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天、共に在り  中村哲 著書

#読書感想文

 皆さんこんにちは。今日はとても大事な記念すべき日です。
2021年1月22日の今日、核兵器禁止条約が発行されました。
世界的に重要な日に、このnoteを投稿できることが本当に嬉しいです。

 20世紀は戦争の世紀と言われ、少数の大国が世界を我が物とする時代でした。時間と共に、多くの国々が植民地支配から独立国家になりました。それでも、独立した国家は財政的に困難を抱えていたと思いますし、世界は大国を中心に回っていました

 ところが、核兵器禁止条約を巡る動きについては、その様子が大きく変わったのだと思います。50を超える国々が批准したことにより、国際法上では核兵器を持つことが違法となったわけです。

 少数の大国がお金や軍事力で世界を動かす世の中ではなく、世界中の多くの国々が、話し合ってよりよい世界のあり方を決めていく、記念すべき世界の出発点だと思います。

 元々少しずつこの読書感想文を書いていたのですが、核兵器禁止条約は中村哲先生の目指す方向とも一致すると考え、このタイミングで投稿することにしました。

 私が読んだ本は、中村哲先生著書「天、共に在り」です。
難しいこともたくさん書いてありました。一回読んだだけでは理解できず、時間をおいて何度も読み返して、解らないなりにも少しずつ理解しました。

 私がこの本から学んだことを皆さんに知っていただけたら大変嬉しいかぎりです。

https://www.amazon.co.jp/dp/4140816155/ref=cm_sw_r_tw_dp_nApcGb3AHNVJY

中村哲先生を知る

 私が中村哲先生を知ったのは、10年ぐらい前です。医師なのに、アフガニスタンで現地の人と一緒に水路を造ったなんて、にわかには信じがたいことだと感じたことを覚えています。当時は子供がどこかで中村哲先生を紹介する本を読んでいて、「自分もそんな人になりたい」なんて言う夢を語っていました。わが子ながら、「なんて子だ!」なんて冗談を言ってました。それ以降はアフガニスタン情勢はわかりにくいこともあり、意識する機会はあまりありませんでした。

 中村哲先生は、ご存じのように一昨年にアフガニスタンで車移動中に銃撃されて亡くなられました。あまりにも衝撃的なニュースで、いまだに心痛みます。どうして中村哲先生のような人生をかけてアフガニスタンの命と生活を守っている人を銃撃したのか。なぜ?という疑念が今でも消えません。その思いは、中村哲先生が取り組んできたことを知るほどに強くなってきました。


 そんな中、中村哲先生の著書「天、共に在り」を知り、購入しました。本当はもっと早くに読めばよかったのですが、アフガニスタンの地理がよくわからなかったのと、銃撃によって亡くなられたという衝撃が大きく、本棚にしまったままになっていました。2020年12月4日、一年が経過したことがTwitterでも話題になり、改めて読み進めることにしました。


中村哲先生は一体どこの水路を創ったのか

 この本を読んだ後、中村哲先生の生き方や考え方に感銘を受けたのはもちろんなのですが、それがどれだけすごいことなのかを実感できていないと感じました。そこで、Googleマップを使って衛星写真で確かめてみることにしました。

 画面をGoogleマップに切り替えて、「マルワリード」で検索すると「マルワリード堰」が地図に場所がマークされます。

 そのまま航空写真に切り替えたのが下の写真です。用水路の取水口にあたるところのようです。

①マルワリード堰(取水口)ここから用水路に水を流します(赤地点)

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②用水路(川の上の方、山沿いに見えます用水路の南側に作物を作っているであろう区画が見えます。)

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③用水路全長(距離測定ツールを使ってマーク19km地図上に見える範囲)

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本当は用水路が左端からまだ伸びており、砂漠まで到達していますが、衛星写真にはうまく写っていません。


④マルワリード用水路の位置

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左側にカスピ海とペルシャ湾、下にインドが見えます。


⑤マルワリード用水路の位置(アジア・アフリカ)

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 日本も見えるようにしてみました。こんな場所に6年間かけて用水路を創るということがどういうことなのか、理解の助けになりました。


 ここで気になったことがあります。よく見ると、②の左側③の中央付近の用水路は、北側から流れている思われる、川のような場所を横断しているように見えます。おそらく干上がった川ですが、これは一体どういうこと?? まるで、川の立体交差です。

 そのような信じられない工事に取り組み、成功させた事を知ったとき、中村哲先生のスケールの大きさを感じるとともに、本当に生涯をかけた濃密な取り組み方をされてきたんだという、ため息しか出ないほどの感嘆を感じました。


科学的思考と言葉を通して伝わってくる深い思い

 この本では、中村哲先生がなぜ医療活動に取り組む以上に井戸を掘り、用水路を拓くことに力を傾け始めたのか、そのいきさつが書かれています。当然ですが初めから用水路を創ることを考えていたわけではありません。人との出会い趣味がきっかけとなって、結果として大事業をやり遂げたということに、人生の面白みを感じました。 そして、読み進めていくうちに探求心と、科学的思考の積み重ねが彼を突き動かしてきたのだと思えるようになりました。

 この本は、政治的な課題治安悪化との闘い自然との闘いやそれらに立ち向かう土木技術をはじめとした専門的分野について幅広く記述されているため、一回読むだけでは本当の意味を理解することは難しいと感じました。場所がアフガニスタンということもあり、聞き慣れない固有名詞が多いこともその要因であると思います。

 しかし、本を読み終えた後にはそれらの言葉が、豊富な知識と経験が詰まっている言葉なんだと感じられました。同じ個所を繰り返し読み、先を読んでみては戻り、前を読んでは戻りながら少しずつ気づきと理解を繰り返しました。

 中村哲先生が大切にされていることが、文章を通して胸の奥にずしりと沈み込んでくるような気がします。

「百の診療所より一本の用水路」

 言葉にすると12文字ですが、ここに至るまでには中村哲先生の人生がすべて詰め込まれていることが伝わってくるような言葉だと思います。


さまざまな出会いときっかけを通して

 中村哲先生は子供のころから昆虫に大変興味を持っていたそうで、それは大人になっても変わらず、その思いは尽きることがなかったようです。特に趣味である蝶を探すための山歩きが、先生をペシャワールに導くきっかけになるなんて、人生は本当にわからないですよね。

 でも、たどってきた道、過去を振り返ったときには、成るべくして成ってきたという、そのようになる流れのようなものが存在すると感じられることが不思議です。縁を感じると共に、そんな中村哲先生の人生から学びをいただいている気持になります。そのことは冒頭部分に記述されています。

 だが、目に見えぬ不思議な縁は、もっと広大である。もし昆虫に興味がなければ「アフガニスタン」と無縁であっただろう。私を連れて故郷の山々を巡った郵便局長さんと出会わなければー、山岳会の人々と出会わなければー、ハンセン病診療所に情熱を燃やすドイツ人医師と出会わなければー、30年近く命運をともにしてきた事務局のメンバーを初め、おおくの日本人ワーカーと出会わなければー、難民キャンプの診療所がなかったらー、家族が別の人間だったらー、連綿たる出会いと出来事は、ヒンズークッシュの無数の山襞(やまひだ)のようだ。白雪を頂く山々を見ていると、30数年の歳月が夢のようで、奇妙な感慨がこみあげてくる。
                     天、共に在り 16ページより


 先生はキリスト教と出会うとともに、先々のことを考える中で医学を目指すことになったそうです。大学進学を考える際、「医学部から農学部へは転部できるが、逆はない」という選択だったというのは、中村哲先生の人間味を感じさせてくれます。とりあえず医学部と言える教養を持っている時点で私は遠く足元にも及ばないのですが。。。。


ハンセン病診療所

 中村哲先生がハンセン病診療所でハンセン病患者と向き合われてきたことについて、その大変さや深刻さを知りませんでした。読み進めていくうちに現実を突きつけられている気持ちになりました。医療物資も乏しく設備もない、患者の生活は貧困と隣り合わせです。そこには戦争という問題が大きく横たわっていました。

 患者のために医療を提供しても、次から次へと戦争の被害や影響が、人々の生活に降りかかってくる。体の病気だけでなく過酷な経験が精神をもむしばんでいくことは想像に難くありません。

 彼女らは何かに脅えていた。過酷な体験は容易に想像できたが、あえて私は詮索しないことにしていた。このような病人に必要なのは、ともかく病を癒し、少しでも「人間」としての誇りを取り戻させることである。 
                     天、共に在り 61ページより



戦争と難民 医療のジレンマ

 アフガン戦争により、難民とならざるをえない人々がどんどん生まれました。そのような中、中村哲先生も診療所を開設することになったそうです。無医地区でハンセン病が多いところでは、感染症(腸チフス、マラリア、結核、アメーバ赤痢など)との闘いとなるのに、医療設備が皆無だという現実に直面したからです。

 単に診療所を建てるという問題では済まされません。内戦が激化する中での診療所建設がどんなに困難なことか。著書ではそのあたりは簡単に触れている程度ですが、「その程度」にとどまらないことは容易に理解できます。


大旱魃と空爆のはざまで

 2000年春ごろに中央アジア全体が未曽有の旱魃にさらされたそうです。アフガン内戦に続き、大旱魃による大量の難民発生につながり、それも100万人を下らないといわれているそうです。そのうえ、診療所を挟んで反タリバン勢力とタリバン軍が対峙するというとんでもない状況。。。

その様は、終末を思わせた。

この一言が重すぎます。

 この状態で、死にかけた幼児を抱いた若い母親が診療所に来る姿が目立って増えた。旱魃の犠牲者の多くが幼児であった。「餓死」とは、空腹で死ぬのではない。食べ物不足で栄養失調になり、抵抗力が落ちる。そこに汚水を口にして下痢症などの腸管感染症にかかり、簡単に落命するのである。
                     天、共に在り 84ページより

 川にかろうじて残った泥水を飲む子供の写真が掲載されています。水不足が多くの子供たちの命を奪ったー 裸の子供が四つ這いになり、茶色い水たまりに口をつけて飲んでいます。。。

言葉になりません。

 そこから2000年7月、「もう病気治療どころではない」と、診療所自ら率先して清潔な飲料水の獲得に乗り出したそうです。病気のほとんどが十分な食料、清潔な飲料水さえあれば防げるものだから。水の確保がそういった背景から始まったことに、必然性のようなものを感じました。私の中でも何か高まってくる感情がありました。

 そこまでの大旱魃の場合、国際的な救いの手が入ってもよいともうのですが、国際的援助が動く気配はなかったそうです。そのころから「アルカイダ」が欧米諸国にとって厄介な存在となってきます。米英は矛先をアフガニスタンに向け、国連制裁が強化されてしまいました。

 その結果、大旱魃と飢餓が世界に知らされず食料までが制裁項目に。。。欧米各支援団体も次々と撤退。井戸の水位は下がる、腸管感染症と皮膚感染症の蔓延。まさに巨大な無医地区と化したカブールに、中村哲先生らは5か所の診療所設けて対処したそうです。


 ここまで読んで、これは一体どういうことだ?という思いでいっぱいになりました。私たちはこの時も変わらず豊かな生活をしていたはずであり、この現実を知る機会は少なく、知ろうともしていなかったんじゃないか


 そして、これら一つ一つが積み重なり、ニューヨークの同時多発テロにつながったことはここまで読めばすぐに想像できます。


 ここで、この半年間で私が学んだことと重ね合わせると、これらのことが起きてきた原因めいたものを感じることができます。アメリカをはじめとした、覇権主義的な考え方や、今でいう新自由主義的な経済最優先の考え方切り離せないのではないでしょうか。

 強いアメリカ正義のアメリカであり続けるため、アフガンの人々の人権を一切考えず、強権を振るう。大企業は利益拡大を追い求め、それを実現してくれる大統領を選ぶ。

 まるでイナゴの大群が世界中を襲う様子を連想させます。

 当時はジョージ・W・ブッシュ大統領でしたし、トランプ大統領にも重ね合わせてみると、この考えは間違いではないと感じます。


緑の大地をつくる

 2002年、「農村の回復なくしてアフガニスタンの再生なし」という確信を深め、中村哲先生が農業復興に全力を尽くす決意を固めています。いよいよ用水路建設が見えてきました。

(1) 試験農場ー乾燥に強い作付けの研究

(2) 飲料水源事業ー現在の事業を継続、総数2,000か所を目指す(井戸のことだと思います)

(3) 灌漑用水事業ー①枯れ川になった地域の井堰・溜池の建設、②大河川からの取水、第一弾としてクナール州ジャリババからナンガラハル州シェイワ郡高地まで13キロメートルの用水路建設(最終的に取水口からガンベリ砂漠まで焼く25キロメートルに延長)

 項目にまとめるとこんなにコンパクトですが、自分がその立場であれば到底可能だとは思えません。


 2003年3月19日 用水路の着工式がとり行われ、毎秒6トン(1日50万トン)の水を旱魃地帯にそそぐことを大胆にも公言したそうです。まだ、技術的にも金銭面でもはっきりと目途が立っていたわけでもないのに、自分たちを後に引けない状況に追い込んだ半端ない覚悟を決めた瞬間なのだろうと思います。

 面白いと思ったのは、日本の高度な技術を持ったエンジニアが現地に入っても役に立たなかっただろうということ。日本の技術はその技術を支える環境があって初めて成り立つものだということです。

 確かにおいしいカレーを作ろうと思ったら、カレールーや肉、ジャガイモ、ニンジンなどの材料をスーパーで買ってくる事で作れます。でも、スーパーもお店も何もない場所では、野菜を収穫すること、畜産することから始めなければいけないということと同じだと思いました。

 小さな水利施設の場合はむしろ自給自足で鍛えてきた農民のほうが都会育ちのエンジニアよりもはるかに呑み込みが良かったというのは興味深い話でした。自分や家族たちの命と生活がかかっている問題ですからなおさらです。いずれにしても中村哲先生の献身的な試行錯誤なくしては成功はあり得なかったと思うし、その工程も気が遠くなるようなトライ アンド エラーの繰り返しだったことは想像に難くありません。

 本当にゼロからの出発だったということは先生が帰国した時の行動から一目瞭然でした。

 帰国した時にも暇さえあれば水利施設を見て回ったそうです。昔から残っているものに照準を当ててみて回ったそうですが、河川の多い日本だからこそ参考にすべき場所はたくさんあったそうです。前述したように現地の力を活用しなければならないため、大手ゼネコンが行っている工事では参考にならないということでしょう。


参考にした筑後川の山田堰


 現地アフガニスタンにも多くの用水路、取水口があるそうですが、とれるところからは取りつくし、なお旱魃にあえいでいる状態。取水技術が気候変動に追いつかないというのは本当に深刻であり、胸が痛みます。

 「人は見ようとするものしか見えていない」ということをは時々感じることがあります。家の購入を考え始めた途端、今まで気が付かなかった様々な新築物件や建売物件が急に目に付くようになったことがあります。今までもそこにあったはずなのに、不思議なほど目に頭に入ってきていなかった。それぐらい人間の思考には指向性があるものだと最近は認識できるようになってきました。

だから物事は一歩引いて見るようにしたほうがいいのかもしれません。

 中村医師も同じことを述べていて、少し感動しました。それまで漫然と見ていた一見平地に見える筑後平野について、その勾配はどのぐらいかなどなど普段気づかないことを食い入るように見ながら考えるようになったそうです。


用水路工事の様子

 それ以降は具体的に用水路工事の様子が伝えられています。ここからは写真も随所に見られ現地の様子もよくわかります。

日本とアフガンの水に関する共通点も興味深いものがあります。

1.山間部の急流河川が多いこと
2.冬季と夏季の水位差が激しいこと
3.大きな平野が少なく、山に挟まれた盆地と小平野で農業が営まれること

 これらはちょっと意外でした。上の地図⑤を見るとマルワリード堰の緯度は、ちょうど岡山県倉敷市と同じだったんです。一つ一つの共通点が工事のイメージを容易にし、実現に結び付いていたことに不思議な気持ちになりました。

 途中工事の様子やビフォーアフターのカラー写真があります。いかに水の恵みが自然環境にも、生活にも大切なのかを感じさせてくれます。 水路工事中の茶色い乾燥地帯が、数年後に水路の両端に木々が林のように生い茂っています。茶色の大地があたり一面草が生えるようになっています。まさに水の恵みとはこのことなんだと思います。日本にいる限り当たり前に感じている水の存在を、あらためて感謝すべきことなんだなぁと反省することしきりです。

 著書では順風満帆というわけではなかったことがさらっと書かれています。大変だったことをそのまま挙げれば百科事典以上の厚さになってしまうかもしれません。想像できないほどの大変さがあったはずです。その一番の相手は自然災害でしょう。日本と同じく集中豪雨による洪水被害もあります。堰が壊れたり、用水路が壊れたりすることもあったそうです。それらを復旧させるのは日本の大手ゼネコンではないのです。現地で力をつけた職人が復旧に当たるのです。

 具体的な工事の内容や技術的な事柄については、ぜひこの本を手に取って読んでみてください。中村哲先生が最後までやり上げた意思と気概を感じて用水路ができていく様子を身近に感じながら読み進めることができると思います。



まとめ

 私が考える中村哲先生の一番の功績は、用水路工事を組織化したという部分です。壊れたら自前で修理する技術を持ち合わせる組織づくり。日本のODAのようにお金を出して終わり、ではなく文字通り命を、生活を、街を維持発展させていくための手段を身をもって伝えたこと、それに尽きると思います。

 また、全体を通して先生から学ぶことができるのは、病気を診ようと思ったらその病気の背景や、患者の生活背景社会的背景意識しないと何も解決しないという一貫した考えです。このことに私は深く感銘を受けました。その信念があったからこそ、生涯をかけて遠くアフガンの茶色い土地を緑豊かな恵みの土地に変えることができたのだと思います。

 この思考方法は、あらためて戦争や紛争がどんなに人を裏切るか、生活を破壊していくかをこの本を通して学ばせてくれました。

✅なぜ病気が蔓延し、子供たちが命を落としているのか
✅病気になった患者を直しても患者はどんどん増え命を落としていく
✅不衛生な水を飲んでいる。子供たちが命を落とす
✅清潔な飲料水が確保できない。旱魃に襲われる(温暖化の影響)
✅戦争や紛争による街の破壊、命の破壊が行われる
✅そのことがさらに不衛生な生活環境を作り出す

 また、アフガンに住む人たちを翻弄し続けるのが国際紛争です。
9.11以降、アメリカは正義のための闘いという理由で正当性を主張していましたが、もともと現地の紛争に大国が理由をつけてかかわり続けていたこと、ひとたび軍事行動が行われるとそこに人権は存在しなくなること、一般市民が爆発で命を落とすことがあっても必要悪として処理されてしまうこと、そういうこと全部が極度の飢えと貧困、感染症を引き起こしていることは間違いないことだと思います。

終章に次のような印象深い文章があります。

 いま、きな臭い世界情勢、一見勇ましい論調が横行し、軍事力行使をも容認しかねない風潮を眺めるにつけ、言葉を失う。平和を願う声もかすれがちである。
 しかし、アフガニスタンの実体験において、確信できることがある。武力によってこの身が守られたことはなかった。防備は必ずしも武器によらない。1992年、ダラエヌール診療所が襲撃されたとき、「死んでも打ち返すな」と、報復の応戦を引き留めたとことで信頼の絆を得、後々まで私たちと事業を守った。戦場に身をさらした兵士なら、発砲しない方が勇気の要ることを知っている。
                 天、共に在り 243ページ~244ページ

 争いは恐怖の暴走からくるものだと思います。世論が恐怖にあおられたときに、防衛を理由にした戦争が始まるのではないでしょうか。

 そして、医師がどんなに患者を治療しても次々と死傷者を生み出すのが戦争です。

 そういうことからも、私は、人権を、命を、人々の尊厳を破壊する戦争どんな理由があろうとも絶対に反対します。

この本を読んで改めてそのように感じることができました。

 この記事をまとめている時に、中村哲先生のニュースを見つけました。
「中村さんの長年の功績をたたえるため、アフガニスタン政府は、中村さんの記念切手を作った」そうです。それだけ中村哲先生がアフガニスタンの地で多大な信頼を受けていた証拠だと思います。



最後に

 中村哲先生とともに用水路をつくる事業に携わり、現地を支えているペシャワール会という組織があります。私も詳しくは知らなかったのですが、非公式ツイッターアカウントがあり、中村哲先生のことについて情報発信されているのを見て知りました。幅広い活動をされていますので是非ご覧ください。


ペシャワール会のサイトもご紹介します。

http://www.peshawar-pms.com/

 このサイトを見れば中村哲先生の意思は今も存在し、活動を続けていることがわかります。工事の写真やビフォーアフターな写真もたくさんあります。

 私が注目したのは、「中村医師メール報告」というコーナーです。
これを順番に見ていくだけでどんなことがあったのかを知ることができるのです。2008年11月から2017年12月まであります。

 その中から冒頭に書いた疑問点に対する答えの報告がありましたので紹介します。用水路が川のような場所を横断しているように見える部分です。これで衛星写真で用水路が川を横断している仕組みがわかりました!

 ガンベリ沙漠の洪水路横断サイフォン工事の様子が写真付きで報告されています。ググってみるとサイフォンについての記述が見つかりましたのであわせてご紹介します。


 大規模災害に対応するサイフォン排水技術の開発
      -河道閉塞の緊急排水対策-
https://www.mlit.go.jp/chosahokoku/h23giken/program/kadai/pdf/ippan/ippan1-05.pdf


 また、歌手のさだまさしさんが、「ひと粒の麦〜Moment〜」という曲を作詞作曲し、歌われています。中村哲さんに捧げる歌だそうです。

 この曲を聴くと中村哲先生の存在をより身近に大きく感じられます。
私も大好きな歌になりました。よかったら聴いてみてくださいね。

 もちろん、中村哲先生のことを重ねながらこの歌を聴くと感動で涙腺が緩くなってしまいます。😝

https://realsound.jp/2020/05/post-554239.html


YouTube動画

YouTubeに中村哲先生関連の動画がいくつかありましたので張っておきます。先生の想いがリアルに伝わってきます。(2021年1月29日追記)


アフガニスタン 永久支援のために 中村哲 次世代へのプロジェクト


アフガンに"水と食糧"を 洪水と闘う日本人 中村医師


銃撃から1年・・・中村哲さんの遺志は アフガンの今(2020年12月4日)



 今回は、読書感想文のつもりで書き始めたのに、中村哲先生に刺激されてそれ以外のことをたくさん書いてしまいました。核兵器禁止条約発効のタイミングでこのノートを投稿したことについても、中村哲先生が喜んでいただけていたらいいなぁ なんて思います。まだまだ追い切れないほどのたくさんの学びを頂いています。

 特に、科学的な視点を持って世の中を見ることの大切さを先生の行動から受け取ることができたのではないかと思います。

 この一年、日本は科学的とは言えない政策の連続で2回めの緊急事態宣言を行っても一向に収束する気配がありません。日本学術会議任命拒否問題では、私には科学の放棄と映りました。科学的視点をもって今の日本をよりよくするためにこれからも学んでいきたいと思います。

 そしてこの本は、社会情勢などたくさんの国際的な課題がちりばめられており、少し難しいと感じるかもしれません。一度に理解しようとするのではなく少しずつ時間をかけて学ぶことができる素晴らしい本だとおもいます。噛めば噛むほど味が出る。興味を持っていただけたら是非手に取ってみてください。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。



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