コンプレックスと真似とリスペクト

一つ下のいとこは、私のコンプレックスだ。 
性格は割と正反対で、恐らくいとこでなかったら、人生で関わることはなかっただろうと思うタイプだ。

本当の姉妹ではないが、私を姉のように慕ってくれた彼女は、今では人生の色々な面で既に私よりずっと先を歩いている。

分かりやすくいうならば、彼女はクラスの中で明るい場所によくいる、ちょっとやんちゃな人だ。友達も多いのだろう。先生に怒られることもあるが、可愛がられるタイプだ。
かくいう私は、特定の人たちと目立たず騒がず学生生活を送るタイプだ。先生に怒られることもなければ印象に残ることもないだろう、という具合だ。

人生の波も逆だ。彼女は、中・高生まではあまり勉強も真面目にしている風ではなく、将来もどうしよう…と悩んでいた。それでも学園祭で得意のダンスを披露したり、制服デートをしたりと当たり前の青春を謳歌していたようにみえた。
その後、高校の附属大学がハワイに持っている短大に留学し、去年の9月頃からはハワイで働き始めた。

私はというと、小学生の頃からなりたいと思っていた声優という夢を追って、高校から大学2年の半ばまでは学校と並行して養成所に通っていた。しかし、紆余曲折あって私の道はこれではない、と思い人生の半分の時間を費やしていた夢から退いた。
理由は一つではない。いつのまにか"なりたい"と思っていた仕事が、"ならなければ"というプレッシャーに変わっていたことだったり、常に商品としてどうあるべきか、人からどう見られるのかということを考えながら生きることに疲れたというのが、大きな理由だったのかもしれない。

そして何より、アニメについて考える時、どういう表現をしたら作品が面白くなるのか、どういう演出が良いかといったことを考えることの方が私は好きなのだ、ということに気がついた。一時はアニメ制作に携わりたいとも思ったが、アニメ業界でのアルバイトを経てアニメ制作の現状に触れ、彼らのように人生の大幅な時間を削ってアニメの制作に費やすほどの覚悟はできないなと感じ、制作に携わりたいとは思わなくなった。
それでも、やはり声優には向いていなかったなとは思った。

10年、声優という夢を追っていた。人生の半分想いを寄せていた仕事を諦めた時、開放感の後にやってきたのは自分には何もない、という焦燥感だった。夢や目標があった時は、同じくらいの不安と希望があった。時には夜も眠れない程苦しかった。贅沢な話だが、それを手放した途端、情熱を傾けられるものを持っている人がとても羨ましくなった。

私は中高と進路に悩んだことはなかった。だから、友人の”やりたいことがない”という悩みに寄り添うことはできても、それがどのくらい不安なことなのか理解してあげることはできなかった。だが、今更になって彼らが辿ってきた「やりたいことが見つからなくて不安」という症状を抱えている。
私はこのまま、何者でもないまま、何も残さず、ただ時間を浪費して死んでいくのだろうか。それは、死という概念を持たないまま、いつ明けるとも分からない暗闇に放り込まれるような、底の見えない漠然とした不安だった。
ウェブデザインの勉強を始めたのも、結局はそんな不安から少しでも遠ざかるためでしかないのだと思う。

私が自分の内気な性格とひとり相撲をしながら、ひいこら夢を追っている間に、いとこは勉強をして英語を身につけ、彼氏を見つけ海外で仕事をしている。
最近は趣味で絵を描いているらしい。インスタのアカウントを見つけてしまった。

歳の差は一つなのに、と感じたくもない引目を感じてしまう。実際の姉ではなくとも、親族の中で何となくそのような立ち位置を求められていることは理解している。

しかし、私ときたら制服デートもしたことがなければ、はたと気がつくと養成所に通っていたのに、自分をどう表現したらいいのかもよく分からなくなってしまっていた。

SNSを通して何かをしようと思い立つ度に、これは同じようなことを友人がやっていただとか、人に真似されるかもしれない(そもそもそんなに光るものがお前にあるのか!)だとか、こういう表現をしたら、SNSという既に蜘蛛の糸くらいの繋がりしかない同級生のウェイ達に、行きもしない同窓会で話のネタにされるのかな、といった、地球規模で考えれば猫のくしゃみほど些末なことで悩み始めた挙句、結局なにもしないのだ。否、何かをするのが怖いのだ。

私が、いとこと同じくらいかそれ以上にコンプレックスなのが"真似"だ。

私には保育園が同じだった幼い馴染みがいる。両親共に仲が良く、食事にも行った。そんなどこかの記憶の一場面だ。
ファミレスで食事をしていた時、確か幼い馴染みが子供用の可愛らしい食器を使っていた。
隣の芝生は青い現象というのは、多くの子供がもっているのではないかと思うが、恐らく私も例に漏れずそういう気持ちに駆られたのだろう。さりげなく、彼女と同じ食器を持ってきた。

すると、幼な馴染みは大きな声で「私が使ってるから持ってきたんでしょう?」と言った。すると私の母が、「あらぁ、そうなの?」と私に尋ねてきた。その時、なぜだかとても悪いことをしたような気がして、胸がきゅっとなった。
なぜだかは分からない。今思い出してもちょっと胸がすくむ。苦い記憶だ。

友人も母も私を責めたつもりはないのかもしれない。
今となってはそれも確かめる術はないが。
そんな様な"真似"に関する苦い記憶がもう一つある。

今度は少し成長して小学生の頃だ。その頃、男子の中では"真似をする"というのが流行っていたらしい。
ターゲットの言葉や行動を知能のないロボットのようにひたすら復唱・複製しようとするのだ。それが嫌で嫌でたまらなかった。

このような歴史的背景のおかげで、私の中で"真似"という行為は負の要素として位置付けられてしまったのだろう。
しかし、最近リスペクトを伴った"真似"というのは成長への糸口ではないかと思えるようになってきた。

世界的なミュージシャン、エリック・クラプトンは様々なミュージシャンの手法を真似して技術とセンスを体に擦り込んだ。

以前、脚本を書いてみたいと思った時に、有名なアニメ作品でシリーズ構成や脚本の仕事をされていた方に話を伺ったことがある。
その人も、書き上げるコツは自分が面白いと思う作品の話の流れ、起承転結を真似することだと言っていた。

多分、私は既にどこかで分かっているのだ。
リスペクトを伴う"真似"は有意義なものだということも、コンプレックスを盾にしてやらない言い訳にしていることも。それでも、人からどう思われるのかということが怖いというのは本音だ。
私はアーティストには向いてないと思う。
それでも、どうしようもなく何かを表現したいと思ってしまう性だからずっと鈍く苦しくて、今、こんな文章を書いているのだろう。

これはリハビリだ。

表現というのは、受け入れられるか否かは別として、受け手がいて成立するものだと思う。
今の私は、風がないのを言い訳に紙飛行機を手放せないでいるのと一緒だ。

風がなくても紙飛行機は飛んでいけるのに。

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