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父親の悪口を思う存分に綴ってみた

私は父親が嫌いだ。

酷く頑固で他人からの指摘を受け入れようとしない。自分の能力が高いと過信していることから、自分の考えが正しいという愚かな思考の元、人の意見に耳を傾けない。その姿勢はむしろ人間力の低さを示していることに気がついていない。

自分にとって都合の悪いことや不満に思ったことに対し、全て「つまらん」などと発言する。
思い通りにいかず納得できない事柄に対して過剰に「面白くない」と評価するだけである。
誰もお前からの評価など眼中に無い。思うのは自由だが、発言だけでも控えたらどうだろうか。

自分と比べ人に優劣をつけ、その評価によって相手への姿勢も異なる。特に子供である私の意見には一切聞く耳を持たず、異なる意見を取り入れようとも思わない。

親と子供の上下関係を重視し、対等に意見交換を行わない。子供の頃、家族で外出した際には父から「昼ごはんは何が食べたい」と子供に聞くことがあった。父親の好みでない飲食店を挙げられた場合は、父親の気分でお店が決められる。何故、私たちの要望を聞いておいて応えないのか問いただしても、都合が悪いのか無視をする。まるで会話にならない。
子供の気持ちとしてはファミレスのハンバーグやマックを食べたいのにも関わらず、定食屋に連れていかれた時の虚無感はえげつない。母がみかねて「ファミレスにしよう」と提案するも、頑固な父親は首を縦に振らず、自分の行きたい店へ車を走らせる。子供に何だこいつはと思わせる強者なのは認める。

覚えているかぎりで、初めて父親に対して「きらい」と思ったのは2.3歳頃だと思う。朝、保育園からの通園バスを父と2人で待っていた時だ。父と私は手を繋いでいたが、正確には手を繋ぐというよりも手首を強く握りしめられていた。「いたい、やめて」と伝えられたら良かったかもしれないが、当時の私には「いや」の表現しか持ち合わせておらず、「いや!いや!」と手を繋ぐことを酷く嫌がり、暴れた。しかし、父親はこちらに見向きもせず、無言でバスが来る方向をただ見つめていただけであった。母であれば注意をしたり、なだめさせたりして反応があるはずなのだが、父はコミュニケーションも取らず、暴れる私の手をますます締め付けた。痛く強く子供の手首を握り、「暴れるな」と示した。子供ながらにヘンな人だなと思った。

過去の様々な反感が積み重なった結果、家族間で良く思われていない現状にある。父親も流石に疎外感を感じ始めたらしいが、「自分はぼっちだ」などと覚えたての若者言葉を用いて被害者ぶる様子が実に腹立たしい。どうしても笑えないので反応に困った果てに聞こえなかったふりをする私たち。お前に自虐ネタは許されない。

私は父方の祖父母にも苦手意識を抱いていた。父親が嫌いだからその両親もよく思わないという訳ではなく、ただ単純に祖父母の人間性が苦手だった。まぁ、嫌いな父親の血縁であるから人間性や価値観が似ているため苦手意識を抱くのは当然だと思う。

一方、私は母方の祖父母へは懐いていた。父方の祖父母には申し訳ないが、母方の方が居心地が良く父方よりも頻繁に会っていた。
衝撃的だったのは、父親はこの状況に納得がいかないのか、子供が母方に懐いたのは母による洗脳だと捉えていた。洗脳と判断するほど父親の人間性が狂っているのは想定外だったため、この発言を聞いた際は驚きのあまり声が出なかった。何が洗脳だ。お前が始めた物語だろう。

そんな父親には「ほらみっさい」という口癖がある。「それみたことか」「だから言ったでしょ」などの言葉と同じ意味で使っているようだ。恐らく自分の知識や能力に自信があるのだろう。自分が正しいということを自覚しているが故の口癖なんだろうなと子供ながらに認識していた。
ただ、父親は「仕事人」としての才や知識が豊富で、且つアドバイスが的確なのも事実だった。頼りになる時もあればコミュニケーションの中でこちら側が気分を害する時もある。大体は後者だが、この人は社会で生きにくいだろうな(実際周囲と調和はとれていないが)と言う点では流石に同情する。

ここで少し話がそれてしまうが、私は母親に対してもあまり良く思っていない。母親に最も似合う言葉があるとすれば「稚拙」であると思う。こんな事を母親に言ったら実家からの恩恵を受けられなくなるので本人に伝えたことは無い。

高校生の時だったか、母親に酷く失望したことがある。母親が私と兄の幼少期の写真をLINEのアイコンにしていたことがあった。例え幼少期であっても、自身の写真をアイコンに使われるのに抵抗があったため母親にやめてほしいと伝えた。反応は曖昧な返事をするだけでこちらを見向きもしない。そのうち変えてくれるだろうと思っていたが2日たっても変える兆しがないので再び伝えた。しかし、初めに伝えた時と同じ曖昧な反応。これは今後も変える気はないのだなと察し、母親の傍を離れずしつこく伝え続けてみた(子供の知性の無い作戦には目を瞑っていただきたい)。すると母親は怒った。一字一句は覚えていないが、うるさい、アイコンくらいいいじゃないかなどの主張を始めたと思う。怒る権利は私の方ではないのか?と疑問に感じる。その写真に写っているのは「私」であり、貴方では無い。当の本人が「やめてほしい」と言っているの関わらずアイコンにしているのはおかしいし、貴方が腹を立てるのは違う。

母親は私の了承無くアイコンに私の写真を使っていた。恐らく肖像権を知らないのであろう。挙句の果てに、「○○ちゃんのお母さんは子供の写真をアイコンにしているのになんでうちはダメなの!!」と声を荒らげて主張し始めた。高校生の私はもうどこから諦めたらいいか分からなくなった。胎児からやり直すべきだったかと思った。母の言葉を聞き激高する私を、母はビンタで黙らせた。母に私の言葉は通らないなと感じた。

この出来事後、私は2週間ほど同じ家で暮らしながらも1度も会うことがないように生活した。朝3時頃に起き、4時には家を出て学校に行き22時近くになって帰宅する生活を送った。その間、流石に母は傷ついたのか、アイコンの写真を他のものへ変更し、私の部屋の勉強机にお菓子と置き手紙をそっとおいていたりしていた(これまでにないほどの怒りを母に感じていた私はこれみよがしに全て捨てていたのだが)。なお、父親の仲裁と私自身前述した生活リズムの限界から、この生活は終えることになる。この時、改心したのか母はどこか丸くなっていたように感じた。子供側から突き放された事は初めてでショックだったのだろう。高校生だ、十分に一人の人間として行動力も自己も立派に持ち合わせている。

私は両親を嫌悪している。特に父親の方が酷いが、最近では歳を取り頑固さがより一層面倒なものになってきた。もはや老害である。際限なく悪口を綴りたかっただけなので、オチも何もない。私は今後一生両親を敬愛することは無いだろう。





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