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無謀な冒険者たち

冒険はお好きですか?私はどちらかというと人を巻き込んでしまって後から、「全く無謀なんだから」と言われてしまうことが多いのです。無自覚ですが、相当な冒険人生を辿ることになっているようです。今日は無謀な冒険者たちのお話です。冒険者、と聞いて、思わず男性たちを思い起こしてしまう人はいないでしょうか?危険なことは男たちのお仕事だと思われている社会の中では、女は無難な道を歩んだ方がbetterとされているように思います。だけど、本当にbetterなのはどちらでしょうね?いいじゃない?女が冒険者だって、ということを前置きに、さあ、聖書のお話の冒険を始めます。

繋がりがあるから担ぐのか?

屋根にのぼり、瓦をはがし、イエスの前に、病人を床ごとつりおろした男たちと、床の上の病人との間に、どんな関係があったのでしょうか。この男たちについての、また病人についての情報は多く残されていません。男たちについてわかることは、屋根の瓦をはがし、病人をイエスの前につりおろしたということです。その後、彼らは物語からは消えて行きます。彼らはあれこれと考えません。一直線にイエスの前に病人を運びます。障壁があったようです。


17 ある日のこと、イエスが教えておられると、ファリサイ派の人々と律法の教師たちがそこに座っていた。この人々は、ガリラヤとユダヤのすべての村、そしてエルサレムから来たのである。主の力が働いて、イエスは病気をいやしておられた。18 すると、男たちが中風を患っている人を床に乗せて運んで来て、家の中に入れてイエスの前に置こうとした。19 しかし、群衆に阻まれて、運び込む方法が見つからなかったので、屋根に上って瓦をはがし、人々の真ん中のイエスの前に、病人を床ごとつり降ろした。20 イエスはその人たちの信仰を見て、「人よ、あなたの罪は赦された」と言われた。21 ところが、律法学者たちやファリサイ派の人々はあれこれと考え始めた。「神を冒涜するこの男は何者だ。ただ神のほかに、いったいだれが、罪を赦すことができるだろうか。」22 イエスは、彼らの考えを知って、お答えになった。「何を心の中で考えているのか。23 『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて歩け』と言うのと、どちらが易しいか。
24 人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。」そして、中風の人に、「わたしはあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りなさい」と言われた。25 その人はすぐさま皆の前で立ち上がり、寝ていた台を取り上げ、神を賛美しながら家に帰って行った。26 人々は皆大変驚き、神を賛美し始めた。そして、恐れに打たれて、「今日、驚くべきことを見た」と言った。
ルカによる福音書5章17節〜26節(聖書 新共同訳)

「群衆に阻まれた」、「他に方法が見つからなかった」、「瓦をはがした」(19)、とあります。願いはそんなに簡単には叶わないということでしょうか。次々と立ちはだかるハードルを倒しながら、男たちは躊躇なく進んでいるように記されています。

座る人びと、動き回る人びと

 猛進する人々の記録の直前に、ガリラヤ、ユダヤの村、エルサレムから集結したフェリサイ派、律法の教師たちが座っていたことが書かれています。イエスの宣教活動が始まったばかりの設定です。そうそうたるメンバーが一堂に会しているのですが、だからこそ、座っている人と、床に乗せて運び、屋根に上り、病人をつり下ろす人々とのコントラストが明確になります。そのコントラストとは、傍観、眺めて批評する人らと、汗水流して動き回る人らの対照的な人々です。イエスは、動き回る人びとの信仰を見たとあります。この人びとの信仰とは一体何でしょうか。

脱落した人でもいいじゃない?「信仰的」でなくても

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