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#7. 葛藤 【虹の彼方に】

 出逢ってから一年目の春が過ぎて梅雨にさしかかった頃、ボクたちはいつものように旅行の計画を立てていた。

行く時期は夏のお盆過ぎなので、避暑地に行ってみようということになった。

彼女はワンキチも連れて、長野県の白馬に行きたいと言う。

いろいろと調べてみたものの、ペットと一緒に泊まれる宿はどこも早々に予約が埋まってしまっていた。

ボクは何となく避暑地の代名詞でもある軽井沢に行ってみようと提案した。

「うん、私は軽井沢に行ったことあるけど、ジョニーさんは初めてだから行こう。」

そう言ってボクの提案を受け入れてくれた。

「でもいつか白馬も絶対一緒に行こうね。」

どうやら白馬に強い思い入れがあるようだった。

「うん、じゃあ白馬は来年早めに予約してまた行こう。」

そして軽井沢への旅行が決まった。

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 旅行の当日、ボク達は電車を乗り継いで軽井沢へ向かった。

移動が電車なので今回の旅行はワンキチも一緒だ。

森の中にあるペット連れが可能なペンションのようなタイプの宿だった。

自然が大好きな彼女はとても喜んでくれた。

着いてから軽井沢の観光できるいろんなところをたくさん巡った。

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早めの夕食を済ませ、近くの温泉に入りに行った。

ワンキチを交代で世話しながら、二人とも温泉を満喫した。

そして夜は宿でゆっくりと過ごした。

流石に避暑地なだけあって、夜はひんやりして気持ちよかった。

そろそろ寝ようと、一緒に布団に入った。


 夜中、ふと気配を感じて目が覚めた。

暗がりの中で、彼女は起きていた。

悲しそうに泣いているようだった。

「あいぽん、泣いてるの?どうしたん?」

「・・・あのね・・・私のたった一つの夢・・・『家族が欲しい』・・・ただそれだけの事やのに・・・何でまだ叶ってへんのかなぁ?・・・こんなに強く願ってるのになぁ・・・そう思ったら悲しくなってきちゃった・・・」

彼女は続けた。

「私ね・・・ジョニーさんのこと心から大好きよ・・・でも今のこの中途半端な状態が・・・もしこのまま続くのなら・・・私は家族になってくれる人をまた最初から探さないといけないかも知れないの・・・なぜなら私には子供を授かるためのリミットが迫っているの・・・」

「ジョニーさんは絶対に良い父親になれる人だから・・・私はジョニーさんの子供を産みたいと思っているし・・・ジョニーさんをどうしても素敵な父親にしてあげたいの・・・だけどもう・・・年齢的なこともあるし・・・本当に・・・時間はもう待ってはくれないの・・・」

「ジョニーさんと付き合ってしばらくしてから・・・ジョニーさんは引越ししてくれたでしょ?・・・あのとき私は『一緒に住めばいいのに・・・』って言ったの覚えてる?・・・本当はすぐにでも一緒になりたかった・・・私はジョニーさんとなら絶対に幸せになれるって・・・あのときすでに確信していたの・・・」

「そしてあのとき・・・もしも一緒になっていたとしたら・・・もしかしたらもう今頃・・・子供授かってたんかもなぁって・・・思ったりしたら・・・涙が出てきちゃった・・・」


 以前から「結婚」については彼女の言動からやんわり匂わされていたが、まさか彼女がそこまで思い悩んでいたとは、この時のボクには考えが及んでいなかった。

ボクは彼女と出逢う前までは、ホントに結婚願望というものが全くなかった。

そして彼女と出逢ってから少しずつ「結婚」という言葉が頭にちらついていた。

しかしこれまで「底辺のクズ」のような生活をしてきたボクは、「結婚」どころか金銭的な面も含めて、何の準備もできていなかった。

そもそも本当にこんな自分が「結婚」をして、果たして大丈夫なのだろうか?

そんな風にいつも心では漠然と自問自答していたが、どこかではぐらかしている自分もいたのも事実だった。

そしてなによりも、ボクがずっと強く心に引っ掛かっていたものは、その時やっていた「仕事」についてだった。

当時のボクはその「仕事」にかなり疲弊し、苦悩していた。

自分の不器用さや要領の悪さ、仕事をこなす上での方向性がマズかったと言われればそれまでだが、様々なマイナス要素が幾重にも重なり、ボクは肉体的にも精神的にも疲労のピークに達していた。

気がつけば十五年もその会社でお世話になっていたが、本当にこの状態がこのままで良いのか?と真剣に悩んでいた。

もちろん彼女とはどんな形であれ、このまま一緒に過ごしてゆくものだと思っていたし、一緒になりたいとは思っていた。

そして具体的に順序立てて考えたとき、もし「結婚」をしたとして、彼女の仕事を優先するならば、大阪市内に住むことが絶対条件だった。

大阪の端っこにある、交通の便のとても悪い山奥にある会社に毎日通い続けながら、これまでと同じような過酷な「仕事」をしていたら、いよいよ心も身体も耐えることができないのではないか?

じゃあ思い切って十五年勤めた会社を辞める?

あんなにたくさん迷惑かけたのに?

そもそもいろんな「負い目」や「しがらみ」に縛られた状態なのに、果たして辞めることができるのか?

社長が高校時代の友達で、あんなに世話になった会社を辞めることができる?

逆に、今やっている「仕事」を辞めたとして、この歳でこんなオッサンを雇ってくれる所なんて他にある?

この十五年、これまで会社でたくさんの面接や採用を経験してきて、ある程度年齢を重ねてから面接を受けにくる人に対する、会社側の感想は自分が一番よく知っているつもりだった。

・・・やっぱり仕事を辞める選択肢というのは難しいのか?

しかし心も身体もこんな状態のまま現在の過酷な「仕事」を続けて、幸せな結婚生活を築いてゆける自信は、どうしても持てなかった。

少なくとも現状の「仕事」をしている限り、「結婚」なんて絶対に無理だと考えていた。

でも彼女とは一緒になりたいとも思っている。

「仕事」を辞めたとして、もし転職が困難だったら、この機会にフリーランスで何かを始める?

コピーライター?

エンジニア?

YouTuber?

『四十代 転職』で検索すると、そんなワードがネットにはたくさん溢れているけれど、現実的に生活していけるの?

いや、そもそも今の自分にまず何ができる?

 仕事でこれまでいろんなものや時間を犠牲にし、たくさんのものを消費してきたが、この業界以外の勉強やスキルアップなんて、まったくしてこなかった。

果たして四十代半ばから何かを覚えはじめて、それを即戦力にして家庭を築けるほど稼いでゆけるのか?

世の中そんなに甘くないだろ・・・

何かを覚えるには遅すぎるし、生活が成り立つまでには現実的に時間がなさすぎる・・・

 この時期、ボクは誰にも相談できずにかなり悩んでいた。

でも彼女がボクに言ってくれた、

「あなたの子供が産みたい」

「素敵な父親にしてあげたい」

という言葉が、じんわりと、そしてとても深くボクの胸に刺さった。

これまでの人生で、そんなことを言われる日が来るとは思っていなかったから・・・


 軽井沢の夜、ボクが彼女に出した答えは・・・

「あいぽん・・・ゴメンな、年内中に絶対に良い形で答えを必ず出すから、それまで明確な返事は待ってくれへんかな?」

「・・・うん、わかった、私はジョニーさんを信じるよ。なんだか脅したみたいでゴメンね。」

「ううん、こっちこそ心配させてゴメンな・・・」

「愛してるよ。」

「うん、愛してるよ。」

ボクは彼女を抱きしめた。

彼女にまたとてつもない我慢をさせてしまったという思いで、ボクは強い罪悪感に駆られていた。

即答できなかった自分にとても腹が立った。

情けないけど、その時のボクはそう答えるのが精一杯だったのだ。

 彼女はお腹が冷えたみたいでちょっと痛いから、お腹をさすってほしいと言ってきた。

「ジョニーさんにはね、きっとヒーラーの素質あると思うの。ジョニーさんがさすってくれたらスゴく落ち着くし痛みもスって消えていくねん。」

「じゃあオレが一生あいぽんのお腹さすってあげるよ。」

 思えばこれが、間接的な最初のプロポーズの言葉だったかも知れない。

そしてこの頃からすでに、彼女の体内には病魔が巣食っていたのかも知れないと、今になって思う。


 その秋、ボクの抱えていた仕事の状況はますます厳しくなった。

記録的に大きな台風がやってきて、各地にたくさんの被害をもたらした日だった。

ボクは職人不足による工程の穴を埋めようと、当時は連日現場に出て作業していた。

本当はこういう一人作業は絶対にやってダメなのだが、少しでも工程を間に合わせようとする一心だった。

会社は職人を全く寄こしてもくれないのに、「工程は間に合うのか?」「元請に迷惑はかけてくれるな!」とプレッシャーだけはかけてくる。

本当に連日、早朝は夜が明けて薄っすら明るくなる頃から、夕方は暗闇で目が見えなくなるまで、ヘトヘトになるまで頑張って働いて、それでもボクの事に関しては、会社はほぼ無関心だったし、人をうまく使えていないお前が悪いと思われ続けていた。

その日は台風ということもあって、当たり前のように助っ人の職人は誰も来ない。

意地になっていたボクは、台風で暴風雨の中、腰まで泥水に浸かった状態で夜明けから作業し、なかなか仕事が進まないに状態に一人でイラついていた。

どいつもこいつもどうして責任を嫌う人間ばかりしかいないのか。

そんな奴らが、自分に責任が及ばないところから、毒にも薬にもならないクソみたいな妄言を邪推しながら吐き散らかしてくる。

会社の看板を汚さないようにと、責任感を出してやればやるほど、周囲はボクの責任感に乗っかって甘えてくるクセに、無慈悲な批判と嫌がらせだけはキッチリしてきやがる。

大きな台風で雨合羽なんて何の役にも立たず、雨と汗と泥水で全身プールに浸かったみたいにずぶ濡れだったが、もう工期を間に合わせるためならどうでもよかった。

次第に周りが見えなくなって、周囲には敵しかいないような精神状態になった。

もう限界だったのだろう。

一瞬頭の中が静かになって、ついにボクの心が「ポキリ」とはっきり音を立てて折れた。

あれ?・・・オレ、何やってるんだろう?

目が覚めた気持ちになった。

この現場の目処が付いたら、もう会社を辞めよう。

決心した。

これまで誰に何を言われようが、どうにか自分や社長、そして会社を信じて困難を乗り越えてきたつもりだった。

いよいよ、本当に耐えられなくなった時がきたのだ。

いや、もうこれ以上耐えるのがバカらしく思えてきた。

責任も人手不足も会社の看板も、もう自分勝手に背負うのはやめよう。

どうせボクが責任や会社の看板を背負っていると思って仕事していることすら、誰も見てはくれてはいないのだから・・・

ずっと何を勘違いしていたのか、「仕事は辞めてはいけないもの」だと思い込んでいた。

この十五年間、いや、生涯、絶対に「この仕事を辞めてはいけないのだ」という固定観念に縛りつけられていた。

そう思って必死にやった結果がこれだ。

いや、それはどんどん変わっていく会社の方針に、自分がついていけなくなった言い訳なのかも知れない。

それは誰のせいでもなく、ただただ自分が悪いのだ。

なぜなら人生の選択肢は、すべて自分にあったのだから。

だけどそんなことは、もうどうでもいい。

今はそれよりも・・・



これからの人生は、最愛の彼女を幸せにする事だけに、情熱のすべてを傾けよう!


やっと、一番大切なそれに気が付けた。



 あんなに悩んでいたのに決めたら早いもので、翌週には会社に退職の旨を告げた。

そして一ヶ月の引き継ぎ期間を経て退職することが決まった。

特に引き止めもなかった。

いろんな思いが駆け巡った。

ああ、最後は本当に必要とされてなかったんだな・・・

あっけないものだったな・・・

十五年も働いたけど、たくさん迷惑かけたしな・・・

あれだけ迷惑かけたんだから、こうなるのは当然なのかな・・・

自分のやってきた仕事なんて、たかだかこんなもんだったのかな・・・

気持ちを切り替えたら、もしかしたらもうちょっと頑張れたかな・・・

いや、あれ以上は絶対に無理だったな・・・

たくさん迷惑はかけたけど、仕事はそれなりにちゃんと情熱を持ってやってきたつもりだったんだけどな・・・

不器用だからこそ、人が嫌がる事を率先してやってたら、いつの間にかそれが当たり前になってさ・・・

それができていないとみるや「こいつは仕事ができない人間」だと人格まで否定されてさ・・・

世の中は絶対に損得だけじゃないと、それは今でも思っているし・・・

自分のやっている事や思いは、いつか絶対に誰かが見てくれてると信じて頑張ってきたけれど・・・


そうならないのなら、率先して人の嫌がることをやったらやっただけ損だろうがよ。


引き継ぎしながら、そんな風に思っていた。

そしてこれから自分のような思いをする人が出ないことを心から祈った。

送別会も何もなく、ボクは静かに会社を辞めた。

いつの間にか、なんでこんな悪者になってるんだろう・・・

まぁいいや、最後は悪者で去るのは自分らしい・・・

いろんな思いが交錯した。

そしてボクは退職した。

一部の業界の関係者から、何度も心配の電話をいただいたりもした。

退職したことで、同業者からのお誘いもいくつかあった。

仲の良かった元請の職員から、労いの言葉をたくさんいただいた。

身内より外部の人の方がめっちゃ優しいやん・・・

その優しさがとても身に染みた・・・

 後日、社長に挨拶に行った。

短かい時間だったが二人で話し、これまで迷惑をかけた事や不甲斐なかった事を心から詫びた。

少しだけ涙が出た。

社長はまた友達の関係に戻ろうと言ってくれた。

でもこれまで会社に迷惑をかけてしまった思いや、自分が不器用で不甲斐なかったという思いが強く、自分の中で合わせる顔が見つからなくて、それ以降、連絡を取ることは出来ていない。


 会社を辞めた翌日から、とても清々しい気分だったのが自分でもとても意外だった。

ボクが勝手に背負っていた様々な重責から、急に心が解き放たれたからだろうか・・・

あんなに苦悩したのだから、もっと強く後悔したり、もっと罪悪感に苛まれるものだと思っていた。

まるで憑物が取れたかのような気分だった。


 辞めようと決意したあの台風の日から、次の仕事をどうするかの模索をしていた。

即戦力にこだわるなら、これまでの経験を活かせるのはやはり建設関係だったと思う。

いつも慢性的な人手不足だし、ある程度の業界の事情を理解しているので、きっとどこでも入りやすかっただろう。

実際に高待遇なお話も頂いたりもしていた。

しかしそれでは大きな決心をして辞めた意味がまったく無いのだ。

お誘いの言葉に甘えて高待遇に釣られてしまえば、結局逆戻りで、きっとまた心が折れるような地獄が待っていることをボクは確信していた。

一度心が折れてしまったあの業界には、もう絶対に、何があっても、心底戻りたくはなかった。

これまであの業界にいた人間が仕事を辞めては、結局他所で何をやっても続かず、また頭を下げて出戻って来るシーンをボクは何度となく目にしてきた。

絶対にそうはなりたくないという意地もあって、例え泥水を啜ってでも、あの業界にだけは戻らない決心を固めていた。


 今思えば変な思い込みなのだが、ボクは学生時代からスーツを着る仕事なんて自分は一生しないし、できないものだと考えていた。

どうせ新たに何か挑戦するのなら、今までの自分の考えや思い込みと全く違う事をやってみようと思った。

だからあえて避けていた「毎日スーツを着るような職業」の求人を選んでは履歴書を送った。

あと、自分の性格や性能を自己分析するとすれば、ボクは表に立つより裏方にいる方が性に合っていると思っている。

ちなみに彼女はその真逆で、圧倒的に表に立つタイプだ。

ボクたちの相性が良いのも、そういう所の要因も大きいのではないかと漠然と思っていた。

なので誰かの裏方になって支えていけるような仕事なら、ずっと続けていけると思い、そういった職業を中心にチョイスしてみた。

幸いにもすぐに何社かの面接を経て、運良くかなり早い段階で採用までこぎつけた会社が数社あった。

そして最終的にある会社に入社することで落ち着いた。

四十代半ばにして、人生で初めてスーツを着て出社するタイプの仕事だ。


 ボクは転職について彼女に、前の仕事より基本給は大幅に下がるが、職場が大阪市内で近い事や、うまく時間外手当てを付けてもらえれば、前の給料の額にも手が届く可能性がある事を話した。

彼女は快く受け入れてくれた。

「ジョニーさんならすぐに前の会社の給料抜くから絶対大丈夫やで。頑張り屋さんなの知ってるもん。給料のことより、ジョニーさんが毎日一生懸命働いてさえいてくれてたら、私は何の不安もないのよ。」

ああ、彼女はこうやって、いつもボクに自信とやる気を持たせてくれる。

そうしてボクは新しい職場で働き始めた。

二十年以上、ほとんどずっと無精髭だったが、毎日髭を剃る生活に変わった。

毎日スーツを着るなんて絶対無理だって思ってたのに、やってみれば別に嫌な気持ちにもならなかったし、ネクタイを締めればむしろ心が引き締まる気持ちになれた。

そして今までいた業界が特殊すぎたのか、新しい職場では何をやるのも、何を覚えるのも、人間関係も含めて特別な苦しさも難しさも感じることは無く、逆にこんな感じで給料をいただいてもいいのだろうか?と思うような日々だった。

ありがたいことに、すぐに評価もしていただけるようになった。

ちなみにボクは喫煙者だったが、退職と同時にタバコもきっぱりとやめた。

彼女からはタバコの匂いが苦手で、ずっとやめて欲しいと言われていた。

ボクはお酒はやめれてもタバコだけは絶対にやめれないと豪語していたのに、案外あっさりとやめることができたことは自分でも意外だった。

人間は覚悟が重要で、覚悟次第でホントにいくらでも変われるものなのだなと実感した。

彼女が何度もボクに教えてくれた「人間は何歳からでもやり直せる」というのは本当だったんだと思った。


 そうしてボクは、まるで今まで歩んできた自分の人生と決別するかのように、新たな生活習慣やマインドセットをどんどん変化させていくことができた。

そう・・・


すべてのベクトルは彼女を幸せにする為に・・・


転職してすぐに、ボクは指輪を買いに走った。


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