わたしたちは未熟でしかないから
「新人研修をしようと思ってる」
内定者ミーティングにて、人事が告げた。
内定者の反応は様々で、しかし皆一様にネガティブな方向で。
人事が研修の必要性を話すものの、やはり反応はイマイチで、あまり研修をやりたくないことがダダ漏れである。
なんとなく必要なのはわかるけど、スーツ着たくないし、丸一日拘束されるぐらいなら働きたい。
かくいう自分も同じ気持ちだし、なんなら”内定者内で本当に嫌がっている側”だった。
意味があるのはわかっている。わかっているが…
そんな気持ちが透けて見えてしまったのか、人事が赴く研修見学に、わたしも参加することになった。
はてさて研修会場に着いて座って見学を始める。
正直「まあ、こんな感じだよな」と想像していた通りではあった。
その反面、内定者たちの力を一定認めてくれている人事が「必要」と言うのならば、なにかわたしたちが学びになることがあるに違いない。
まず最初の講義は「視点の転換」。
ネガティブな点をポジティブに言い換えるというものだ。
ウワーーー、これ、わたしらめっちゃ足りない。
フーモア内定者は、以前誰かの記事でもあったように全員がなかなかに尖っている。
全員が尖っているから、全員がそのままぶつかり合うのだ。
誰もトゲトゲをやめない。それはもう戦闘態勢のハリセンボンのように。
だからこそ、悪いところはストレートに伝えるし「オブラート?何それ美味しいの?」状態で接している。
これは「内定者というコミュニティ」だからこそ許されるし、映える。
だけどもし、これが社外の人だったら?
どんな印象を持たれるだろうか。
わたしたちは、良くも悪くも「周りを気にしない」。
それゆえ尖って、強くて、並んで戦える。
だからこそ、背中がガラ空きで、弱い。
間挟んで最後の講義は、「夢を語る」。
これ、もっと苦手かもなあ、わたしら。
正直わたしには夢がない。
何か明確な目標や意図を持って人生を歩んでこなかったものだから、当然将来のことなんて考えているわけもなく。
だからこそ、将来のキラキラ眩しい話は、つらいから、逃げていたし、今も逃げている。
でも必要となったら話すことはできる。
思ってもないガチガチの嘘ならば、話せる。
いざこの研修の場に自分がいたとき、話すことになったとき、きっとギリギリこなせるだろう。
正直内定者も「作り上げること」はめちゃくちゃ上手くて、たぶんわたしと同じで「こなすにはこなせる」。
それがあたかも「本当の自分」かのように、しっかりと使いこなせるのだろうか。
前に出て、話せるだろうか。
他社の人たちが熱い想いを語る中、自分たちはどこまでいけるのか。
「その雰囲気」に持っていけるか。
一定の経歴があるからこそ「自分はそんなに変われない」、そんなわたしたちは「状況対応力」が不足している。
ー
研修に行った。
もちろん行きたくない気持ちは募るばかりだが、嫌だ嫌だとも言ってられない、 かもしれない。
研修には行きたくない。
本当に行きたくない。
でも、帰ったら内定者に連絡してみよう。
「新人研修、ちょっとアリかもしれないよ」
と言ってみようと思う。
おそらく、確実に、
嫌がってるものっていうのは「わたしたちが逃げ続けていること」だろうから。
やりたくないものほど、きっとそれは必要なことだから。
わたしたちは今、未熟でしかないから。
文責:根本
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