見出し画像

【30秒の豆知識】ウラジヴォストーク

ロシア、ウラジヴォストーク

1860年、中国・清朝と結ばれた北京条約によって、ロシアが沿海州(シベリア東南部で日本海に臨む地域)を獲得した。

その後、獲得した地にウラジヴォストークは建設された。

ウラジヴォストークは日本海に面した開港都市であり、ロシアの極東経営の拠点となった。

また、ロシアの極東における領土的野心の現れでもあった。

「ウラジヴォストーク」
ロシア語で「東方を征服せよ」を意味する。

ちょうど、ウラジヴォストークの東方に太平洋進出の拠点としてうってつけの土地がある。

しかし、その「ウラジヴォストーク」の夢は1905年に潰えることとなった。

1905年、ポーツマス条約の締結によって。

※ポーツマス条約
1905年、アメリカのポーツマスで調印された日露戦争の講和条約。

だが、ウラジヴォストークは今尚東を見つめている。

昔からずっと変わらずに。

(終わり)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?