無謀な冒険者たち
冒険はお好きですか?私はどちらかというと人を巻き込んでしまって後から、「全く無謀なんだから」と言われてしまうことが多いのです。無自覚ですが、相当な冒険人生を辿ることになっているようです。今日は無謀な冒険者たちのお話です。冒険者、と聞いて、思わず男性たちを思い起こしてしまう人はいないでしょうか?危険なことは男たちのお仕事だと思われている社会の中では、女は無難な道を歩んだ方がbetterとされているように思います。だけど、本当にbetterなのはどちらでしょうね?いいじゃない?女が冒険者だって、ということを前置きに、さあ、聖書のお話の冒険を始めます。
繋がりがあるから担ぐのか?
屋根にのぼり、瓦をはがし、イエスの前に、病人を床ごとつりおろした男たちと、床の上の病人との間に、どんな関係があったのでしょうか。この男たちについての、また病人についての情報は多く残されていません。男たちについてわかることは、屋根の瓦をはがし、病人をイエスの前につりおろしたということです。その後、彼らは物語からは消えて行きます。彼らはあれこれと考えません。一直線にイエスの前に病人を運びます。障壁があったようです。
「群衆に阻まれた」、「他に方法が見つからなかった」、「瓦をはがした」(19)、とあります。願いはそんなに簡単には叶わないということでしょうか。次々と立ちはだかるハードルを倒しながら、男たちは躊躇なく進んでいるように記されています。
座る人びと、動き回る人びと
猛進する人々の記録の直前に、ガリラヤ、ユダヤの村、エルサレムから集結したフェリサイ派、律法の教師たちが座っていたことが書かれています。イエスの宣教活動が始まったばかりの設定です。そうそうたるメンバーが一堂に会しているのですが、だからこそ、座っている人と、床に乗せて運び、屋根に上り、病人をつり下ろす人々とのコントラストが明確になります。そのコントラストとは、傍観、眺めて批評する人らと、汗水流して動き回る人らの対照的な人々です。イエスは、動き回る人びとの信仰を見たとあります。この人びとの信仰とは一体何でしょうか。
脱落した人でもいいじゃない?「信仰的」でなくても
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