせるようになっている。敵やライバルだとしても、その生い立ちや背景を描くことで共感の幅が広がっているのだ。


主人公紬の視点で見て共感できる人もいれば、奈々の視点で共感できる人もいるのかなと思う。

これまでの、好きな人が同じ=ライバル、敵のような図式じゃなくて、同じ「好き」な気持ちをもつ人。


しかしだからこそ、恋愛は2人でしかできない、という切なさが葛藤として見えてきたりするのがたまらなく、私たちの心の隙間をぎゅん! っと刺してきたりするドラマなのだ。


気づけば日付変更線をジャンプしてしまっていた。


silentを見て、多くの人がモダモダモダモダ、心臓をきゅうううっとさせればいいなと思う。

ちなみに次回は、サッカーW杯で放送はなしだ。

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