【偉人小話】人種差別は不合理だ
未だ世界に根強く残る人種差別。
個人を肌の色、出身地や宗教・文化のみで判断し差別する人々が、21世紀の今日においても悲しいことに存在する。
差別は不合理で愚かな振る舞いだ。
しかし、差別をする集団・マジョリティに属する人間が「差別は不合理で愚かな振る舞いだ」と声を大にして叫ぶのが、なかなか難しい時代もあった。
人は1人では生きていけないからだ。
所属する集団から爪弾きにされる恐怖とリスクを容易に背負える人物など、そうそういない。
だが、それでも「差別は不合理で愚かな振る舞いだ」と示せる人物もいる。
本日はそんな1人のアメリカ大統領のお話である。
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1950年代、アメリカ。
白人から虐げられてきた黒人(アフリカ系アメリカ人)が差別の撤廃を求める運動、黒人運動が高まりを見せていた。
後の公民権運動やワシントン大行進で有名なキング牧師が登場したのもこの時期である。
※アメリカにおける黒人差別の源流、黒人奴隷についての記事があるので、よければそちらも参照して頂ければ。
「人間と奴隷」-南北戦争と奴隷制
当時のアメリカ大統領は、ドワイト・D・アイゼンハウアー 。
〔Dwight D. Eisenhower(在任:1953〜1961年)〕
あのノルマンディー上陸作戦を指揮した元・連合国軍最高司令官であり、元・アメリカ陸軍大将である。
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アイゼンハウアー大統領の時代、1950年代から黒人運動が高まりを見せたのには理由がある。
ポイントは戦争である。
即ち、1945年に終わりを迎えた第二次世界大戦。
アメリカはヨーロッパで、そして太平洋で戦った。
戦場で生き残り、敵に勝つ為には何より味方の団結が不可欠。
仲間内で揉めていては話にならない。
故に、戦場の兵士らは人種の壁を超えて協力した。
黒人も白人も関係なく、全てのアメリカ人が必死に戦った。
そう、戦場では人種差別が消え失せたのだ(敵に対する差別は別だが)。
しかし、戦争が終わり必死に戦った黒人たちが母国に戻ると、差別の日々も戻ってきた。
戦場を知らぬ者たちからの差別だ。
「命を投げ出して戦ったのにそれはあんまりだ」と、声を上げる人々が出て来た。
黒人運動が高まったのは、当然の流れと言える。
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元・軍人であったアイゼンハウアーも、当然黒人を共に戦った戦友として認識していた。
個人を肌の色で判断することの不合理を知っていた。
個人を能力で判断する合理性を持ち合わせていた。
故に、黒人差別に対しては忌避感を抱いていたに違いない。
そんなアイゼンハウアー大統領の在任中、アメリカ南部のアーカンソー州はリトルロックで重大な事件が起こる。
その名もリトルロック高校事件。
今まで白人しか入学を許されていなかったリトルロック・セントラル高校に、新たに黒人生徒9名が入学することとなった。
その際、入学を認めない州知事が州兵を派遣してまで黒人生徒の登校を阻止した。
更には入学に反対する地元民もが高校を取り囲んで封鎖し、黒人生徒の登校を阻んだ。
事態が混迷を深める中、アイゼンハウアーは州知事に収拾を図るよう命じた。
州知事がそれを無視すると、アイゼンハウアーはアメリカ陸軍の第101空挺師団を派遣し、黒人生徒を護衛させた。
〔陸軍に護衛される黒人生徒たち〕
ちなみに、空挺部隊というのはどの国においても、その国の精鋭を意味する。
アイゼンハウアーが、わざわざ空挺部隊を送り込んだ意味。
それはこの事件、ひいては黒人差別に対する強力な批判である。
こうして、リトルロック高校事件は一応の解決を見た。
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この事件から6年後、ワシントンでキング牧師が「I have a dream」で有名な演説を行うことになる。
そして演説から5年後、キング牧師は凶弾に倒れた。
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未だ世界には悲しいことに人種差別が存在している。
偉大な先人たちでさえ、差別をなくすことはできなかった。
で、あれば差別を社会から完全に消滅させることは出来ないのかもしれない。
しかし、差別は不合理で愚かな振る舞いだと、個々人の行動や態度で示すことは出来る。
もし、愚かな差別の現場に出会してしまった場合、彼を思い出すと良いかもしれない。
差別は愚かだと示したアメリカ大統領を。
(終わり)
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