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米津玄師「闇」の中の「光」と共鳴するもの

 「米津玄師の歌詞を因数分解して分かったこと」<第26章>

*プロローグと第1章〜25章は下記マガジンでご覧ください。↓

 米津玄師が歌う「光」という歌詞で誰もが最初に思いつくのは、あまりにも有名なこのフレーズだろう。

「今でもあなたは私の光」

「“切り分けた果実の片方の様に/今でもあなたはわたしの光”
 という言葉が、レコーディング前日の明け方ぐらいにバッと浮かんで
 きて、それでようやく自分の中でしっくり来たんですよ」
(TSUTAYA インタビューより)

 いつもは這いまわって言葉を探すという米津に、突然浮かんだインスピレーション。2年後、本人が「怖っ、俺こんな怖い言葉書いてたのか・・」と漏らすほど"Lemon"における「光」は人を摑んで離さぬ恐ろしさがある。米津の言葉を借りれば「希望的である反面、残酷」なのだ。

 私は初めてこの曲を聞いた時から「私のことなどどうか忘れてください」という歌詞がずっと引っ掛かっていた。

 ”切り分けた果実の片方のような”あなたがいない世界は暗く、残された者はそこに差す一筋の光に絶えず誘われている。心の片隅には連れて行ってという想いが沈んでいる。それでも生きていくのだ。だから「私のことなどどうか忘れてください」と祈りながら”雨が降り止む”のを待っている。

 それが、このレクイエムの残酷な「光」であり希望なのだと思う。

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 光に誘われると言えば、新曲「ゆめうつつ(本記事ではデータ外)」では「眩い光に絶えず誘われている零れ落ちた羊」が登場する。おそらくLemonとは全く違う「光」であろう。リリース後に考察したい。

「光」「光る」を全88曲中16曲で使用

 名詞「光」は11曲、動詞「光る(活用形含む)を7曲で使用している。(2曲で名詞と動詞が重複)

 うち約30%が「STRAY SHEEP」、25%がカップリング曲で使用されている。「Bootleg」と「Yankeeで」は各1曲にしか使われていない。”打ち上げ花火”と”サンタマリア”である。

 ”打ち上げ花火”における「パッと光って咲いた」のは、実像としての花火であり、「ハッと息を飲めば消えちゃいそうな」はフラジャイルな恋心だ。夜空に光った大輪の花火とまだ胸に住んでいる儚げなの対比が、夏の夜にこんなにも切なく輝く。

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 サンタマリアについてはこの記事をご参照いただきたい。

米津玄師は自ら光らず、光を映す

 「光」が最も多く出現する「STRAY SHEEP」を総括する曲として、最後の最後に滑り込みで書かれたのが「カムパネルラ」だ。

を受け止めて 跳ね返り輝くクリスタル
君がつけた傷も 輝きのその一つ

 このクリスタルは「カムパネルラ」のみならず米津自身の手によるアートワークでも重要なモチーフとなっている。これこそが「STRAY SHEEP」に生命を与えた輝き=米津玄師なのではないか。

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(奥山由之監督が)自分を「世の光を多面的に映し出すミラーボールみたいな人」だと形容してくれて、自分にはそれがすごくしっくりきたんですよ。「世の光を映している」という言葉に、すごく納得がいったんです。
(ナタリーインタビューより)

 世の光をいち早くキャッチする多面体は、傷と研磨が混ざり合い、ブリリアンカットとは程遠く複雑に歪んでいる。そこから放たれる乱反射により、このアルバムは途方もない方面にまで拡散して行ったのだろう。

 5月9日のインスタグラムに突如投稿された線画。もうクリスタルは光っていない。それは「STRAY SHEEP」は依然として残るが、そこにもう米津はいない。次へ進んだということの表明のような気がする。

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自分は太陽のように光を体内から生み出すのではなく、外側の光を反射して照らし出すことができる月のようなものだと思っていて。(ナタリーより)

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 米津自身に例えられるクリスタル、月、ミラーボールが美しく輝くには条件がある。黒い鉛や暗闇が必要だ。(クリスタルは鉛の含有量が多いほど美しいとされている)

 彼が歌う「光」は燦々と輝く太陽、あるいはキラッキラのリア充ライフ、明るく正しくポジティブなだけの光ではない。それらは怖いくらいに眩しすぎるのだ。

溢れる光に手が震えたって
君となら強くなれるだけ
(ごめんね)
飲み込むのが 怖い程
光を呑んだ
淡い夢
(ゆめくいしょうじょ)

光と闇が意味するもの

 米津も強い影響を受けたという漫画版「風の谷のナウシカ」。そのクライマックスで「生命は光だ」と主張する墓所の主にナウシカはこう叫ぶ。

「違う!生命は闇の中のまたたく光だ!」

 生物学者の福岡伸一によれば、「生命は自らの身体の合成と分解を絶えず繰り返すことによって自らの存在を保っている。合成を光、分解を闇と見なせば、光と闇が同居することによって生命は維持されている」のだそうだ。

 (ナウシカは)合成・創造に通じる「光」よりも、分解・滅びをイメージさせる「闇」の方が、生命にとってより重要であることを直観している。
(朝日新聞デジタルより)

 米津が歌う「光」には必ず「闇」がある。いや、闇の中の光を歌っていると言った方がいいかもしれない。それは自分自身を常に分解し、合成し、変化し続ける米津自身の生き方そのもの。彼の歌にこれほど多くの人が共感するのは「生命」の根幹とリンクしているからではないだろうか?

 生命の分解スピードは合成のスピードよりわずかに速いらしい。そうやって少しずつ少しずつ死に向かっているのだ。

 今、世界は凄まじい勢いで分解が進む「闇」の中で喘いでいる。それでも変化し適応し、新たに合成していく「光」を誰しも細胞レベルで持っているはずだ。

頑張ろう。生きていこう。すべての光が闇に帰るその日まで。

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「光」という言葉が15曲中5曲で使用されている「STRAY SHEEP」に漂う濃密な死の気配について書いた記事も読んでみてくださいね!

*STRAY SHEEPのティザーでも線画を披露しているがクリスタルの目は光っている。但し、アルバム特典のステッカーには線画が掲載されている。

*この連載は不定期です。他カテゴリーの記事を合間にアップすることもあります。
*この記事はあくまでも筆者個人の考察です。

歌詞分析だけじゃない、米津玄師を深堀りした全記事掲載の濃厚マガジンはこちらです。↓

<Appendix>

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